アスルの危機

 昨日はイルマを連れ回し、自由奔放に振る舞ったオレリアであるが、一国の王女となれば当然ながら、こなさねばならぬ公務も、学ばねばならぬ事柄も数多い。

 むしろ、一昨日や昨日こそが例外であり、特に昨日を休日とした件に関しては、イルマとの友誼を深めてやりたい兄王子が、特別なお目こぼしをしてくれていたのだ。


 だが、乗り合いの魔動車が一つ遅れれば、連鎖的にその後の発車時刻も崩れていくように……。

 さぼったツケは確実にオレリアの予定を圧迫しており、さしもの彼女も、本日は公務に学問にと忙しくする必要へ駆られたのである。


「あーあ、お兄様がうらやましいな。

 こんな天気のいい日は、あたしもイルマと一緒にピクニックへ行きたいよ」


 侍女長のロッテンを伴い城中を歩く姿は、いつもの改造軍服であり……。

 すれ違った者たちへ軽く挨拶をかわしながらそうぼやくと、老齢の侍女があきれたというように額へ手を当てる。


「アスル殿下は、それこそ青春の全てを捧げるほどに国へ尽くしておられて、今日は実に久々の休日なのです。

 おひい様も、どうか見習って下さい」


「う……ヤブヘビ……。

 ま、まあ、そこはこれからのあたしを見てよ」


「そうおっしゃいながら、早速にもイルマ様の部屋へ向かっているではありませんか?」


「それは、ほら。

 慣れないロンバルドで、彼女が不便な思いをしたり、退屈したりしたらいけないし?

 あたしとしては、少ない休憩時間をお友達と過ごすのは、大切なことだと思うんだよ」


「まったく……」


 そう言いながらロッテンが止めないのは、やはり、オレリアと同じ考えであるからだろう。

 早く、この城へ……この国へ馴染んでほしい。

 それは、オレリアのみならず、アスルや父王グスタフにも共通している願いなのだ。


「イルマーっ!

 遊びにきたよ!!」


 だから、顔をしかめるロッテンにも構わず、勢いよくイルマが宿泊している貴賓室の扉を開けたのだが……。


「――うわっ!?

 すごい数の紙……。

 これ、もしかして全部設計図かい?」


 部屋の中へ散らばっている紙を見て、思わずそう尋ねたのである。

 一枚拾い上げて、内容を確かめると……。

 やはり、そこには何がしかの魔動機械に関する図面が描き起こされていた。

 形状からして、昨日ドギー大佐へ披露した箱に仕込まれていた腕を、より大きく、複雑にしたもののようだが……。

 マギアの整備に関してはともかく、設計や開発に関しては門外漢のオレリアに、それ以上の情報を汲み取ることは出来ない。

 故に、テーブルで黙々と鉛筆を動かすイルマに聞いたのだが……。


「イルマ?

 おーい」


 銀髪の少女は一切こちらを省みず、ひたすらに手と……そして、おそらくは頭脳を働かせていたのである。


「朝食と着替えを済ませてからは、ずっとこのような状態でして……」


 室内の片隅に控えていた侍女が、前に歩み出てそう語った。

 すでに、時刻は昼に近い。

 となると、イルマは午前中ずっと、こうしているはずである。

 ……どうでもいいが、せっかく買ったのだから、自分と同じ改造軍服ではなく、そちらを着ても良かったのではないだろうか。


「集中状態になると、他のことが目に入らないという方はいらっしゃいますが……。

 どうやら、イルマ様はとりわけその色が濃いようですね」


 ロッテンがそう言いながら、設計図を拾い集めようとしたが、それを控えていた侍女が制した。


「床に広げた紙は、そのままにしておいて欲しいそうです。

 何でも、それらを原案に、さらなる改良を加えていくとかで……」


「ふうん……。

 あたしの目には、もうこれで完成しちゃってるように見えるけど……。

 というか、午前中だけでここまで設計を進めちゃうなんて、本当にすごいね。

 普通、こういうのって、何人かで組んでそれなりの時間をかけてやるもんだと思うけど」


 拾い上げていた図面を床に戻しながら、感心の言葉を吐く。

 水を得た魚とは、まさにこのことか……。

 イルマは、ひたすら机に向かっており、オレリアたちのことなど眼中になかった。

 そして、熱中するその顔からは、好きなことへ打ち込んでいる充足感というものが、確かに感じられたのである。


「邪魔しちゃっても、悪いか……」


 そうつぶやき、ロッテンと顔を見合わせた、その時だ。


 ――ドタタタタタッ!


 という、平時の城中においては似つかわしくない足音を響かせ……。


「姫様! ここにおられましたか!?」


 一人の魔動騎士が、扉を開け放ったのである。


「何事ですか!?

 ここは、年頃の女性が宿泊している部屋ですよ!」


 それを見て、すかさずロッテンが叱責した。

 侍女と魔動騎士の間には、隔絶した身分差が存在するものの、それはあくまで、一般的な者の話である。

 侍女長として、城内の様々な事柄を取り仕切るロッテンに対して、頭の上がる男など存在しないのだ。

 しかし、それはあくまで平時においての話……。


「それどころでは、ないのです!」


 そう言って自分を見やる騎士の顔を見て、嫌な予感に襲われる。

 この騎士は、近衛として長兄の護衛についている者であり……。

 日程通りならば、今頃は兄の逢瀬おうせを遠巻きから守護しているはずなのだ。


 それが、どうしてか今ここにいる。

 しかも、明らかに疲労困憊しており、その様子から、魔力が枯渇する寸前まで魔動二輪を飛ばしてきたことがうかがえるのだ。


 ――危急の事態!


 それも、敬愛する兄に関することは間違いないと、ここまでの洞察で得た情報が告げていた。


「ロッテン、いい。

 ……何があった?」


 侍女長を制し、その騎士に続く言葉をうながす。

 果たして、彼が告げた言葉は、オレリアの予想以上に最悪の状況を伝えるものだったのだ。


「レクソ湖への途上にある山道で、アルカス三機の襲撃を受けました!

 アスル殿下と我々は分断され、お助けすることも盾になることもかなわず……。

 王子は、一人魔動二輪で崖を駆け下り、森の中へ逃げ込まれました!

 おそらく、現在もマギアによる追撃を受けていると思われます!」


「マギア三機による、襲撃……!?」


 それは、事実上の死刑宣告である。

 いかな兄が二輪の名手でも、人型由来の踏破性を持つマギアに対し、森という場所で逃げ切れるはずもないのだ。


「現在、同じ情報が陛下にも伝わっているはずです!」


 騎士の言葉に、我を取り戻す。


「分かった……。

 すぐに父上の下へ向かおう!」


 そうやって、早速にも玉座の間へ向かおうとした時である。


「ん……?

 どうした……の……?」


 許容量を超えた騒がしさに、ようやくイルマが顔を上げた。

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