回想
かなりの時間眠ったというのに、食事をするとまた眠たくなってくるのは、人体に秘められた不思議という他にないだろう。
アスル王子との食事を経たイルマは、他にすべきことが見当たらないというのもあり、そのまま寝台へと横たわっていた。
――チャリリ。
そうすると、首元のペンダントが音を立てる。
アルタイルと名付けた試作機がこの状態へ変化するのは見られていたはずなので、これを没収されていないのは、相手方の誠意と見るべきであった。
「これから、どうしよう……」
すでに、片付けを終えた侍女たちは下がっており……。
一人、寝台に寝そべっていると、そのことが脳裏をよぎってくる。
思えば、怒涛の一日であった。
きのみきのまま、近々人手に渡るという邸宅を追い出された時、イルマの中へ存在したのは、外の世界に対する恐怖である。
整備された石畳の上を歩く人々……。
歩道と区分けされた道路の上を、滑らかに進む何台もの魔動車……。
その全てが、イルマには恐ろしかった。
自身、被害妄想であるとは分かっていても、ぬぐい去れない不安に覆われたのである。
逃げるように、王都の中を歩く。
ろくに運動もしていない両足は、小一時間もそうしていると、棒のようになって言うことを聞かなくなった。
「はっ……はっ……!」
激しい運動でもしたかのように息を切らせ、辿り着いたのは墓地だ。
イルマにとっては、最も最近に訪れた場所……。
半年前、姉が埋葬された場所である。
意識してここへやって来たわけではないのだが、がむしゃらに動かした足が、この場所へと導いたのであった。
「お姉……ちゃん……」
この世界にあって、ただ一人すがれる者のことを思いながら、墓地の中を歩く。
ここへ埋葬されているのは、いずれもアレキスへ貢献してきた名士たちであるが、平日の午前中ということもあってか、墓参りをする人間の姿は見当たらなかった。
しかし、唯一、姉が埋葬されている墓の前には、佇んでいる人影があったのである。
「む?
君は……?」
年の頃はイルマとそう変わらぬはずだが、ずっと大人びて見えるのは険しい目つきをしているからだろう。
少年期を脱し、青年期へ至る過程と見れる長身の男は、金髪を後ろへと撫でつけていた。
これなる人物の名を、忘れようはずもない。
――エリック・カウタール。
姉を毒殺した犯人が、何を思ってか、その墓前に立っていたのだ。
エリックは、しばし、鷲のような鋭い眼差しをイルマに注いでいたが……。
「あう……」
イルマが身をすくませると、ハッと我へ返る。
「いや……。
失礼する」
そして、ただそれだけを告げると、墓地から歩き去ったのだった。
「はっ……。
はあ……」
恐怖で高鳴った心臓を押さえつけるように胸を抱き、姉の墓へとすがる。
全てが、恐ろしかった。
姉という、唯一、自分を守ってくれる存在のいない世界が、怖くてたまらなかったのである。
そして、それは姉を奪った存在――恐怖の象徴ともいえる人物と対峙したことで、極限にまで高まったのだ。
「もう、ここにはいられない……」
つぶやきながら、胸元のペンダントを握り締める。
そして、そこに魔力を注ぎ込んだ。
そうすることで呼び覚まされるのは、三つの定義で構成される物理的空間も、時間の概念をも飛び越えた先に存在する世界へ潜む、力である。
その力は、イルマが計算した通り、ペンダントに宿り、布がほどけるように展開させていく。
金属の帯と化したそれらは、複雑に絡み合って各部品を構成すると共に、ぐんぐんとその大きさを増していき……。
そうすることで姿を現すのは、一機のマギアだ。
――アルタイル。
巨大化し組み合わさる過程でイルマを内部に取り込んだ試作マギアは、姉の墓前で白鳥めいた背中の翼を広げた。
「エンチャントウィング、起動……」
実機を操るのはこれが初であるが、やることは魔水晶での仮想戦と何も変わらない。
イルマの意思と魔力を注ぎ込まれ、白銀のマギアが純白の翼に魔力光を宿す。
「どこかへ……。
ここじゃない、どこかで……」
うわ言のようにつぶやくイルマを乗せて、アルタイルが大空へと飛び立つ。
どこへ向かえばいいのかなど、分からない。
だから、これはただの逃避行だった。
逃げているのは、この国か……。
それとも、姉のいない世界そのものか……。
判然としないままに、イルマはアレキスを飛び出したのである。
そのことを回想する内に、イルマは眠りについていた……。
--
今度の眠りは、夢を見ないほどに深いものであった。
「ん……う……」
まぶたをこすりながら、目を開ける。
長いひきこもり生活でも、昼夜を逆転させるようなことがなかったのは、アルマの存在があったからだろう。
朝、共に目覚めて朝食を食べ、部屋を出ないなりに身支度を整え、技術局へと出勤する姉を見送る……。
そうしてからは、一人で研究に打ち込み、夕方、姉が帰ってくると、やはり夕食を共にし、姉妹二人での語らいや、魔水晶を用いての仮想戦を楽しむ……。
それが、かつての日常であった。
アルマが他界してからの半年間は、食事を一人で取っていたし、身支度を整えるようなこともなかったが……。
ともかく、朝起きて夜に眠るという生活だけは、続けていたのである。
窓から差し込む朝日の心地よさは、アレキスでもロンバルドでも変わらない。
ひとまず、イルマは上半身を起こそうとしたが……。
「足……痛い……」
両の足が、パンパンに張っていることへ気づく。
どうやら、魔力の方は良質な食事と睡眠により回復したようだが……。
生まれてこの方、ろくに負荷というものをかけたことがなかった足は、昨日わずかにさまよっただけで筋肉痛へと陥っていた。
「確か、こういう時はマッサージをするといいんだっけ……?」
生前、アルマが言っていたことを思い出す。
基本的には技術局勤めのアルマだったが、彼女は同時に魔動騎士として軍に在籍もしていたため、最低限の体力作りをする義務が課せられていた。
それを果たすべく、走り込みなどをして帰って来た時には、そのようなことを言っていたのである。
姉がどんな風にやっていたかを思い出しながら、足へ触れようとしたその時だ。
「………………」
寝台の傍らに置かれた椅子……。
そこへ座っている人物の存在に気づき、目が合った。
「ひっ……」
突然の来訪……。
それも、初対面の人物であるということに気づき、思わず悲鳴を上げる。
果たして、いつ頃からそうしていたのだろうか……。
椅子に座っているのは、黒髪の少女であった。
おそらく、年の頃は十二か三といったところだろう。
小柄なイルマよりもさらに小さいので、年下であることは確実と思えた。
黒髪は短めに整えられており、どこか中性的な印象を受ける。
着ている装束は、アレキス軍の正装とよく似ており、ということは、ロンバルド王国における同種の装いではないかと想像できた。
しかし、ズボンではなく、丈の短いスカートを着用しているのは、彼女が年若い少女であるからかもしれない。
「………………」
謎の少女は、ただじっと自分に視線を注ぐばかりだ。
そして、そこに攻撃的な意思が込められていることを、対人能力の低いイルマでも汲み取ることができる。
「えと……その……」
いつも通りにどもり、声にならない声を漏らすイルマを見て、黒髪の少女がようやく口を開く。
「よくも、お兄様の邪魔をしたな!」
だが、それはイルマにとって、一切身に覚えのない事柄であった。
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