朝起きると……

 窓から差し込む朝日にまぶたが刺激され、睡眠時特有の混沌とした世界にいた意識が、強制的に引き戻された。

 それと同時に、覚醒するのを若干、億劫に感じている自分がいる。


 かつて……ほんの半年前までは、目覚めればそこにあるのは、自分と同じ顔をした双子が眠っている姿か、あるいは目を覚ましてこちらを見つめる姿であった。

 それを失ってからは、当然ながら寝床で目を合わせる存在などなく、自分が一人きりになってしまったこと……。

 そして、今ある世界の空虚さを、否が応でも実感させられていたからである。


 だが、無限に眠れる生物などいようはずもなく、イルマ本人の意思を無視して、体は勝手に起き出していく。

 そうして視界に入ったのは、他に誰もいない室内――ではなかった。


「すぅ……すぅ……」


 と、穏やかな寝息を立てながら、一人の少女が眼前で眠っていたのである。

 黒髪は、短めに整えられており……。

 そのせいもあって、起きている時は中性的な印象を受けるが、こうやって眠っていると、やはり華奢な女の子であると再確認できた。

 もっとも、眠っている間にやや乱れた寝間着の隙間からは、イルマのそれより多少発達した谷間というものが確認できるのだが……。


 ――いや、そうじゃない。


 意識が明後日の方角へ逸れていたのを感じ、顔を振って軌道修正する。

 それに、反応したのだろう。


「ん……う……」


 目の前で眠る少女――オレリア・ロンバルドが、目を覚ました。


「あ、イルマ。

 ……おはよう」


 そして、初対面の時に見せた険しさは何だったのだろうかという微笑みを浮かべ、そう告げてくる。


「あ……ひゃ……お、おはようござい……ます」


 どうにか、そう返すことに成功した。

 他人へ朝の挨拶をするなど、イルマの人生経験に存在しない出来事であり、突然のことながらそれに成功した辺り、少しは成長できたのかもしれない。


 だが、今はそれを喜んでいる場合ではなかった。

 今朝のイルマ・ヴィンガッセンには、さらなる困難な任務……。

 何故、オレリア王女がここで眠っているのかを聞き出すという、重大事項が存在するのだ。


「あ……えと……なん……」


 しかし、舌が上手く回ってくれない。

 長年のひきこもり生活が災いしているのか、それとも、いきなりこんなことになったら誰でもこうなるのかは、判断するすべがなかった。


「ああ、ごめん、ごめん。

 いきなり目の前で眠ってたら、ビックリするよね」


 そんな自分を見て、オレリア王女がペロリと舌を出す。


「実は、湯浴みの後、親睦を深めたいって急に思い立って遊びに来たんだ。

 そしたら、イルマはもう寝ちゃってたからさ」


「ああ……」


 確かに、自分は部屋で一人きりの夕食を頂き、侍女の助けを借りながら湯浴みした後は、さっさと眠ってしまっていた。

 他に何もすべきことがなかったというのもあるし、何より、初めて尽くしの一日だったため、精神的にも、肉体的にも限界だったのだ。


「だから、こう思ったんだ。

 じゃあ、一緒に寝ちゃおうって」


 何がどう、だからなのだろうか?

 あまりにも亜空の論理展開に、イルマの脳が動作不良を起こしかける。

 世の中には、全く独自の行動理論で動く人間がいるということを、他者との関わりを持たぬイルマは知らなかった。


「でも、起きてる姿もかわいいけど、寝ているイルマもかわいかったなー。

 あんな姿を独占できて、あたしってば超ラッキーって感じ」


 その発言に、何やら本能的な恐怖を感じ、寝台の上で後ずさる。

 そもそも、王女という他に止める者がほぼ皆無な立場をいいことに、無理矢理ここへ押し入ったに違いないのだ。

 ラッキーもへったくれも、あったものではない。


「でも、やっぱり、マギアに乗ってる姿が一番かわいくって、でもって一番かっこよかったな!

 ……て、装甲越しに操縦席の中を覗けるわけないんだけどね!」


 またも舌を出しながら、オレリア王女がこつんと自らの頭を叩く。

 どこまでもマイペース。

 どこまでも、思うままに振る舞う。

 それがロンバルド王国の王女オレリアであるということを、イルマはようやく理解し始めていた。

 と、そんなやり取り……というよりは、オレリア王女による一方的なトークショーが展開されていた時のことである。


 ――くう。


 ――くう。


 イルマとオレリア、二人のお腹が同時にかわいらしい音を立てた。


「あう……」


 恥ずかしさに顔を赤らめると、さすがのオレリア王女も照れ臭そうに頭をかく。


「あっはは。

 胃袋同士は、寝ている間にすっかり意気投合したみたいだね!」


 そして、当然のことのようにこう告げたのだ。


「それじゃあ、とりあえず朝ご飯にしよっか?」


 イルマには、断る言葉を紡ぐ舌も、その権限も存在しなかった。




--




 プレートの上には、トーストや目玉焼き、ソーセージにビーンズ、更にはカリカリのベーコンや、炒めたミニトマトにマッシュルームまでもが乗せられており……。

 ボリュームたっぷりで、かつ、朝一番から脂っこいこの食事は、イルマにとって馴染みのない朝食である。

 昨日も似たような内容の朝食だったので、ロンバルド王国においてはこれが一般的か、あるいは、賓客であるイルマを遇するために、特別豪華なものを用意してくれているのかもしれない。


 祖国にいた頃の食事といえば、バゲッドにミルクというのが定番で、それはヴィンガッセン男爵家のみがそうだったのではなく、アレキスにおける一般的な朝食であると、アルマが話していた覚えがあった。

 つまり、である……。


 この朝食は、イルマにとって少しばかり重たい。

 美味しいことは美味しいのだが、起き抜けの体にこの内容は、胃袋が多少の忌避感を示すのだ。

 昨日、無心に平らげられたのは、アルタイルに対する暴言の数々で、イルマなりに闘志を燃やしていたからに違いない。

 もし、昼食が消化に良いパスタでなかったなら、あれだけのパフォーマンスは発揮できなかったことだろう。


「どうしたんだい、イルマ?

 あまり食が進んでいないようだけど?」


 まずは食事が最優先ということで、共に寝巻きのまま食卓を囲んだオレリア王女が、そう尋ねてくる。

 そう言う彼女の方は旺盛な食欲を発揮しており、目の前に供された品々を次々と平らげていた。


「いや……あの……」


 ――正直、この食事めちゃくちゃ重たいです。


 まさか、正面切ってそんなことを言えるはずもなく……。

 いつも通り、ひたすらにどもる。


「ん?

 どうした? ロッテン?」


 そうしていると、不思議そうにしているオレリア王女へ、侍女たちのリーダー格……初老の域に達している女性が、そっと耳打ちした。

 それを聞いて、オレリア王女がぽんと手を叩く。


「ああ、なるほど!

 アレキスでは、もっと軽い朝食が一般的なのか!

 それで、なかなか食が進まなかったんだな!」


「え……」


 ――アレキス。


 何の気もなしに放たれたその単語へ、うろたえてしまう。


「ええええ!?」


 そして、イルマは生まれて始めて、大声を上げてしまったのだった。

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