chapter2「優しいね」 その1

 王一大学 食堂




 慌ただしく人の出入りが行われている食堂。やはり利用者が多いため昼飯の時間帯は大変混雑しているが、『混雑時の長居はご遠慮ください』という注意書きを、みんな真面目に守っているらしい。

 俺も早いとこ席をお譲りしたいのだがな。目の前の女がそうさせてくれそうにない。


「どこ見てるの? 一ノ崎君」

「いや、別にどこも」


 天崎さんに連れられるままに、昼飯を共に過ごしてしまった。可愛い子と二人きりになれて喜ぶべきなのか、それとも鬱陶しいからとなんとか突き放すか。まあ、面倒でない方にしておこう。


「で、天崎さん、さっきの話なんだけど……どこからが冗談?」

「冗談は苦手だなー。私、真剣にお話してたつもりなんだけど?」

「……いや、おかしいでしょ、それじゃ」


 さっきは面食らったが、冷静になって先ほどの天崎さんの発言を全て分析してみたが、結論として、一つわかったことがある。

 天崎さんは、異常者だ。


「まずさ、冷静になって思ったんだけど、俺のこと調べたって何? 二ノ宮君に聞いたっていう意味? そもそも彼にもあまり自分のこと話してないんだけど。なんでたいして知らない人間にそこまでお節介できるの? しかもかなりズレてるし」


 天崎さんは一呼吸置いた。というより、溜息を吐いたようだ。

 何の溜息だ。


「ごめんね、一ノ崎君。実は私、大学ではまだ、ソラ君に直接は会ってないの」

「は?」

「だから、調べたっていうのは、一ノ崎君の前の高校だけ。知ってる? 一ノ崎君と同じ高校出身の人、結構うちに入学しているんだよ? 一ノ崎君、参恵高校出身だよね? いつも使ってるシャーペンに高校名が書いてあるよ。『参恵高等学校創立五十周年記念』って。折角貰った物だから使ってるんでしょ? 高校がわかれば、そこに通っていたっていう同学年の生徒に話を聞ける。最初は私と同い年だとは思ってなかったけど、一浪しているっていうのはソラ君に話してたもんね? それは盗み聞きしてたから」



 おいおいおいおい、何言ってんだ、この女。シャレになんねぇぞ。


「で、そこからが大変だったよー。だって、誰も一ノ崎君のこと知らないんだもん。仕方が無いから、一ノ崎君と同じクラスだったっていう人を探すために参恵高校の人に同高の人手当たり次第紹介してもらって、なんとか一ノ崎君の情報にありつけたってわけ」


 め、滅茶苦茶だぁ。ど、どうしよう……。

 ……落ち着け、俺。高校か……それならまだいい。調べなくてもわかりきっていることだ。


「一ノ崎君、一匹狼だったんだって? なんか近寄りがたい人だったってみんな言ってたよ? 一人が好きなのかな? でも、やっぱり一人だけで生きていくっていうのは無理があると思うよ? 家族、友達、恋人、そういった人間関係の積み重ねが、社会で生きていくために一番重要なことだと私は思う。日本の義務教育には含まれていないけどね」

「余計なお世話だ」

「それが私の趣味なの。そういうわけだから、私と恋愛、してみましょう!」

「どういうわけだ」

「嫌なの? 私、魅力ない?」


 首を傾げて上目遣いをしてくる。この女、自身が可愛いことを理解している。だが、そういう問題じゃないだろ。


「……あのさ、何でそこまでする必要があるの? 人助けが好きだからって、俺に対してそんな自己犠牲みたいなことされても困るだけなんだけど」

「犠牲にするつもりなんて無いけど? 別に一ノ崎君にだけするわけでもないし」

「…………ますますわけわかんないよ」

「だからぁ、これが私の趣味なの。相手が幸せになってくれるなら何でもしたいの。今までだってそうしてきたし。一ノ崎君、私と恋人になるの、嫌?」


 だんだんわかってきた。この人がどういう風に異常なのか。


 『人助け依存症』。一言で言うならばこうだ。

 生粋のお人好しで、困っている人、または困っていそうな人を放っておけないのだ。だが、一度手助けしようとしたら、恐ろしいまでに相手に執着する。決して善人ではない部類。今考えた。

 そんな人間、生まれて初めて見るタイプだが……まあ、世界は広い。


「俺は嫌じゃないけどさ……いつか自分が困るよ? そうやって簡単に男に……その、取り入る……っていうのは。自分に執着するような奴が出てきたらさ、それこそその趣味、続けられなくなるよ?」

「大丈夫! 私、人を見る目はあるからさ。そういう執着心の強い人には、私以外のお似合いな女の子を紹介してるから! あ、もちろん男女逆も然り! 同じ人間関係で悩んでいる人でも、色々な悩みがあるけれど……例えば、本人の容姿とか性格とかで悩んでいる人は、私がそこら辺の矯正に努めるけど、同時並行で私に依存したりしないように、友達作りや恋人作りも行ったりしてるよ! 一ノ崎君みたいなあまり人に依存しそうにない人は、直接私が友達や恋人になって、少しずつコミュニケーション能力を培っていったりしているけどね!」


 嘘だろ……。こいつ、異常なだけじゃなく、ひょっとして偉人なのか?  現代のマザーテレサ? いや、これもうメシアだろ。


「流石に、話盛ってるよね?」


 なんか怖くなってきた。俺が今相対している人間は、ひょっとすると稀代の超人……後の大統領なんじゃないか?


