──12── いつか一緒に、星を見にいこう
カラオケ店に戻り、目当ての紙袋を取ると、俺は一ノ瀬を引っ張って、人気のない場所を目指しはじめた。
と言ってもこの街のことなんて、俺はなんにもわからない。だから結局、辿り着いたのは見覚えのある裏路地だった。一ノ瀬と、初めて出会った場所。
「ちょっ……なに、なんだよ……!」
強引に引きずられたせいだろう、一ノ瀬は息を弾ませて、かすかに肩を上下させている。俺はにっ、と笑って足を止めると、骨ばった手首を解放した。
一ノ瀬は小さく舌打ちして、手首の具合を確認している。無愛想で不機嫌な顔に向かって、俺は笑って話しかけた。
「今日部室寄ってさあ、たまたま持って帰ったとこだったんだよ」
どーん、なんてわざとらしい効果音付きで、紙袋の中身を取り出す。白いVRゴーグル。端に『相崎高校天文部』のシールが貼ってある。
「は? なに、それ」
「いいからいいから」
「えっ、ちょ……うわ!」
問答無用でゴーグルをかぶせてやった。いきなり視界を塞がれて不安なのか、「おい!」とわりと本気の怒声が飛んでくる。それを無視して、俺はごそごそ紙袋からコントローラーを取り出した。
「えーっと、これがこっちで……」
「敬斗! いい加減に──」
「あ、これか」
むに、とボタン長押しでゴーグルの電源を入れる。とたん、うわっ、とびっくりしたような声が聞こえた。顔を上げる。
ゴーグルをつけた一ノ瀬は、戸惑ったように両手を宙に浮かせて、きょろきょろとあたりを見回していた。小ぶりな頭が呆然と上を向く。
「なに、これ……」
「
息を呑み、驚いたように空を仰ぐ一ノ瀬。予想以上のリアクションに、ぐんと機嫌が上昇するのを感じる。俺は得意げに胸を張って、人指し指まで立てて説明した。
「これな、うちの天文部で実際に観測した星だけで作ってるんだよ。いま一ノ瀬の目に映ってる星はぜんぶ、俺たちが本当に見た星なんだ」
「ほんとうに見た、星……」
桜色のくちびるが半開きになって、一ノ瀬は俺には見えない星にじっと見入っている。息を詰めて空を見つめる素振りは、本当に感動しているようだった。なんだかすごく嬉しくなって、口の端に勝手に笑みが浮かぶ。
手近なビールケースに腰を下ろした。俺はコントローラーを操作して、これは秋、これは冬、と星空を切り替えていく。そのたびに一ノ瀬はすごい、と素直な感嘆を漏らした。
「で、これが春な」
「こんなに……すごいな……夏は?」
「夏はいま作ってるとこ」
「……そうなんだ……」
息を呑んで、頬を紅潮させて、きょろきょろと頭をめぐらせて。一ノ瀬はただひたすら幻影のプラネタリウムを見つめている。きっとゴーグルに隠れたあの可憐な瞳は、星よりずっときらきらしているに違いない。
なんだかすごく楽しくなって、俺は笑った。
「なんだったらさ、それしばらく貸してやるよ」
どうせゆりが戻ってくるまで、まともに部活なんてできないのだ。美優だって許してくれるだろう。
そう思って提案したのに、一ノ瀬からは返事がない。どうやら彼の耳には届いていないようだった。華奢な人影はほとんど無言になって、ひたすら星に見入っている。
(なんか、子供みてえ)
一ノ瀬は俺よりずっと色んなことを知っていて、冷静で、すごく大人っぽい。というか実際に彼は大人だ。そんな一ノ瀬が、俺たちの作ったつたないプラネタリウムにこんなに夢中になっているのが、なんだかとても誇らしく感じられた。
ビールケースに座ったまま、しばらく、星を見上げる一ノ瀬をそのままにしておいた。冬が見たいとか秋がいいとか、言われるたびに切り替えて、あとは彼が頬を赤くして空を見回すのを好きにさせておく。
きらめくネオンに追いやられ、小さすぎる惑星がひとつ、それ以外はなにもない空の下。息を呑んで本当は存在しない星に見入っている、少女の形をした男。その表情はどことなく無垢で、子供みたいにあどけなかった。
夏休みの少年みたいな顔をしている彼を見ているのは楽しかった。けれど時間も押している。俺は名残惜しい気持ちをこらえて立ち上がった。
「ごめん、今日はここまでな」
「あ──っ」
製作者としては気持ちいいほど感動している一ノ瀬の頭から、ゴーグルを奪い取る。さらさらの髪が少し乱れて、ものすごく残念そうな目が俺を見た。その瞳がすっと上を向いて、此倉街の、木星以外なんにもない真っ暗闇を見上げている。
「……」
現実の、ほんとうの空を見つめる横顔が、なんだかひどくさみしそうに見えた。どうしてだろう、なんとも言えない気持ちになる。なにも悪いことなんてしていないのに、取り上げてごめんな、なんて単語が浮かんでくる。だってこんなに楽しんでもらえるなんて思わなかったんだ。
俺はゴーグルを見下ろすと、ちら、と上目遣いで一ノ瀬を見た。彼はまだ真っ黒い闇を見上げていて、俺の語彙じゃ言い表せないような、静かな、なにかをこらえるような顔をしていた。なんとなく、この男を放っておいてはいけないような気がした。
「なあ一ノ瀬」
思ったより大きな声が出た。真っ暗を見ていた一ノ瀬が、視線を下ろしてこちらを見る。その清楚な瞳に向かって、俺は声を強くして呼びかけた。
「小野塚が見つかったらさ。一緒に星、見に行こう」
「え──」
驚いたように目を丸くする一ノ瀬に、ゴーグルをかざしてみせる。にっ、と笑った。
「おまえが見つけた星も、俺がここに足してやるよ。とりあえず、あの木星はおまえのな!」
ぴっ、と指を高く持ち上げて、たったひとつしかない星を指差す。ぎらぎらの電飾に押しつぶされた夜の中で、負けまいとするみたいに光る小さな星。それがなんだか一ノ瀬みたいだと思って、でも、それは言わないでおいた。
「俺の、星──」
一ノ瀬のきれいなくちびるから、小さな声がする。驚きでぽかんとしていた表情が、だんだんと変わっていって、くしゃ、と笑みの形に崩れて。
「……バカだろ、おまえ」
にじむような苦笑が、そう言った。なんでだよ、と言い返す。一ノ瀬は嬉しいんだか呆れてるんだかわからない顔で、くすっ、と笑った。
「とっくに登録済みだったろ、木星」
手元のゴーグルを指差される。俺はむ、とくちびるを尖らせて、「ごちゃごちゃ言うな」と言い返した。その勢いのまま、お嬢様っぽい制服の胸元にゴーグルを押し付ける。うわ、と一ノ瀬がキャッチした。
「とにかく、貸してやる。持って帰っていいし──」
「──きみたち、こんなところで何してるの?」
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