序幕:アウリオンのいつもの日常

1:少女の平凡なとある朝

まず最初に認識できたのは、暗闇を無理やりこじ開けるかのように、どこかからするりと強引に滑り込んでくる光だった。


「ん……んんんぅ……」


それが閉じられた自分の眼——視覚から入ってくる太陽の光だと認識するのには、僅かに浮上した意識でも数秒とかからなかった。

そして心地よい穏やかな暗闇から、自分の意識を容赦なく引きはがそうとしてくるその太陽に対して、半ば無意識に手がもぞもぞと動く。

閉じた瞼を貫通し、視覚を通して脳を暴力的に叩く光を遮断するという、重要な使命を負ったその手は。

何かを探すかのように、緩慢な動作、しかし焦るようにあちこちに動いて、ついに目的と思しきものに触れた。


「んん……? うぅん……」


柔らかで滑らかな、温かい布の感触を反射的に感じ取る。

それとほぼ同時に、手の中のその感触をぎゅっと掴んで——頭の上へと一気に引き上げる。


「……ん……」


すると、先ほどまで一方的に知覚への主張を続けていた太陽光が、再び暗闇へと消えていった。

ぐっじょぶ、お布団……などと、再び微睡みの中へ沈んでいく意識で漠然とサムズアップ(想像)して。

布団による完全武装体勢で、さっそく二度寝に戻ろうとした——その時。


『ピピピピ! ピピピピ!』————と。

今度は耳元でけたたましく、鼓膜から意識へとアプローチする騒音が鳴る。


「んんぅ……こんどは……なに……」


沈みかけた意識が再び浮上し、穏やかな睡眠への道筋が遠のいていくのを感じる。

手に掴んだままの布団を頭へとさらに引き寄せ、音を遮断しようと試みる、が。

『ピピピピ! ピピピピ!』となおも勤勉に役割を果たすそれを、完全に遮るには至らない。


「……もう~……んん……」


仕方なく、体は勝手に次の手段を試みる。

再び手がもぞもぞと動き、布団の外にある、音源となるものを排除しようとする。

そして硬い感触の板状の物体——自分のスマートフォンだとそれを認識して掴むと、それを布団の中の暗い楽園ユートピアへと引き込んだ。


「んんんん……」


ぼやけて良く見えない目を辛うじて薄く開き、迅速に目覚まし機能のスヌーズボタンを見つける。

そして文字通り、目にもとまらぬ速さでスヌーズをタップ。


『ピピピピ! ピ……』

「ん……、むにゃ……」


こうして三度目の平穏が、今度こそ訪れたのだった。

そう、それは―—音と光、もはやどちらにも邪魔されることのない、わたしだけの時間……。

なんとない幸せを噛みしめながら、わたしは意識を夢の中にダイブさs——


「——まっていまなんじだった!?」


——とは行かなかった。

スヌーズを押す直前、視界の端にギリギリ映り込んだ情報が、時間差ながら眠気を完全に吹き飛ばした。

その情報——スマホが示す時刻は、10時20分。


「うわあぁぁぁあああ!? やっちゃったぁぁ!!」


さっきまで睡眠モードだった身体のどこから、こんな声量が出たんだろうかと、自分でもびっくりするくらいの声が出る。

それもそのはず——今日は10時から、とても大事で重要度最大なイベントがある。わたしはこの日のために、わざわざ友達との予定を平身低頭でキャンセルしてまで備えていた。

