Ⅲ:会議はまず点呼から
「では、形式的ながら——いつも通り、点呼の方から始めさせて頂きます」
何枚か紙が留められたクリップボードと、それに何かを書き込むためのペンを手にしたミツキは、紙を一枚めくりつつ——会議の第一段階への移行を宣言する。
そしてそのまま彼女は、その場にいるはずの者たちの名を確かめるように、順番に呼び始めた。
「財務室室長——
「はい、こちらにおります」
まず名を呼ばれ、そして応えたのは——知性の光を有した瑠璃の瞳と、肩まで伸びた藍色の髪から見える機械的なパーツが特徴的な少女。
彼女が普段キンキン声で怒鳴っているのを見たことがない者であれば、言動と立ち居振る舞いから滲むその落ち着いた雰囲気から、さながら知性溢れる才女のように見えたことだろう。
「……いっつも思うんですけどぉ、カノン
「…………、————(ピキッ)」
「あ、反省を活かして耐えましたね~。ま、まあ……思いっきり額に青筋が浮かんでますけど~……」
————だが少なくともこの場において、そんな表向きの印象のみしか知らぬものはいない。
「こほん……では続きまして、戦略室室長——
「…………」
……スッ、と沈黙したまま片手を挙げ——言葉の代わりに出席を表明したのは、丁寧に整えられた純白のショートヘアの上にきっちり被った軍帽と、肩から羽織った全権生徒会の制服が、まるで軍人を思わせる少女。
すらりと伸びた足を組んでいるその姿だけで、ミツキとはまた違う鋭さ——冷たい氷のようなそれではなく、鋼鉄のように厳格な威圧感を与えるには十分だった。
「……ねぇ、なんでまたあの人は、急に黙って挙手したりなんかするのかしら……」
「うーん、先ほどまでは普通に話していらっしゃいましたよね~……」
「…………といいますかぁ、完全にドヤ顔してませんかアレぇ……」
「————————————ふっ」
「あ、『決まった』みたいな顔してるわね……」
「ま、まあ~、カッコいいと思う基準は人それぞれでしょうから~……」
……ただそれも、彼女の軍帽の下の表情を伺えば、その裏が見えてくるだろう。
普段は明確な表情が出ない彼女の顔に浮かぶ——得意げに伏せられた眼と、不敵に吊り上がる口角という、あまりにも隠す気のないドヤ顔は。
これまた彼女に近しいメンツにとっては、その鋼鉄の厳格さの裏にある、チサトの本来の側面と認識されている。
「…………ひとまず出席、ということに致しましょう。お次は、監査室室長——
「ふぁぁぁぁ~、やっと私ですかぁ……はぁいここにいまぁすぅ……」
続いてテーブルに突っ伏したような体勢であくび交じりに反応したのは、全権生徒会のコートの袖や裾をだぶだぶに余らせた、その場の誰よりも小さな体躯の少女。
薄い黄色のなかに水色の筋が通る髪を適当にまとめ、寝ぼけまなこの黄金の瞳でにへらにへらと笑うその様は、彼女の性格を体現しているといえよう。
「会議室のキープと会議への出席……もう仕事は終わったようなものでしょうからぁ——
「あら~、もう目を閉じた瞬間に寝落ちされてますね~」
「ちょっと待ちなさいよ!? い・ま・か・ら会議が始まるのよ!? がっつり寝ようとしてるじゃない!!」
「むにゃむにゃ……」
カノンが目の前で金切り声を上げるも、全く微動だにせず爆睡を決めこむヨイ。
完全睡眠体制に入った彼女を起こす手段がなにかないか、血が上る頭で思案するカノンだったが、しかしその時——先ほどまでドヤ顔をキメていたチサトが、突如すっと席を立つ。
