飛翔

 アスル王子の命令に従い、闘技場内へ一機のマギアが姿を現す。

 全体的にペガと同等の特徴を持ちながらも、魔力増幅炉の出力不足から装甲厚で劣るその機体は、現行の主力機であるアルカスだった。

 ペガの増産に伴い、いずれ前線から姿を消していくのだろう機体が手にしているのは、ありふれたエンチャントソードとシールドである。

 アルカスはそれを、アルタイルと呼ばれた白銀のマギアに手渡し、素早く闘技場内から立ち去った。


 受け取ったソードとシールドを装備すると、徒手空拳だった時とはまた違う風格が生まれる。

 背中の翼もあり、まるで、聖堂で飾られている武装した大天使像を、マギアの形に作り直したかのようなのだ。


 その威容に、観客全てが溜め息をついていると、舌打ちしたオレリア王女が自機の操縦席に乗り込む。

 それを待って、アスル王子が高々と宣言した。


「試合形式は、ソードとシールドを用いた白兵戦!

 先に頭部を切り取られた側が敗北とし、操縦席への攻撃は、それと認められた瞬間に失格とする!

 双方、依存はないか!?」


『ありません』


 ペガの拡声器を通じて、オレリア王女が短く答える。

 一方、アルタイルの方は声ではなく、機体にうなずかせることで答えとした。

 双方の合意を見たアスル王子もまた、うなずく。


「それでは、くれぐれも自分と対戦相手の両方を気遣うように。

 ――始め!」


 王子が、振り上げた手を下ろす。

 こうして、美しき……けれども大局的な少女たちによるマギア戦は、幕を開けたのだった。




--




 昨日顔を合わせたばかりの侍女たちに手伝われながらの入浴は、気恥ずかしいやら分不相応やらで、落ち着けないものであったが……。

 湯船でじっくりと温まり、また、熟練の手さばきで髪を整えてもらうと、生まれ変わったような気分になれる。


 用意してくれた装束はオレリア王女のそれと同様のものであったが、アルマが活動的な装いを好んでいたことを思い出すと、何やら力を借りれるような思いだった。


 朝食も昼食も充実した内容であり、特に昼食は、味だけでなく消化の良さも考慮してパスタを出してくれたため、十五時を回った現在は、ほどよく胃がこなれている。


 総じて、万全の体調と呼べる状態……。

 ならば、後は……。


「どうやって戦おうかな」


 開始の合図と共に、素早く後方へ飛び退き、十分な間合いを確保しながら、操縦席で考え込んだ。

 このような時、イルマの行動指針となるのは、いつだってアルマの存在である。

 自室にこもって研究していたイルマとは異なり、魔動騎士として実機での試験もしていた姉の言葉を思い出す。


 ――お姉ちゃんは、コンペティションの時、どんな風にマギアを使ってるの?


 ある時、イルマは何気なくそのように尋ねたものだ。

 それを聞いたアルマは、馬の尾を思わせる形に結わえた髪を振りながら、こう答えたのである。


 ――コンペで大事なのはね。


 ――見ている人たちの、ド肝を抜くことなんだよ。


「ド肝を、抜く……」


 操縦席の手すりに取り付けられた魔水晶に意思と魔力を込めながら、つぶやく。


「この子……アルタイルで、そうするには……」


 答えなど、一つしかない。

 オレリア王女の操るペガは、油断なくシールドを前に突き出し、こちらとの間合いをうかがっていたが……。

 剣戟けんげきを拒否するように、またもアルタイルを飛び退かせた。


「何だ!? 戦わないのか!?」


「そのマギアは、見かけ倒しか!?」


 アルタイルの集音器は感度が良く、観客たちの罵声を余すことなく拾い上げる。


「違う……。

 見かけ倒しじゃないことを見せるために、距離を取った……」


 操縦席の中で、答えた。

 そして、イルマはアルタイル最大の機能を発揮すべく、背部のエンチャントウィングへ魔力を注いだのである。


 機体が身を屈めると共に、翼ヘ込められた魔力が充実し、膨れ上がっていく……。

 外部から見れば、純白だった翼に輝きが宿り、光翼と化しているはずだった。

 そして、臨界点に達した力を――解き放つ!


