幸福の食卓

 ロンバルドの地へ降り立ってから今に至るまで、城内での食事は全て与えられた部屋の中で済ませており、他の部屋で食事を取るのは……。

 と、いうよりも、他の部屋へ立ち入るのは、これが初めてのことであった。

 そう考えると、手洗いも浴室も備わったあの部屋を使わせてもらっているのは、やはり、精一杯のもてなしであるのだと考えてよいだろう。


 しかし、もてなしというならば、今、足を踏み入れているこの食堂で供される食事もまた、最上級のそれであった。

 最初に出されたスープからして、たっぷりと手間暇をかけて作られたことが伺える逸品であり……。

 しかも、ただ料理の質が優れているだけではなく、部屋の隅には侍女や執事がずらりと居並んでおり、ヴァイオリンの奏者までもが美しい音色を響かせているのだ。


 単なる夕食としては、信じられない豪華さであるといえるだろう。

 だが、それも当然なのかもしれない。

 ここでの食事は、ただイルマをもてなすためだけに供されているわけではなく……。

 オレリアを始めとして、アスル王子や国王グスタフまでもが同席しているのだ。


 半ばなし崩し的に知り合いや友人となったアスル王子やオレリアはともかく、国王――要するにこの国で一番偉い人であるグスタフは、イルマにとって文字通り天上の人であり……。

 何か粗相をしてしまわないか、気が気ではない。

 そのため、イルマはアスル王子やオレリアの所作を盗み見てマナーを真似るのに必死であり、せっかくの料理も味がよく分からない有り様であった。


「ふうむ……。

 イルマよ、そう緊張する必要はない。

 皆は国王と持ち上げてくれるが、わしなどはただ王冠を被っただけのジジイに過ぎん。

 それに、お主は息子の命を助けてくれた恩人である。

 その恩人に対し、食事の作法でとやかく言ったりなどはせんよ。

 なあ?」


 そういって、王が息子と娘の顔を見回す。

 このやり取りは、覚えがあるものだ。

 そう……この国で初めて振る舞われた食事……。

 その席で、アスル王子が言ったこととそっくりだったのである。

 それが何だか少しおかしかったので、自然、小さな笑みがこぼれた。


「ふっ……」


 自分が笑った理由に、心当たりがあるからだろう。

 ワインをくゆらせていたアスル王子が、薄くほほ笑む。


「あー! 何!? 何!?

 何だか、二人だけ通じ合ってる感じ出しちゃって!

 お兄様、ずるーい!」


 そんな自分たちの様子を見て、立ち上がったオレリアが兄に指を向ける。


「オレリア……。

 客人であるイルマに対してはともかく、お前は話が別だ。

 王女たるもの、食事の場ではもう少し大人しくなさい」


「ちぇー」


 眉をひそめた父王に注意され、オレリアが着席した。


「ふふっ……」


 そのようなやり取りが、何ともいえずほほ笑ましい。

 出されている料理は最上級であり、常に侍女や執事が世話をしてくれている。

 おまけに、広々とした食堂内に響き渡るのは、ヴァイオリンの旋律だ。

 だが、そこで食事をする人々は、ごく当たり前の家庭に思えたのである。


「お、ようやく緊張がほぐれてきたようだな……」


 アスル王子が、そう言いながらサラダを一口頬張った。


「母は二人いたが、いずれも他界していてな……。

 他に、用事があるとかで空けている弟を含めて、四人家族ということになる。

 あいつも、いずれイルマに紹介してやらねばな」


「カーチス兄様、最近ずっとお城を留守にしてるよね。

 そんなに、大学でのお勉強が楽しいのかな?」


「大変結構なことではないか。

 父としては、お前にももっと勉学へ関心を向けてもらいたいぞ」


 王にそう言われると、オレリアが露骨に顔を逸らす。

 そして、思いついたようにこう言ったのだ。


「へへーん!

 学校もいいけど、イルマと一緒にいた方がずっと勉強になるもんね!

 今日だって……」


 そう前置きして、オレリアが語ったこと……。

 それは、国立マギア工廠こうしょうで披露した改善案についてだった。

 すると、最初こそ食事中の歓談として楽しんでいた王子も王も、次第にその顔を真剣なものへ変じさせていったのである。


「発想の転換……。

 いや、着眼点の違いといった方がいいか……。

 これまで、俺たちはどうしてもマギアの――ひいては工場における製造というものを、従来の鍛冶仕事などの延長として考えていた。

 だが、そうではない。

 魔動技術を用いて、人の関与する部分はどんどん減らしてしまえばいいのか」


「考えてもみれば、お前が昼間の議会で語った女工の問題も、ミシン等の発明によって人力を遥かに上回る製造ができるようになったからこそ、生まれたものであるしな……。

 作業を簡略化すれば、それまで参入する余地のなかった者たちも仕事へ加われるようになり、結果として国全体の生産能力が増す。

 この件に関しては、真剣に考えねばならないだろう」


「それなら、大丈夫!」


 食事の手すら止めて考え込む王子と王に、オレリアがイルマのものよりは発達した胸を叩いてみせた。


「ドギー大佐も、早速、導入するための資金や人手の確保に動いてくれるそうだし、何より、イルマが力になってくれるからね!」


「ん……はい……設計は……任せて下……さい」


 話を振られて、どうにかそう絞り出す。


「何? イルマが協力してくれるのか?

 ……いや、そうか」


 そんな自分を見て、アスル王子は更に考えることを増やしたようであったが……。


「いかん、いかん。

 すっかり食べる手を止めてしまった。

 これでは、最適な頃合いを見計らっている料理長に迷惑をかけてしまう。

 ささ、食べようではないか?」


 グスタフ王がそう言いながら、率先してナイフとフォークを手に取ると、食事の再開となる。


「そういえば、アスルよ……。

 お主、明日はキエラと会うのではなかったか?」


 そして、供された魚料理にナイフを入れながら、ふと思い出したように王がそう言ったのであった。


「ええ、彼女もカーチスと同様、かなり勉強に入れ込んでいるようで、最近はなかなか会えずにおりましたが……。

 急に寂しくなって会いたいと言ってくるとは、かわいいところもあるものです」


 そう言って顔を綻ばす王子の頬は、少し赤い。


「キエラ……?」


「お兄様の婚約者さ。

 名門ローマール家のご息女でね。

 成績も優秀。魔動騎士の資格も持っている、すごい人なんだ。

 あたしも尊敬しているよ」


 一人だけ話題についていけないイルマに、オレリアがそう補足してくれた。


「ふ……いずれはお前の姉となる。

 彼女を見習って、もっと勉強に精を出すようにな」


「ちぇー。

 また話がぶり返しちゃった」


 兄の言葉に、オレリアが唇を尖らせる。

 そうして忠告するアスル王子の表情は、実に楽しげなものであった。

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