第47話 約束




 頬を冷たい感触が撫でた。それには感じ得ぬ温もりが籠っていた。手が冷たい人が必ずしも心が冷たい、なんてことはないんだ、少年は女騎士の言葉を思い出していた。


 その冷たさは他人の為に尽くした証拠だ、人が嫌がる水事を率先して熟し、畑をいじる手は泥だらけになる。常に人の為に動く手が常に温かいなんてことはない。その温かさを他人に与えているから冷たいのだと、私は考えている。


 私の父がそうだ。情けないことだが世間から見た聖職者は清貧とは程遠い。高価な装飾品で着飾り、ふくよかな脂肪で身体を覆い尽くしている。聖職者にとって、威厳とは大事なものだ。着飾ることも膨よかなことも豊かさの象徴であり、心の豊かさに繋がる。


 それは確かに間違ってはいない。至って普通の人はそれが正解であり、近道なんだろう。けど、ほとんどの聖職者の膨よかさに比べて、聖人はすべからく痩せ細っている。


 ははは、これだと父親自慢になってしまうな、しかし、父は本当に立派な人物で私は心から尊敬している。


 私の父は清貧を地で行くよう人だ。聖職者にも拘わらず宝石などの装飾品などは決して身に着けず、その代わりに道端の子供たちに食べ物を買い与えていた。夕食の材料を買いに行って、家に着く前になくなることなど日常茶飯事だった。教会での炊き出しもいつものことだった。広場には匂いに誘われて、沢山の子供や老人で溢れかえっていたものだ。中には悪さをする者もいたので、そんな輩の対処は専ら私の役目だった。まったく、父には苦労させられたよ。


 ………私と父は血が繋がっていない。私も父の優しさに拾われた一人なんだ。何故私だけ養子にしたのかは判らないが、ジャンドゥ・バルムスタと言う男の優しさを私が一人占めして良いはずがない。だから、私も父の慈善を積極的に手伝ったよ。それは凄く誇らしいことだ。ジャンドゥ・バルムスタは私の父なんだと胸を張って言える。


 そんな父の手はいつも冷たかった。食べ物を与える手も、畑仕事で水を汲む時も、困っている人に差し伸べる手はいつも冷たかった。幼き日、あの手を繋いで帰った帰り道を忘れたりはしないよ。


 だから、私は受けた恩を返す為、聖騎士になった。困っている人を一人でも多く助ける為、私は剣を振るおう。


 ………ゴホンッ、些か喋るすぎたな、今の話は忘れてくれて構わん。何故こんなにペラペラと語ってしまったのか………フッ、そうか、君がどこか私の父に似ているからかもしれん。


 さぁ、休憩は終わりだ。先へ進もう。


 立ち上がる女騎士はおぼろげに消え、少年はゆっくりと目を覚ました。


「………ゼル、おはよう。体調はどうだ?」


 そこにはベッドの端に遠慮気味に座るセリアが居た。夢で出会った女騎士とのギャップに酷く困惑する。饒舌な夢の中の女騎士は凛々しい相貌に優しさと意志の強さが宿っていた。それに比べて今の女騎士はどうだ、憔悴気味の顔色の悪さは目の下のクマの所為だろうか、人目を引く美しい淡く蒼い髪はキューティクルを失って、輝くを失っている。


「………悪くないです、セリアさんこそ、大丈夫ですか?」


「私か?私なら問題ない………何も問題ない」


 そう言って俯くセリアは到底、問題ないようには見えなかった。そういえば、話さなきゃならないことがあるんだ、ゼルはベッドから起き上がろうとした。


「ゼルッ………大丈夫か?無理に起きなくてもいいんだぞ」


「大丈夫です」


 ゼルは身体を起こし、セリアの隣に座った。見つめる瞳が揺れている。いつもなら芯が座り、波のように揺れていることなど見たことがなかった。それだけ不安なのかも知れない。完璧な人間などこの世にいない。


「セリアさん………僕は王都を離れようと思います」


「な、何を言っているんだ!?君は」


 驚いた顔を隠そうともしない狼狽したセリアを見て、ふと、少年は笑いが込み上げてきた。そういえば、蒼白の閃光って呼ばれてるんですね、って言った時もかなり焦った様子だった。どこでそれを知ったんだ!?って言った時の顔はいつもの凛とした表情とはかけ離れたものだった。


 少年はその出来事が昨日のことのように思い出されると同時に遥か昔のことのようにも思えた。不思議な感覚だ。出会って半年も経っていない。けど、長いこと一緒に旅をして来たような気がする。もっと、一緒にダンジョン探索したかった………


「これ以上王都にいることは出来ないです。いつ、ドラゴンになるか判らない………」


「………っ」


 日に日に状況は悪くなっていた。毎夜の動悸の激しさは増すばかりで、小さな鱗が肌を覆う時もあった。踏ん張り、抵抗し、何とか正気を保って、完全に魔物化していないが、それも時間の問題だ。街中でドラゴンになるわけにはいかない。