 ――グンッ!


 臓器が下に押しやられるような感覚と共に、アルタイルが――飛び立った!


「おおっ!?」


「飛んだ!?」


 観客たちが、一斉に驚きの声を上げる。

 それも、無理はあるまい。

 圧倒的な踏破能力を誇るマギアであるが、それはあくまで歩行と走行に限っての話だ。

 イルマが知る限り、現行機で跳躍能力を持つ機体は、徹底的な軽量化を施されたオリオンのみであった。

 それも、高度にしてせいぜい数メートルが限界であり、それ以上の跳躍力が欲しければ、より高性能な魔力増幅炉か靭帯じんたい構造を考案する必要があるのである。


 そんなところへ、飛翔するマギアを見せられたのだ。

 人々の驚きはといえば、想像を絶するものがあるだろう。


「えっへへ……」


 開放型の闘技場に屋根は存在せず、上空から人々の様子を睥睨へいげいすることができる。

 誰も彼もが、あっけに取られた顔をしており……。

 それが、痛快だ。


「お姉ちゃん……。

 私にも、できたよ……!」


 この王都のどこよりも高い場所から、それより遥かに彼方の世界へと呼びかけた。

 そうやって、上空から下界を見渡していると、むくりと頭をもたげてくるのが、イタズラ心である。


「やろう、アルタイル……!

 もっと、みんなを驚かせる……!」


 イルマの声と意思に、白銀のマギアは無言のまま答えた。

 背部の翼を稼働させると、そのまま空中を飛び回ってみせたのだ。

 エンチャントウィングから発される圧力を利用してのそれは、揚力に支配される鳥類のそれよりも、いっそ自由なものであるかもしれない。


「今度は、もっと間近で見せる……!」


 ますます盛り上がる観衆の姿を見れば、興が乗ってくるというものだ。

 イルマはアルタイルを操ると、今度は一直線に地上へと降下させた。


「――墜落っ!?」


 観客の何人かが、そう叫ぶ。

 しかし、それは過ちである。

 自由落下の勢いも借り、ますますその速度を増したアルタイルは、観客席の頭上数メートルというところで、見事に体勢を立て直したのだ。

 そのまま、観客たちの頭上を飛び回ると、ロンバルドの国民たちは熱狂してこれに声援を送った。


 アルタイルの眼を通じて、そんな彼らの様子を見やる。

 口々にアルタイルとイルマの名を称えながら向けられる眼差しは、いずれも賛美の色を宿していた。

 これは、イルマにとって未体験の感覚である。


 まさか、見ず知らずの他人に自分を認めてもらえるとは……!

 イルマにとって、姉以外の人間は、その全てが自分をさげすむ存在に思えた。

 視線は自分をさげすんでいるようであり……。

 口から放たれる言葉は、己をさげすむもの……。

 少なくとも、これまで有してきた数少ない人間関係内においては、そのようなものであったのだ。


 いや、それは少し違うか……。

 昨日出会ったアスル王子は、その経緯によるところもあろうが、自分を対等な人間として遇してくれた。


 そのことを思い出したので、闘技場内を飛び回りながら貴賓席へ向けアルタイルを会釈させる。

 すると、立ち上がった王子も手を振って応じ……。

 観客たちが、一段と高い歓声を上げた。


 まるで、世界そのものが広がったような感覚……。

 少女が真に飛翔しているのは、闘技場の上ではなく、もっと別の何かであるのかもしれない。


 そんなイルマを、現実へ呼び戻す者が一人……。


『こらーっ!

 いつまでも飛び回ってないで、さっさと戦え!』


 オレリア王女が、ペガの拡声器を通じて頭上にそう呼びかけていた。

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