昨日も、いつもより早めにご飯を食べて、お風呂に浸かり、計画を入念に確認してベッドへと潜り込み、準備は完ぺきだった。

——だけど。


「楽しみ過ぎて眠れなかったのが完全に想定外だった……!」


準備はオールオッケー、さあ後は寝るだけだぞというところで、まさかの落とし穴。

構えに構えすぎたせいで、逆に予定が楽しみ過ぎて目が覚めてしまい——と。

いくら何でも幼稚すぎる寝坊原因に思い当たり、思わず頭を抱える。


「わたしったら、ちっちゃい子供じゃあるまいし、なんでまたこのタイミングで……ってこんなことしてる場合じゃなかった!」


と、こうしている間にも時間は過ぎていく。

わたしの身体を包み込み眠りへと誘ってくる、まだ暖かい布団を蹴飛ばして、わたしはベッドから慌てて跳ね起きた。

その動きで布団やベッドが乱れたけど……うぅ、ベッドメイキングはひとまず今日、帰ってきてからやることにしよう……。


「うぅぅ寒い……! でもまず顔洗わなきゃっ」


今まで自分を底なしの暖かさで包み込んでくれていたお布団の感触がなくなり、部屋の空気の冷たさを身に染みて実感し、思わず震える。

その寒さから逃げるように、ベッド横に並べていたスリッパも履かず、わたしは洗面所の扉へ向けて朝一番のスタートダッシュを切る。


「ぶわっぷ!? ひいぃ冷たぁ~……!」


洗面所に入ったわたしは水道のレバーを動かし、出てきた冷水を掬って顔を洗う。

……さ、さささ流石は朝イチの水道、一切人間に手心のない冷え方してる。

——と、そんな無慈悲極まりない温度の冷水が何度も顔を叩くうち、ひとまず寝ぼけ気味の頭が叩き起こされていく。


「え~っと、つぎつぎ! 歯磨いて、髪梳いて、身支度して、ご飯——はいったん今はパス!!」


いつもなら丁寧に顔の水分を拭きとり、歯磨きなり髪を梳いて整えるなりするところだったけど——その時間も惜しい現状、全部をなるべく最大効率でこなさなくちゃ。

タオルを適当に顔に当てて洗面所を脱出、慌ただしく扉へと引き返す。

道中で右手に歯磨き、左手にヘアブラシという、全く趣のない両手に花状態に相成りつつ、それらで同時並行の作業を進める。


「あえ? せーふくろこにやったっへ!?(しゃこしゃこ)」


右で口をしゃこしゃこ、左でわしゃわしゃ髪を引っ掻き回すという両手フル稼働状態。

どったんばったん騒がしく部屋を右往左往して、最速目指して準備を整えていく。

しかし遅れを取り戻すべく、朝からあちこち部屋を駆けずり回った結果、ゴミ屋敷一歩手前レベルの室内という惨憺たる様。

制服ひとつ見つけサルベージするのにすら手間取る、まあまあな規模の散らかりの海を、そうしてばたばたしながら往復しているうち——


「あああはやくはやくはやく——きゃあぁ!? いたたた……」


ようやく靴下を履き終えたばかりの足で、今度は何か薄い紙のようなものを踏みつけ——そして、滑る。

かなり強めに前から倒れたものの、幸いにも倒れこんだところに布団がイイ感じにあったおかげで、ダメージはかなり少なく済んだ。

痛いものは痛いけど……。


「い、いま一体何を踏んだんだろう……って、これあのチラシだ! あっぶない、忘れるところだったぁ~」


自分が転んだ原因——足元の感覚の正体を見やると、そこにはぴらりと翻る一枚のチラシが。

——『ドルチェ・ド・ルーチェ 近日ついに開店!』


「これこれ、これを楽しみにしてたんだよね。くふふふふ……」


無意識に口元がゆるゆると緩まり、口角が自然と上がっていく。

そう、これが私の、今日の

ついに来る今日の10、新しく開店するスイーツショップの、オープン記念限定スイーツの争奪戦に参加・勝利する——。


「チラシについてる券が整理券になってるから、これを忘れちゃいけないんだよね~……じゅる……はっ」


オープン記念でしか手に入らない、特製の限定スイーツ。

甘いものに目がなくて、この辺りのカフェ・スイーツ店・その他エトセトラは全て周ったわたしとしては、この機会を逃すわけにはいかないよね!?

……などなどと考えているうち、今度ははしたなく涎が口にあふれてくるのを感じて、これはいけないと口元をぬぐう。

しかしそれでもなお、想像に余る限定スイーツの存在が頭から離れない。

一刻も早く、お店の列に並ばないと……!!


「と、とととりあえず支度は最低限整ったから……早くいかなくちゃ!」


散らかった部屋から、持っていくべき所持品——鞄に財布、そしてポスターを詰め込み。

最後に——と、よく手に馴染んだを手に取って。


「今日も元気に、行ってきまぁす!」


と、誰へともなく、しかしいつも通りに元気よく。

わたしはがちゃりと玄関の戸を開き、やや昼時へと既に突入しつつある外の世界へと、足を踏み出していった。


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