「安心して下さい。少し離れた場所で身を潜めます。どっちにしても今の僕じゃダンジョン探索もできないし、街中で情報集めもできません。セリアさんに任せっきりにするのは申し訳ないですが、王都を離れます」


「そんな、そんなことは気にするな!私が必ず魔物化阻止の手掛かりを見つけ出す。だから、君も諦めないくれ………」


 少年の中に諦めの言葉はなかった。しかし、覚悟は必要だ。


「大丈夫です、最後まで諦めたりしません。けど………」


 言葉に詰まった。しかし、言葉にしなければならない。


「………もし、もしも、その時が来たら………」


 その時はすぐに訪れるだろう。魔物化阻止の手掛かりさえ見つかっていない現状ではどうすることも出来ない。なら、完全にドラゴンに成る前に………


「………僕を、殺して下さい」


「な、な………何を、言って………」


 言ってしまった。しかし、言わねばならなかった。女騎士が震えている。こんなことを言ったから怒っているのかな、それとも失望されたかな、セリアはいつだって自分と言うものをしっかり持ち、正義感が強く、簡単に物事を諦めたりしない。そんな彼女を傍で見ていたからこそゼルは全てを託せた。


「何を言っているッ!諦めないと言ったじゃないかッ!」


「そうです。最後まで諦めません。けど、その最後を考えないといけません」


「駄目だッ駄目だッ!その最後が訪れないように私が必ず手掛かりを―――」


「ないじゃないですかッ!………手掛かりなんて………」


 ゼルは大きい声を出したことを後悔した。こんなことを言いたいわけじゃない。けど、ゼロだ。魔物化阻止の手段どころか、手掛かりさえない。全くのゼロなのである。現実を見ているゼルと見えていない、いや、見ようとしないセリア。どちらが正しいかなど言うまでもない。


 セリアの瞳は先程以上に揺れている。今にも泣き出しそうで、転んで痛みを我慢している子供のような顔をしている。やっぱりそんな顔は似合わない、気に病む必要なんてないのに、ゼルは話を続けた。


「セリアさん、貴女には使命があるはずです。それを全うすれば良いんです。何も………難しいことじゃない」


「なんで、なんで、君がそれを………」


 少し疑問に感じたことだった。セリアが事の発端で、罪の意識とその責任から魔物化阻止の旅に付き合ってくれているが、本当にそれだけなのか。聖騎士団団長の公務を投げ出し、ただの少年のダンジョン探索に付き合う。そんなことがあり得るのか?いや、それだけなわけがない。


「後悔はないですよ。ここで終わっても」


 嘘である。自分の今までの行ないに悔いはないが、まだまだやりたいことは沢山あった。少年は生まれて始めて自分の意志で嘘をついたかも知れない。ギメス会に悟られない為にたまに嘘をつかないといけない旅だったが、その本質は別のところにある。


 少年は真っ直ぐ女騎士の瞳を見た。


「僕は貴女に出会えて良かったです」


 それはなんと美しく、残酷な言葉であろうか。


 ゼルがセリアに出会わなければ、あの時、スキル書が入れ替わっていなければ、少年がこんなにも早く最後を迎えることもなかった。しかし、出会わなければ、これまでの楽しい思い出も全てなかったことになる。ダンジョン探索して、野営して、時には人助けをして、短い間だったけど、楽しい時間だった。その言葉は少年にとっても嘘か本当か判らなかった。しかし、行ないに対し、悔いはない。


 すでに俯いているセリアを見ずに、目の前の備え付けの家具を見た。手荷物などはほとんどが手つかずで、生活感が感じられない。本来なら徐々に荷物が広がり、忙しい日々の中で、片付けなどできなかったはずだ。言い得ぬ寂しさを感じるのは、決して少年だけではないはずだ。


「だから、約束して下さい。最後は貴女の手で………これはセリアさんにしか頼めません」


 すぐに返事は返ってこなかった。チラッと視界の端に映った膝の上に置かれている両拳はこんな時でも綺麗だ。肌はカサつき潤いを失っていても、そこには誇り高い美を宿していた。きっとそれは、親から引き継がれたものだろう。いつの日か語ってくれた女騎士の不忘の日々は勇気を与えてくれる。だから、きっと出来るさ、貴女なら………


「………判った」


 弱々しい返事に今まで少年が見た女騎士の強さはなかった。しかし、これでいい、少年は立ち上がり、軽い手荷物だけ持って、宿屋を後にした。


 行く先は判らない。それはこの旅が始まった時から漠然としていた。覚束ない足取りで通り過ぎる王都の街はまだまだこれからが盛りだ。太陽が沈んでも不夜城のような長い夜が待っているのだから。


 

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