アスル・ロンバルド
見慣れた室内であり、子供の頭ほどもある大きさの魔水晶もまた、馴染み深い品である。
けれど、すぐに、これは夢の中であると分かった。
何故ならば……。
魔水晶を挟んだ反対側には、自分と同じ顔をした……けれど、放つ雰囲気は全く逆の少女がいたからである。
「むう……いくら設計者がイルマだからって、実際にマギアへ乗っている身としては、負けるわけにはいかないよっ!」
魔水晶に手をかざしたアルマが、勝ち気な笑みを浮かべながら告げた。
水晶に映されているのは、マギアの操縦席から見た光景を再現したものだ。
木々のざわめきといい、降り注ぐ太陽の光といい、その再現度は現実そのものといってよい。
戦場として選んだ森林地帯の中、木々を遮蔽として巧みに立ち振る舞うのは、対戦相手のマギアであった。
機体のシルエットは全体的に鋭角であり、背部の装甲を大胆に削っているのが特徴だ。
頭部で横一文字に走るスリット状の眼は、アレキス製のマギアに共通する機構である。
――オリオン。
イルマが心血を注いで設計した、次世代の主力マギア候補が、魔水晶の中で再現されていた。
水晶の反対側――アルマの側にも、やはり、同じように遮蔽を利用しながら、フレイガンを撃つオリオンの機影が映されているはずだ。
これは、仮想戦である。
魔水晶の中で実戦さながらの状況を作り上げ、機体の評価を行っているのだ。
……と、いうのは建前。
実態は、姉妹の交流であり、勝負であり、遊戯であった。
「こうなったら千日勝負だね……!」
「え、へへ……!
お姉ちゃん、持久戦は大丈夫?」
「どんとこいよ!
私、体力には自信あるんだから!」
会話を交わしながら、水晶の中では銃弾を交差させる。
しかし、これが――当たらない。
遮蔽物となる物が多い戦場を指定したのに加え、足に優れたオリオン同士の戦いなのだから、これは
「あっ……!」
「弾、切れ……」
姉妹同時に、声を上げる。
互いのフレイガンは、ただの一発も有効打を与えることなく……。
ついに、そして同時に、予備弾倉に至るまでを撃ち果たしたのだ。
「だったら、これで決着を付けるしかないね」
アルマの操るオリオンが、デッドウェイトと化したフレイガンを投げ捨て、代わりに腰のエンチャントソードを引き抜く。
同様の動作を、イルマも自機に行わせた。
「え、へへ……負けないよ、お姉ちゃん」
「それは、こっちの台詞!」
人間の騎士がそうするように、剣を構えた二機のオリオンがぶつかり合う。
勝敗は――。
--
「あっ……」
意識を取り戻し、目を開く。
最後の記憶は確か、竜に止めが刺されたのを見届け、地上に降り立ったところであった。
「エンチャントウィングは、まだまだ改良が必要……。
燃費が悪すぎる」
つぶやき、脳内へ書きつけておく。
空腹だったというのもあるだろう。
精神的に、疲弊していたというのもある。
あるいは、思いがけず実戦を経験した重圧か……。
様々な状況を加味しても、あの程度で魔力切れを起こしたのは問題だった。
「ここ、どこ……?」
イルマにとって最大の重要事項――試作機の改良点について思いを馳せた後、そのことに気づく。
そこは見知らぬ……それでいて、いかにも快適そうな空間であった。
広さは、かつて暮らしていた自室を優に上回る。
しかし、当然ながらマギア開発に必要な各種資料や工作器具が置かれているなどということはなく、石造りの室内を彩っているのは、いかにも洒落た調度類であった。
イルマが寝かされているのは、そんな室内の片隅に存在する寝台である。
これもまた、大きく……そして快適だ。
自室の寝台は、亡きアルマのこだわりにより、姉妹揃って眠れる大きさのみならず、寝心地の良さも追求した逸品であったのだが……。
姉には悪いが、こちらに軍配が上がるというしかないだろう。
さておき……。
総じて――当たり前ではあるが、見知らぬ部屋なのである。
――コン! コン!
