第48話 刻限




 ゼルは手頃な廃屋を見つけた。そこで人目を避けるように日中を過ごしていた。到底人が住めるような外郭は保てていないが、人が寄り付かなさそうな点は良かった。それに何故がここが気に入った。


 大部分のレンガは古く、角が削れて丸まっていた。経年劣化であるからにはそれが普通なのだが、年を重ねるごとに積み重なる優しさにも似た寂しさがあった。


 かつての教会だったのだろうか、人々に打ち捨てられた後も、盗賊に荒らされて家具や装飾品は跡形もなく、長い歳月の雨風で、外壁は崩れ落ち、天井などはありはしなかった。どこを見てもまともに人が居た形跡は残っていなかった。


 それでも一つ一つのレンガの積み重なりを思えば、確かにそこに人が居た形跡があった。そんな壁を見つめ、少年は身を丸くして日々を過ごした。


 懐に手を入れれば首飾りに触れることが出来る。いつも懐に忍ばせて大事にしていたDungeon and Seekersダンジョンアンドシーカーズのエドワード・グライーのカードはもうない。あの夜、ペーシの町でドラゴンに成った時に失ってしまった。女騎士に運ばれ、無くしたことに気がついたのは宿屋に帰ってからだ。探しに行こうにも、地下室は瓦礫で埋もれ、屋敷跡の周囲はペーシの聖騎士団が厳重に警戒していた。流石のゼルも無理に探しに行こうとはしなかった。無理を押して行こうとすれば、セリアに止められただろうが、そんな気にはならなかった。


「結構、レアなカードだったんだけどな………」


 未練がましい言葉が口を衝くが、少年にとっては仕方のないことだった。黒甲冑に身を包み、黒い剣を担ぐその出で立ちは子供心をくすぐるには十分だった。絵には宝石を思わせるキラキラとしたラメ加工が施されており、より一層高級感と希少性を感じさせていた。


 いつもの習慣は首飾りにとって変わっていた。懐から取り出し、感触を確かめながら、外気に晒す。ザラザラして角ばっている、それは女騎士が少年に送ったものだった。


 竜石と言うその石は、別に竜に由来したものではない。鉱石としては不良品で、どんな力を加えても砕けず、削ることさえままならない。加工できなければ武具にも出来ず、見た目も地味な土色で装飾品にも向かない。昔の商人が苦し紛れに価値を見出そうと、竜石などと大層な名前を付けたことが名前の由来だ。


 この首飾りも商品価値は薄く、竜石を無理やり首飾りにする為の千年蜘蛛の糸と伸縮の合金人形テレスコーピング・アロゴーレムから採れる金属が値段の大半を占めていた。


 何でこれをくれたのかな、少年は家族以外からの贈り物は初めてだった。特別な意味などないのだろう、でも、嬉しい気持ちは自然と胸の奥から湧いてくる。


 そのセリアは度々ゼルを訪ねていた。進捗は芳しくなかったが、僅かな時間を見つけてはこの廃屋に顔を出していた。初めは自分も一緒に夜を明かすと言って、王都に帰ろうとしなかったが、ゼルは無理やりに帰らせた。聖騎士団の人が急に訪ねてくるかも知れない、一晩なら良いが、連日連夜になると宿屋の主人も怪しむ。出会った頃とは真逆で、我儘を言う女騎士を少年が宥めていた。


 その時の納得するものの、微かに悲しげな表情が少年の胸に残って離れなかった。それでも何か進展がなければここに近寄る理由もない。食料も十分にある、不要なリスクを犯すべきではない。ゼルは時には心を鬼にして、女騎士を諌めた。それでも、セリアは度々現れた。


 そんなある日に貰った首飾り。出会って半年記念とか言っていた気がする。もうそんなに経ったのか、何もない日常は容易に時間感覚を狂わす。


 肌見離さず身に付けていてくれ、真剣な瞳に射抜かれて、少年は力強く頷いた。その相貌には底知れぬ熱を感じた。今ではその首飾りを眺めるのが日課になっている。


 もうすぐ日が沈む。日中の熱を残した夜もすぐに冷えてくる。冷たいレンガの上に寝袋だけを敷いて座る少年のお尻は冷たくはならなかった。暑さも寒さも感じない。正確には外気温の変化に身体が全く影響されないのだ。常に快適な体温を保っている。雨風でのストレスもほぼない。あぁ、人間じゃなくなってきている、その感覚だけがはっきりと身体の内にあった。


 限界が近い、とは前々から思っていた。けど、いざとなれば、中々やってこないものだ。痛みはジクジクとゆっくり全身を侵す。気が付いた時には手遅れだ。少年は最悪の事態を免れたにすぎない。


 女騎士を呼ばなければならない、その刻は訪れたのだから。そう思いつつも、ゼルはセリアがすぐそこに現れるだろうと確信があった。理由はない、ただ、そう思っただけだ。


 見る間に人の形は巨大な翼の影と大地を踏み潰す四肢に支えられた巨体に変わった。天へしなる長い首と地面へ横臥する太い尾は赤黒い鱗に覆われている。尊厳なかおは正しくドラゴンだ。


 意識、自我が失われる狭間で揺れる間、思い出されるのは妹のソフィだった。後悔はない、と言った言葉、あれは大嘘だ。一番の後悔は妹へ嘘をついたことだ。必ず帰ると約束した、それを破ってしまったのだから、兄失格である。我儘なソフィのことだ、どんな恨み言を言われるか判らない。けど、もう謝ることすら出来ない。出来ないんだ。


 最期に見る景色に一つの情景が浮かんだ。そこには見慣れた人物がいた。淡く蒼い髪を靡かせ、細剣を握る姿は一緒にダンジョン探索をして以来久しい。獲物を射抜くような鋭い眼光は健全だ。それがいい、それがよく似合っている。


 さようならは言えただろうか、外が酷く喧しい。静かで過ごしやすい場所だと思っていたけど、どうやら違うようだ。伝わらないなら何度でも言おう………


 ありがとう、さようなら………

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