「はぁ……ヨイ監査室長が本当に寝てしまうのならば、私も今回は動かざるを得ないな」
「チ、チサト室長? どうしてあなたがまた突然……」
「彼女をここまで連れてきたのは私だ。そして会議に出席させる以上、最低限話を聞いているならまだしも、完全に寝てしまっては本末転倒だろう?」
「いや、半寝も正直看過してほしくないんだけど……」
いつもの感情の読み取りづらい仏頂面に戻った彼女は、「まあ任せてほしい」とカノンに伝えると、顔と同じく感情の一切を打ち消した声調で語り掛ける。
「ヨイ監査室長、君はまだ眠たいようだが、とにかくひとまず起きないか」
「——————むむぅ……今度は何ですかぁ? 正直ぃ、ここじゃなくて監査室のふかふかソファに全身ダイブしたいくらいなのでぇ……これでも譲歩した方なんですよぉ? さっさと会議が終わってくれないですかねぇ……」
反応こそしたものの——ぬけぬけと言い放つその答えは変わらず
相対するチサトは小さく息を吐くと、まずヨイを叩き起こすための交渉材料を切り出す。
「ふむ、君がそのつもりならばおそらく、会議はなかなか終わらないだろうな」
「知ったこっちゃないですよぉ~……私が平穏に寝られるぶんにはぁ、会議がいくら伸びようと関係なぁいですぅ……」
「ふむふむ……ではいつでもどこでも睡眠が可能な君には、監査室のふかふかソファは不要なわけだ」
「…………は?」
————瞬間、それまでへらへらとした表情を浮かべていたヨイが、彫像と化したが如く動きを止める。
そしてその変化、すなわち——チサトの
「なるほど、理解した。いま戦略室に連絡を入れて、先ほどの一件で散らかっている監査室のなかからいくつか不用品を搬出してもらうことにしよう。片付けの邪魔だろうからな」
「——んなぁっ、ななななななにを突然言ってるんですかぁ!?」
極めて真面目な顔で淡々と畳みかけていくチサトの様子に、
「ふむ? ヨイ監査室長——眠かったんじゃないのか?」
「うっ……ず、随分と良い性格をしてるじゃぁないですかぁ……!!」
無表情にどこか威圧感を纏うチサトと、冷や汗を浮かべ顔を引きつらせるヨイとの視線が、数秒間の沈黙の中、交錯する。
その数刻の静寂を破り、先に口を開いたのは——ヨイ。
「くっ……ま、まぁ? たしかにソファが失われるのは惜しいですけどぉ……そんなものはいくらでも経費で買えますしぃ? 私的にはかすり傷程度といいますかぁ?」
「一応かすり傷ダメージはあるのね……って待ってよ最終的にその経費出すの
動揺を見せたことで失われた主導権を取り戻そうと、ヨイは声を上ずらせながらも余裕の表情を取り繕うが、チサトの表情は一向に変わらない。
むしろ強がっているのがバレバレ——虚勢を必死に張る滑稽なその姿に、会議室の一同はただ半眼を向けるだけだった。
「ぐぬぬぅ……!! も、もーいいですよ——ふん、こーなればストライキですぅ。労働者の最低限の権利のぉ、良質な睡眠環境すらも踏みにじられるのならぁ……実力行使ですぅ……!! ふぁっきゅぅ……!!」
「この期に及んでまたそんなことを……仕事に向けてほしいわよ、睡眠に対するその謎の情熱……」
もう後には引けないのか、ついには勝手極まりない理由で、堂々と業務放棄宣言をし始める始末の
その場の誰もが同時についたため息の意味を、頭を抱えたカノンが代表して言葉にする。
「ちなみに補足ですが~、わたしたちは立場上、学園都市の運営に関わる公務員ということになるので~、恐らくストライキの権利は保証されてないはずです~」