ドアがノックされたのは、そんな風に室内を見回していた時のことであった。
「入ってもいいかな?」
そのまま、扉の向こう側から声をかけられる。
これもまた、聞き覚えのない声……。
いや、そうではない。
確か、自分が蹴り落とした竜に止めを刺したマギアから、放たれた声であったはずだ。
何しろ、人付き合いというものがないイルマなので、聞いたことがある数少ない他者の声は、かえって印象に残るのである。
「あ……」
何かを言おうとして、何を言っていいのか分からず、口からわずかに漏れ出た声は霧散した。
豪華な造りの部屋にふさわしく、その扉は分厚く、重い。
よって、イルマの声が届いたはずもないので、声の主はおそらく自己判断を下したのだろう。
なるべく音を立てないように、そっと扉が開かれた。
「おや、起きていたか?
いや、もしかしたら、今ので起こしてしまったか?
すまないな。気をつけはしたのだが」
部屋に入ってきたのは、声から受けた印象通りに年若い青年である。
艶やかな黒髪は、育ちの良さというものを否が応でも感じさせた。
顔立ちは整っているのだが、美形にありがちな――と、姉から聞いている――近寄りがたさがないのは、どこか、人懐っこい雰囲気があるからだろう。
着ている服は、衣類に無頓着なイルマでも、それと分かるほど仕立てが良い。
まるで、絵物語に登場する王子様。
それが、青年を見て感じた第一印象だった。
さて、そんな青年を前にして、十七の乙女がすべきことといえば、これはひとつしかない。
そう……。
「あ……えと……その……」
……どもることだったのである。
何しろ、姉以外の対人経験は絶無といってよいイルマだ。
当然ながら、見ず知らずの他人を前にして、発声器官が正常に動作するはずもなかった。
見目の良い男子を前にしたくらいで人見知りが治るなら、何年もひきこもり生活をしていないのである。
「ん……?
どうしたのかな?」
青年は、そんな自分を見て困ったように首をかしげた。
「いや……あの……」
聞くべきことは、山ほどある。
代表的なところでは、ここはどこなのかということであろう。
しかし、その疑問を言葉という形にすることができない。
「ふむ……。
混乱しているようだな。無理もない」
青年は、そんな自分の様子を見て、何やら勝手に結論を出したようであった。
「そういう時は、温かい茶を飲むのが一番だ。
起き抜けの体は温まるし、心も落ち着く。
どれ、少し待ってな」
青年はそう言うと、室内に置かれたテーブルへ歩み寄る。
そこには、水差しや茶道具が用意されており……。
青年はそれを、手慣れた手つきでいじり始めた。
――シュン、シュン。
水を注がれた湯沸かし器が、素早くお湯を沸かし始める。
微量の魔力を注ぐことで底部に熱を発し、お湯を沸かすこの道具は、貴族階級のみならず、庶民にも普及し始めているとアルマから聞かされていた。
沈黙が、室内を満たす。
自分が口を開けずにいるのは、単に他者を恐れているのが原因であるが、青年がそうしているのは、明らかに自分を気づかってくれてのことであった。
それが、少しだけ嬉しい。
そうやって、待つこと、しばし……。
「さあ、できたよ」
淹れたてのお茶が注がれたカップを、青年が手渡してくれる。
「あ、あいが……」
ろくにお礼すら言えずにいるイルマを見ると、青年はそっと笑い……。
「どういたしまして」
そして、そう口にしたのであった。
「あう……」
このやり取りに、どうしょうもない気恥ずかしさを覚えながら、カップに口をつける。
「――美味、しい」
そのかぐわしさ……。
何より、体へ与えてくれるぬくもりに、思わずそうつぶやいた。
「喜んでもらえて、何よりだ」
青年がそう言って、寝台の傍らに置かれた椅子へ座る。
そして、こう名乗ったのだ。
「マギア越しでもそうしたが、あらためて名乗ろう。
我が名はアスル・ロンバルド。
このロンバルド王国が第一王子だ」
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