chapter2「優しいね」 その5

 現在 王一大学 サークル棟




 目の前に現れた隣人、淡海さん。

 女子高出身の彼女は男子が苦手だと彼女の母親に聞いたな。

 その彼女が男の先輩二人に囲まれているが、果たして大丈夫なのだろうか。

 いや、心配するわけではないし、仮に大丈夫でなかったとしても助けるつもりはさらさらないが、どの程度男子が苦手なのか気になっただけだ。


 ……まあ、一目見ただけでわかる。

 明らかに彼女は怯えてしまっている。

 コップを両手で握りしめ、その手が僅かに震えている。貧乏ゆすりもしている。

 大学のサークルの食事会なんだ、男に囲まれてしまうこともある。彼女も想定くらいはしていただろう。

 きっと、学部の友人に連れられてきたが、その友人が他の先輩と話をしている間にこの状況に陥った、というところだろう。


 しかし、あの先輩二人は淡海さんが怯えているのに気付いていないのか? それとも気付いていてグイグイいっているのか? だとしたら碌でもないな。


 いや、そんなこと考えなくていい。とにかく俺は飯だけ食ってさっさと帰ろう。



 取り敢えず、俺は食えるだけ立ち食いした。

 途中話しかけてくる先輩がいたが、適当に話を合わせ、何とか振り切った。どうやら食事に集中している奴の邪魔はできないらしい。


 さて、腹も膨れたところだし、帰ろうか。

 ふと、俺は再び淡海さんの方に目を向けた。

 

 ……マジか、あの二人まだ淡海さんに話しかけている。

 どうやら、淡海さんが自分から話を振ることなく、相手の話に弱々しく頷いているだけだから、男からしたら話しかけやすいのだろう。

 しかし、明らかに淡海さんの顔色は悪くなっている。青ざめていると言ってもいい。


 ……ここで俺は、彼女の母親の言葉を思い出す。


『娘のこと、よろしく頼んでいいかしら?』


 ああ、くそ、なんで思い出すんだ。

 あんなこと言われていなけりゃ何も悩むことなくこの場を去っていたというのに。


 俺はどこぞの誰かさんと違って『人助け』なんぞに興味はない。

 しかし、俺はひたすらに憶病な人間だ。

 他人に一言頼まれてしまったら、断れない。俺が善人だからではない。約束を破るのが怖いのだ。約束を破り、叱咤を受けるのが怖いのだ。

 無論、淡海さんの母親がそんなことをするわけがないのはわかっている。そもそも、その場限りの戯言だ。律儀に言う通りにする方がおかしい。

 わかっている。わかっているのに、やはり俺は何かに恐れている。

 俺の行動原理で、最も頻度が高いのがこの恐怖だ。

 他人に関わるのが嫌いな性分だというのに、こればっかりは如何ともし難い。


 頭の中で、まるでツンデレキャラの言い訳の様に自己分析を行いつつ、俺は淡海さんの方に向かっていた。


「やあ、淡海さん。こんばんは」


 俺は彼女に、ニッコリ笑って話しかけてしまった。

 淡海さんを囲んでいた二人の先輩は鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔をしている。


「あ……」


 淡海さんは返事をしない。予想外の出来事に驚いてしまっているのだろうか。

 と、そこで、先輩たちのうち一人が口を開く。


「あ、君もしかしてシグレちゃんのお友達? シュン君……でいいのかな? あ! ……ってか座る? ここいいよ!」


 この先輩、思っていた以上にいい人そうだ。ということは、淡海さんの顔色の悪さに気付いていないのは鈍感故か。


「いやいや、こっちのほう座りなよ! どーぞ、どーぞ」


 もう一人の方も口を開く。

 何故か二人で、俺に対して席を譲り合っている。やはり新入生は座らせたいのが文化系サークルの心持なのだろう。

 結局、二人して席を譲ってどこかへ行ってしまった。


 どうやら、あの二人は先輩として、新入生に話しかけなくてはならないという強迫観念に駆られていたらしい。でも、肝心の淡海さんが無口で怯えていたために、実は困っていたのだろう。

 他の先輩は別の新入生の相手をしているし、新入生を一人ぼっちにするわけにもいかない。もしかすると、誰かしら淡海さんに話しかけてくる人が現れるのを待っていたのかもしれない。

 そう考えると、あの人たちも不憫だな。無駄に淡海さんに怖がられただけじゃないか。


「…………」


 淡海さんはまだ黙っている。

 しかし、心なしか顔色は良くなっている。

 

 さ、俺の出番は終了でいいだろう。というか、出てくる必要あったか?

 ……帰ろう、恥ずかしくなってきた。

 ただ、その前に、話しかけてしまった分、一言言っておかないと。


「あー……ごめん、たまたま目についたから挨拶しておこうって思ってさ……。それじゃあ俺、帰るから。またね」


 これでいい。よし、帰ろう。 

 そういえば、二ノ宮君はどうしただろう。まあ、どうでもいいか。


「……あ、じゃあ……私も……」


 はい?

 いや、『私も』と言われても……。


 俺が部屋から出ると、彼女もそれについてきた。

 お互いバッグを持って帰り支度を済ませる。

 先輩達には気付かれる間もなくはその場から去った。


 いや、何で『俺達』? 

 なんで淡海さんも一緒に帰るの? 友達と来たわけじゃなかったの?


 ……どうしてこうなった?

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