エピローグ 怪物公爵の正体
――翌朝。馬車を手配して、エクリプス公爵家から立ち去ろうとしたアンネローゼのまえに、使用人を引き連れた執事が立ちはだかった。
「……どういうつもりですか?」
「どうか、最後に旦那様に会っていただけませんか?」
「ロベルト公爵様がいらっしゃるのですか?」
「はい。執務室でアンネローゼ様をお待ちです」
その言葉を聞いてアンネローゼは溜め息を吐いた。
「この期に及んで、わたくしに出向けと、そうおっしゃるのですね。そこまでわたくしに会いたいというのなら、自分で会いにこればよいではありませんか」
話にならない――と、立ち去ろうとする。
そんなアンネローゼのまえで、執事が深々と頭を下げた。
「アンネローゼ様、これが礼を逸する行為であるのは重々承知しております。ですがどうか、どうか一度だけ、旦那様に会ってください」
「ですから――」
アンネローゼは息を呑んだ。執事に続いて、その後ろに控える侍女が頭を下げたからだ。そしてそれを見た他の侍女やメイド達が次々に頭を下げていく。
そしてついに、その場にいる使用人すべてが頭を下げた。
「お願いします、アンネローゼ様」
「どうか、旦那様に会ってください」
「旦那様は決してアンネローゼ様を蔑ろにしている訳ではありません!」
次々に懇願を始める。整然とした動きでないことから、逆にそれが命令された行動でないことが伝わってくる。アンネローゼは大きく肩を落とした。
「……分かりました。あなた方に免じてロベルト公爵様にお会いします」
こうして、アンネローゼはロベルトが待つという執務室へと足を運んだ。
だが、その執務室は無人であった。
「……どういうことでしょう?」
執事に咎めるような視線を向ける。馬鹿にするにもほどがある――と。だが彼は焦った様子もなく、「旦那様はそこにおられます」と答えた。
「……そこ?」
「その椅子の上でございます」
言われて、執務机の向こう側にある椅子を覗き込む。
次の瞬間、椅子の上から猫が飛び出して、机の上に飛び乗った。
「にゃー」
「あ、あなた、昨日の猫ちゃんね」
「旦那様ですございます」
「……はい?」
「その猫が、ロベルト・エクリプス公爵でございます」
「それは……」
頭ごなしに否定はしない。執事の顔があまりに真剣だったから。だけど、常識的に考えてあり得ない。どういうことかと考えていると、執事は再び口を開いた。
「失礼ですが、怪物公爵という噂はご存じですか?」
「……はい。噂はうかがったことがあります」
「その噂の原因がこれです。旦那様は、呪いに掛かっているのです」
「呪いで……猫に? というか、怪物の正体が猫、というのですか?」
噂ほどあてにならないものはない――と、アンネローゼは思わず呆れてしまう。
「実は、そのお姿は第三形態です」
「……え?」
「第二形態は人のお姿でネコミミと尻尾が生えます。それが周期的に変化するのです」
「――つまり、普段は第二形態と第三形態で入れ替わり、ときどき第一形態――つまり、元の姿に戻るので、そのときにわたくしに会おうとした、と?」
あの後、執事から詳しい話を聞いたアンネローゼはそう結論づけた。
「……いままでの奇っ怪な行動の理由は分かりました。ですが、そういう事情ならなおさら、わたくしに早く打ち明けてくださればよかったのではありませんか? 移し鏡の効果で呪いを消すことがお望みだったのでしょう?」
「なんですか、その移し鏡というのは」
「……え?」
聞き返されるとは思っていなくて、アンネローゼは困惑してしまう。
「待ってください。呪いを解くために、イシュタリカ子爵家が受け継ぐ、移し鏡の異能が必要だったのですよね? だから、わたくしに求婚したのではないのですか?」
「いいえ、そのような理由ではございません。旦那様が求婚なさったのは――」
――ぽんと、猫が煙に包まれ、次の瞬間には成人男性の姿に変わった。はだけたワイシャツに、スラックスという、中途半端に服を着た姿で、妙な色気を放っている。
「な、な……っ」
アンネローゼは慌てて目を逸らす。
「旦那様が猫から人間の姿に戻るとき、猫になる直前の姿に戻ります。ですが、前回はご覧のように、着替えの最中でして……それも、お会いするのをためらった理由の一つです」
「見苦しい姿を見せた。すぐに身だしなみを整えるから、少しだけ待っていて欲しい」
その言葉に、けれどアンネローゼはロベルトに詰め寄った。
その声に、言いようのない懐かしさを覚えたから。
「お、おい?」
「少し、黙ってください!」
ロベルトにしがみつき、その顔を覗き込む。
金色の髪の美青年。蒼い瞳は強い意志を秘めていて、見ているだけで吸い込まれそうになる。アンネローゼの思い出よりもずっと大人びた姿だが、その姿を見紛うはずはなかった。
「貴方は……あのときの」
「……十年ぶりだな、アンネローゼ。呪いを受けた姿を見られたくなくて、中々姿を見せられずに悪かった」
間違いない。彼こそ、アンネローゼの初恋の君だった。
「本当に、貴方なのですか?」
「ああ。忘れられているかもと不安だったが、覚えていてくれて嬉しいよ」
「な、なにを言って――って、昨日の猫ちゃん!」
「ようやく気付いたのか?」
「~~~っ」
本人のまえで初恋だったと吐露したことに気付いて顔を隠す。だが次の瞬間、その腕を摑まれて、顔を隠せなくなった。
「アンネローゼ、キミに婚約者がいると知っていても、ずっと忘れられないでいた。だから、キミが婚約を破棄されたと聞いてすぐに求婚の手紙を送ったんだ」
「わたくしのことを覚えていてくださったんですか?」
「もちろん。あの日からずっと、キミを愛している。どうか、俺と結婚してくれ」
「……はい。貴方となら喜んで」
ロベルトが顔を近づけてくる。彼の瞳の中に自分の瞳が映り込み――アンネローゼはそっと目を閉じた。
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