「え、マジですかそれ」
「…………学園都市法令第98条3項によって、学園都市の運営など、公共的に影響の大きい事案に携わる人員は、ストライキなどの自由が認められていません」
「うっ——そですよねぇ!? そんなのもうブラック企業と変わらないじゃないですかぁ!!」
「ブラックというか、普通に公務員のルールなんだけど」
そしてトドメに、ナナミとミツキの二人が——片や苦笑い、片や疲れたような表情で、
へらへら眠ろうとしていた時の緩い声音はどこへやら、猛然と抗議の声を張り上げるサボり魔は、だがそれでも——と今度は不敵な笑みに切り替え、
「な、ならほんとぉ~に本当の最終手段ですぅ!! 監査室長としての立場・権限・人徳その他諸々をかけて——」
「ま、まさか次は堂々と職権濫用するつもり!? いい加減くだらなすぎない!? そして今更人徳って……」
監査室長としてのすべてをかけて抗ってやる——言外にそう告げる気迫に、しかし冷静に考えればただの暴論でしかないそれを、ツッコミも加えつつ呆れるカノンは。
「——不貞寝ですぅ……お休みなさぁい……ぐぅ……」
「…………なんだか、結局振り出しに戻ったみたいですね~」
「全てをかけた
……何をするかと思えば、意地でも寝てやるという——むしろ純粋なまでの宣言に。
怒りも呆れも通り越した結果、ただただ遠い眼をすることしかできないのだった。
「————ふむ、会議はまだ点呼の段階にもかかわらず、ここまで手間がかかるとはな……仕方ない」
「……チサト室長、まだなにかお考えが?」
落ち着いた声音と顔つきの裏に、呆れに加え疲労を僅かに滲ませたミツキがそう問うと、腕を組み目を閉じていたチサトが首肯を返す。
鍛え抜かれた彼女の身体を象徴するそのスタイル——その一端を担う腰に、彼女は片手を当て、もう片方の手を長机に置き——
「ヨイ監査室長。君はどうやら、過剰な睡眠によって寝ぼけているようだな」
「…………くっ、な、なんですかぁチサト
——異様なほど、静かに。
完全に不貞寝を決めようとしていたヨイが、あまりの気味の悪さに冷や汗をかきながら薄目を開けるほどに、抑揚のない無感情な声で。
「恐らく、会議に寝ぼけて参加しているからこそ、君の口からそのような
「……な、なにが言いたいんですかぁ? 言い回しが回りくどいですよぉ……」
ヨイが戦々恐々と示す反応とは無関係に、チサトが次々と言葉を並べていく。
自分に語りかけられているのか、あるいはただの独り言なのか——声だけでは理解できず、いっそう不気味さを強めるチサトの言葉。
「——————」
「……な、なにが言いたいんですかぁ~? はっきり言ってくれないとわから——」
——人間は、
そんな言葉が脳裏をよぎりつつもヨイは、自らが心のうちに抱くそれを抑えるように、そしてそれを表に出さぬようになんとか余裕を装い、
「——ひ」
嗚呼———そのまま目を閉じ、無理やり不貞寝しておけばよかったのに、と心底後悔した。
紡ごうとした言葉は、眼前のソレへの恐怖によって強制的に途切れさせられ、代わりに口からは、残る意識でかろうじて音量が抑えられた悲鳴が漏れる。
さながら源泉を掘り当てた温泉のごとく湧きだした涙によって、うるうると揺れる黄金の瞳のその先には。
「この私が目覚めさせてやろう。さっきと同じやり方で」
———完全に
そしてそれを完全に認識したヨイが、うまく回らない口で必死に声を上げようとした、その瞬間——。
——バンッッ!!
