食事

 ――ロンバルド王国。


 確か、イルマの生国であるアレキスとは、隣接した小国であったはずだ。

 国土のおよそ半分が森林地帯に覆われ、残る半分は、山脈地帯で構成されている……そんな国である。


 そのような立地のため、農業の規模は小さいが、気候、地形、土壌が適しているため、茶を特産品にしていると聞いていた。

 というより、アルマが気に入って日頃から姉妹で飲んでいたお茶が、まさにロンバルド産のそれであるのだ。

 道理で、心落ち着く味だったはずである。


 その他の特徴は、豊かな鉱脈を有しているということ……。

 これに関しては、アレキスに対して輸出されていない。

 何しろ、アレキスは領土的野心の極めて高い覇権主義国家であり……。

 それに対して鉱物資源を供給してしまっては、自分たちを攻めるためのマギア生産力を高めてしまうからだ。


 余談だが、イルマが設計し、現在、強力に量産されているはずのオリオンは、このロンバルド侵攻を前提としたマギアである。

 そのために、背面部の装甲を削ってでも機動力を増し、遮蔽の多い森林地帯や、傾斜に富んだ山脈地帯でも素早く動けるように設計されていた。


 以上が、イルマの知るロンバルド王国についての情報だ。

 アルマであったならば、もっと様々な情報を仕入れていたであろうが、イルマは興味のあることしか学べない性質の娘であった。


 その上で、結論を述べよう……。


 ――敵性国家である。


 何しろ、この国を仮想敵としたマギアの設計をしたのが、他ならぬ自分なのだ。


 ――火あぶり。


 ――絞首刑。


 ――断頭台。


 様々な自分の死に様が、イルマの脳裏をよぎった。


「あ、あわわ……」


 お茶を飲んで温まったはずの体が、急激に冷え込み、歯の根をガチガチと鳴らす。

 口からは言葉にならない言葉が漏れたが、これは常のことであった。


「む?

 どうしたんだい?」


 自分を落ち着かせようとしているのか、アスル王子が優しくほほ笑む。

 それが、イルマには死神の微笑として映った。


「え……あう……その……」


 どもりにどもる。

 しかし、そんなイルマに代わって、意思を伝えるものが存在した。

 他でもない……。


 ――くう。


 ……胃袋である。

 温かなお茶により、休眠していた内臓は急激にその機能を取り戻し、体に滋味が必要であることを訴え始めたのだ。


「あう……」


 社交性というものに乏しいイルマでも、これが恥ずべき状態であることくらいは分かる。

 ゆえに、赤面し顔を伏せた。


「恥ずかしがる必要はない。

 あれだけの大働きをしたのだし、気を失ってからそれなりに時間も経っている。

 腹が減るのは、当たり前のことだ」


 だが、そんなイルマを見ても、アスル王子は一切動じることがない。

 ばかりか、この展開を予想していたと言わんばかりの滑らかさで立ち上がり、扉へと歩み寄ったのである。


「いいぞ。

 持ってきてくれ」


 そのまま扉を開け放ち、外へと告げた。

 すると、部屋の外で待機していたのだろう侍女たちが次々と室内に立ち入り、カートへ乗せた料理の準備を始めたのだ。


「命の恩人に対しては、ささやかな礼と言うしかないが……。

 遠慮せず食べてくれ」


 てきぱきと立ち働く侍女たちを背に、アスル王子がそう告げた。




--




 湯沸かし器と同類の道具を使い温めていたのだろうスープは、眼前で湯気を立てており……。

 そのかぐわしい香りが、イルマ自身よりも自己主張の強い胃袋を暴れさせる。

 けれども、用意された椅子に着席したイルマは、どうしたものか分からずキョロキョロと周囲を見回してしまった。

 眼前の料理が、死神によって用意された最後の晩餐としか思えないのもあるが……。

 そもそも、テーブルマナーというものを知らないイルマなので、どうやって食べたものかを迷ってしまったのである。


「ふむ……」


 対面に座り、自らも同じ品を供されたアスル王子は、そんなイルマを見て何事か考え込んでいたが……。

 ふと、何かへ気づいたような表情をして、こう語った。


「もし、作法を気にしているのなら、無用な心配だ。

 ここに用意したのは、俺……ひいては、竜の襲来をまぬがれた国民たちの恩人をもてなす料理。

 その食べ方を見てとやかく言う無作法など、我らは知らん」


 王子がそう言って周囲を見回すと、給仕役に徹していた侍女たちが一斉にうなずく。

 それで、ついに枷が外れ……。

 イルマは、銀製のスプーンを手に取った。


 ――ずず。


 音を立てながら、一口これをすする。


「美味、しい……!」


 それはイルマにとって、久しぶりに味わう温かなスープであった。

 かつて、アルマが存命だった際は、彼女が姉妹二人の食事を運んできてくれたため、それを味わうこともできたが……。

 落命してからのちは、侍女が自室の前に置いたものを、人の気配がなくなってから運び入れていたのである。

 温かい料理というものが、ただそれだけで体を喜ばせてくれるということを、イルマは今、実感していた。


「喜んでもらえて何よりだ。

 これは、料理長が最近考案したスープでな。

 見た目は具一つないが、その実、様々な食材を長時間煮込み、滋味を抽出し尽くしているらしい」


 自らは音を立てず、琥珀色のスープを味わいながら王子が解説する。

 このスープだけでも、絶品だったが……。

 料理は、それだけに留まらない。

 新鮮な野菜を使ったサラダは、ますます食欲をかき立ててくれたし、主菜として供された白身魚のソテーは、イルマにとって未知のご馳走だ。

 イルマが小柄であることを加味してか、料理はいずれも控えめな盛り付けをされていたが、それらを残すことなく平らげていく。


「どれも気に入ってくれたようだが、特に魚はお気に召してくれたようだね。

 普段もよく食べているのかい?」


 デザートとして提供されたアイスを味わいながら、何気なく王子が尋ねる。


「えと……その……いえ……」


 どもりながらもそう答えられたのは、これだけのもてなしを受けて何も答えぬのは非礼であろうという、最低限の貴族的常識が脳裏をかすめたからだ。


「そうか、そうか……」


 アスル王子は、ほほ笑みながらうなずき……。

 そして、こう付け加えた。


「先にも述べたが、君は我が命の恩人であり、ひいては国民の恩人だ。

 どうか、気が済むまで滞在してほしいし、その間、我らはできる限りのもてなしをしよう」


 その言葉は、今のイルマにとって願ったり叶ったりのものである。

 何しろ、ほぼきのみきのままで屋敷を追い出された後は、王都の郊外で試作機を起動させ、そのまま行くあてもなく飛び出したのだ。

 無論、正体がバレれば殺されるかもしれないことに変わりはないが……。

 ひとまず、食事を得られるのはありがたがった。


「だが、そうなると、名前が分からないのはどうしても不便でな……。

 無理に話そうとする必要はない。

 ただ、どうか俺に、命の恩人の名を教えてはくれないだろうか?」


 アスル王子が、まっすぐな眼差しを自分に向けてくる。

 そうされると、さすがのイルマも名を答えぬわけにはいかず……。


「い、イルマ……です……」


 と、どうにか絞り出すことに成功したのであった。


「イルマか、良い名だ」


 アスル王子が、噛み締めるように自分の名をつぶやく。


「イルマよ。

 ここへ滞在する間、必要なものがあれば何なりと言ってくれ。

 もし、喋るのが嫌ならば、紙に書いても構わない。

 ロンバルド王家の名にかけて、君の望みはかなえよう」


 そして、食後のお茶を飲みながら、そう申し出てくれたのである。

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