「やだな、そんなことして意味あるの? 例えばほら、実はソラ君も私の人助けの対象なんだよ? 私のことが信じられないなら、ソラ君を介した方がよかったりする?」

「え? いや、信じられないっていうか―――」



 結局、二ノ宮君を呼び出される羽目になった。俺はこういうこともあろうかと、予め彼の連絡先を持っていなかったのだが、当然のように天崎さんが彼の連絡先を持っていたため、あっさり二ノ宮君は召喚された。


「隼!? ど、どうしてハルちゃんと……?」


 ハルちゃんって誰? ってか、相変わらず女の子みたいな見た目だ。まあ、それでいじめられていたなら、何も言えないけど。


「たまたま会ってねー。ソラ君と友達みたいだから、一緒にお話しよーって思ってさ」

「へ、へー……そうなんだ……」


 嘘は言ってないな。嘘は。

 いや、『友達』? そこは嘘だな。というか思い違いだ。


 二ノ宮君が来て、天崎さんは中学時代の話を始めた。しかし、なかなか話の中に二ノ宮君は出てこない。

 俺はてっきり、天崎さんは優しいから二ノ宮君のいじめの話をしないのかと思っていたが、どうやら違うらしい。

 そもそも自分の人助け趣味を信じてもらうために二ノ宮君を呼び出したこともそうだが、彼女が二ノ宮君と同じ中学であるにも関わらず、彼の目の前で彼の話題を出さずにいるのは、おそらく二ノ宮君が自分から自身の話題を出すのを待っているからだ。

 二ノ宮君の性格も理解しているのだろう。自分から話を切り出すことはないだろうが、この状況で天崎さんが適当に話を振れば、自分の中学時代を語り始めることだろう。二ノ宮君は口下手だが、自分や自分の好きなものについての話だけはスラスラと出てくる。おっと、どうやら俺も二ノ宮君の性格を理解し始めているらしい。よくないよくない。


「――ね、懐かしいよね、ソラ君」

「え、あ、うん……。でも、僕はその……あまりいい思い出はないかな……」


 これで俺が『何で?』なんて言ったら自分語りが始まるんだろうな。お口チャック。


「……隼は知らないよね? 僕、その……中学の頃……結構その……周りの人にいじられたりっていうか……」


 自分から話し出すのか……。

 思っていた以上に二ノ宮君は自分のことを話すのに抵抗がないようだ。あるいは、共感を得たいのか。

 二ノ宮君は自身の受けたいじめを詳細に語った。長い髪を引っ張られたり、女扱いを受けて性差別のような罵倒を受けたり、他にも種々雑多ないじめを受けていたらしい。昨今は陰湿なタイプのいじめが増えていると聞いたが、二ノ宮君の場合はどちらかというと直接的ないじめが多く、やや非現実的にも思えてしまった。


「でも、そんな時、ハルちゃんが助けてくれたんだよ」


 二ノ宮君は天崎さんの方に目線を向けた。

 あ、ハルちゃんって天崎さんのこと? 下の名前ハルだっけ? 忘れた。


「いやいや、たいした事はしてないよー。ソラ君が頑張ったからね」

「いや、僕は本当に……。ハルちゃんがいたから僕は……」


 何だ何だ、ちょっと重くないか、おい。

 二ノ宮君の声の調子が僅かに浮ついている。もしかすると、感謝や恋愛感情というよりは崇拝に近い感情を天崎さんに抱いているのかもしれない。


「昔は色々あったけどさ、今はもう一ノ崎君みたいな友達もいるみたいだし、上から目線で言う様で申し訳ないけど、よかった、よかった! ね!」


 俺に目配せしてくれるな。もう友達扱いは確定なのか?


「ところでさ! 二人はもう入るサークルとかは決めたの?」

「いや、入るつもりもないけど」


 二ノ宮君が驚いたような表情を浮かべる。だんだん絶望していっているように見えるが大丈夫か?


「そうなの? ソラ君は?」

「え? ……えっと……僕は、その……食事会に行こうと思っている所があって……」

「へー! いいじゃん! どこ?」

八子会はちこかいっていうサークルで……」

「あー、あそこね! 一応私も籍置いてるよ。人形劇やってるとこでしょ?」

「う、うん! そっか、流石ハルちゃん、兼サーしてるんだね」

「やー、まあいくつかねー。……ってかさ、一ノ崎君も一緒に行ったら? その食事会」


 なんだと? 冗談は止めてくれ。なんでそんな面倒なことを俺が―――。


「一緒に来てくれるの!?」


 二ノ宮君が目をキラキラとさせている。さっき絶望しかけていた理由がよくわかったよ。

 ……ってか、俺まだ何も言ってないよ? 小声で項垂れていたのがよくなかったかな? 『うーん』が肯定に聞こえたのかな?


「ほら、ソラ君は来てほしそうだよ?」


 この女は……。

 二ノ宮君を呼んだのは自分の人助け趣味を信じてもらうためだけではなかったようだ。

 いじめの話が本当だったことが分かった今、先程の天崎さんの武勇伝めいた話は嘘ではないのだろう。俺がまともな対人関係を築くために、先ずはサークルにぶち込もうという作戦か。断りにくい状況を作り出したりして、俺のような天邪鬼相手にはこうした搦手を使ってくるってわけだな。


「あ、ちなみに食事会はタダでご飯食べられるんだって」

「わかった、行くだけ行くよ」


 タダ飯ならしょうがない。とりあえず、行って得することがあるのなら、多少の損は目を瞑るとしよう。なにせタダだしな。

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