「きゃっ!? い、いまなにがっ!?」
唐突に会議室を裂いた爆音——否、明らかな発砲音に、震え始めたヨイに気を取られていたカノンが、
「ぁ……ああぁ……」
それとほぼ同時に、大きく見開かれた黄金の瞳を潤ませ、ぷるぷると震えていたヨイが何かを理解して、顔が青ざめていく。
そしてついに目の貯蔵限界量をオーバーフローした液体が流れ出すのをそのままに、ギギギ……と幻聴できる首の動きで、破裂音の発生源——自らの後方、会議室の壁面を振り返る。
……そこには、深く深く食い込んだ一発の弾丸。
会議室の入り口の扉と同じく、最新鋭の防弾性能を有した壁に明確に刻まれた、蜘蛛の巣状に広がる
「ふむ、外したか」
「……ぁへっ、あの、あのぉ……じょ、冗談、ですよねぇチサトしつちょぉ……?」
自身の腕の長さほどの、髪色や羽織った制服と同じく白をメインカラーに据えたライフルを、いつの間にか手にしていたチサト。
机の対面に向けられたライフルの銃口から微かに立ち上る硝煙は、彼女が
それを目にして、ついには体全体でガクブルし始めたヨイを他所に。
「はぁ……嫌な予感がすると思えば、また始まりましたね……」
「ミ、ミツキ先輩!? 諦めないでくださいって!! ちょっとチサトぉっ、ここで
「ふむ? 会議室の外には爆薬のみ使用を禁ずる旨があったと思ったのだが……銃弾は規定外ではないのか?」
「ふ・つ・うに考えて屋内で発砲なんかしないでしょうが!! なんで変なとこで融通利かないのよぉっ!?」
曰く、別にライフルの使用は別に禁止ではないだろう?——と。
きょとんとした顔で問うてくる様子からして本気でそう思っていたらしいチサトに、カノンはガシガシと頭を掻きむしりながら天を仰ぐ。
「あらら~、盛大に痕がついちゃってますね~。チサト戦略室長、もしかしてライフルに何か手を加えられました~?」
「む、わかるかナナミ君。ライフルではなく弾の方なのだが、実は先日、特殊な徹甲弾を採用してみたんだが」
「なるほど~。私の見立てですと~、弾痕の様子からして貫通力が二割ほど向上しているとお見受けします~」
「そこ、なにを和気あいあいと話してるの!? 銃弾談義やらないでよここ会議室なんだけどっ!?」
一気に混沌と化した場と渋滞するツッコミどころをどうにか収めようとするカノンは、しかしあまりの情報量の多さによって後回しにされていた違和感に——やがて気づく。
「っていうか待って……『さっきと同じやり方』ってなによ? それって一体どういう……」
チサトによるヨイの強制目覚まし——
その際に彼女がさらっと口にしたセリフの意味を、疲労と不機嫌の極みといった様子でカノンが問うと。
「…………ふむ? いや、ヨイ監査室長を監査室から連れ出す際にも、『同様の手段を用いた』、という話だが……先ほども伝えなかっただろうか?」
「あの時はあなた『引っ張り出した』としか言ってなかったじゃないのよ!? 単語に意訳を詰め込みすぎなのよ分かるわけないでしょうがぁ!!」
……曰く、監査室から無理やりヨイを引っ張り出す——つまり、ライフルで脅した末に物理的に気絶させて強制連行したという。
副次的に出る被害を度外視した手段をとった、と曇りなき
トラブルに次ぐトラブルを(おそらく悪意なく)引き起こす問題児の真顔に、ついになにかがぷちん、と切れた音がしたカノンは、そして——
「————い い か げ ん に……」
「あぁなるほど——監査室の爆破被害の請求書を
「あの、まさにガチギレしようとしたとこにさらに追い撃ちするのやめてくれない……?」
あ、強制連行の過程で監査室爆破しちゃったから、予算よろしくね——と。
厚顔無恥どころの話ではないさらなる追撃に、もはやカノンは怒りを通り越して、能面のごとき無表情になるしかないのであった。
「…………一応被害者なんですけどぉ、当事者の立場で言わせてもらいますねぇ……? なんかもう、カノン
「あはは~……そう思って頂けたならば、どうか気にかけてあげてください~。
わ、わたしも正直、あそこまで怒ったカノンちゃんは、なかなか見ないので~……」
「さ、流石にこの私もこれはぁ……ちょっと反省してますはいぃ……。というか人ってぇ、あまりにキレすぎるとあーなるんですねぇ……覚えておきますぅ……」
それまで何度もキレまくっていたカノンが、ついには光を失った瞳とすべての感情が抜け落ちた能面の表情で、ただ虚空を見つめ始めた様を遠巻きに眺めて。
流石に罪悪感を抱いたヨイと、冷や汗を浮かべて苦笑いするナナミは二人。
——ちょっと今日は真面目にやろう、と心中で決意するのだった。
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