第46話 王都





 プロイツィア王国、王都。王国の行政機関を中枢があり、経済基盤の要であるダンジョンは黒鉄から白金ダンジョンまで幅広く点在する都。王侯貴族が住まうに相応しい豪華な街には大量に抱える人口を養う為に靴磨きの少年から、鍛冶屋の頑固オヤジまで幅広い人達が日夜汗水流して働いている。


 人々が大量に行き交う喧騒な大通りがあれば、薄暗くひっそりと佇む路地裏は王都でなくともどこでも見れる光景だ。王都はその規模が大きいだけ。マスキ通りの西の三十五。その路地裏には木箱を椅子代わりに座る目つきの悪い男とフードを目深に被った人物がいた。丈長の外套の所為でその人物が男か女か遠目では判らなかった。


 二人の会話に耳を傾ける暇人は周りにはいなかった。


「………知らねぇな」


「そんなはずはない、確かにそこの角の酒場の店主から聞いたんだ。貴方がツィードでの〝窓口〟だと」


「あのオヤジ、金が欲しいからって誰彼寄越すんじゃねぇよ………」


「じゃ、貴方が………」


「知らねぇ、知らねぇよ!お前みたいな〝貴方〟呼びするような奴なんて知らねぇよ」


 静寂を好む路地裏に相応しくない叫び声。フードの人物は明らかに狼狽していた。服の上からでも焦りが見え隠れしている。なおも交渉を続けるフードの人物は頑なな男に諦め、踵を返した。過ぎ去る背中越しに男の呟きが聞こえた。


「お前みたいな〝目立つ〟奴とは誰も取引したがらねぇ。裏社会の作法を覚えてから出直しな」


 フードの人物は振り返らずに大通りに戻った。王都の中心街から少し外れた大通りは石畳の舗装はされておらず、砂が舞って埃っぽかった。裏路地はあまり埃が舞ってなくて、意外に快適なんですよ、セリア・バルムスタは少年の言葉を思い出し、足早に大通りを去る。


 セリアは今、ゼルと別行動を取っていて、少年は宿屋で休んでいる。何気ない会話をしていた時の屈託のない笑顔はもうなかった。セリアを心配させまいと笑顔を作っているが、それが逆に痛々しかった。その笑顔を見る度にセリアは胸が締め付けられるほど苦しかった。


 数少ない手掛かりを失って、失意に打ちひしがれるセリアの足取りは重かった。手掛かりとは言ったが、手掛かりと言うにはあまりにもお粗末な情報だった。セリアの憶測も多分に含まれていた。それでも縋らずにはいられなかった。為す術がなさ過ぎるのだ。


 本来の手段である魔物化のスキルリセット書を探す為のダンジョン探索は全く進んでいなかった。ゼルが白金ダンジョンを踏破し、白金等級に昇級して、初めて意味のあるものになる。そのゼルがペーシの町の一件以降、力を使えないのだ。いや、正確には使えるが、一度ドラゴンに成っている恐怖から無意識に力をセーブしているのだ。セリアもこれ以上ゼルにダンジョン探索させるべきではないと考えている。力を使って、いつまたドラゴンに変身するか判らない。些細な切っ掛けで成ってしまうかも知れない。


 現に、最近のゼルは正体不明の発作に襲われていた。それが魔物化への予兆なのかは判らない。けど、セリアは苦しむ少年をただ見守ることしか出来ない自分自身が悔しかった。何でもいい、行動しろッ!自分自身を叱咤し、セリアは思いつく限り行動した。


 その一つが先程の男だ。思いつく限りと言っても、そんなに案があるわけではない。当初思いつき、頭の片隅に追いやった考えを引っ張り出し、憶測の元に行動した。しかし、それも門前払いの一点張りだった。


 セリアは闇の世界の外法に頼った。実際にそんなものが存在するか判らないが、行動せずに後悔したくなかった。しかし、セリアはおの男が言ったように〝目立ち〟過ぎる。人目を引く容姿は隠せば何となるが、闇の世界の住人の嗅覚は敏感なのだ。聖騎士団団長が何か嗅ぎ回っていて、はい、こちらです、と素直に案内してくれるわけがない。どれだけ犯罪者の取締ではないと取り繕っても信じてはもらえはしない。聖騎士団には闇の世界の住人を騙し、時には騙されて、犯罪を取り締まって来た歴史がある。


 隠密行動にも慣れておらず、闇に紛れることを知らない聖騎士団団長など相手にする者などいない。すでに何度か接触を試みていたが、全て空振り。掠りさえしていない。このままでは、どうしようもない焦りだけがセリアを動かしていたが、結果が出ることはなかった。


「セリア・バルムスタ団長」


 不意に声をかけられた。気が付かぬ間にフードが脱げていて、外見から女騎士を判断するのは容易だった。もしかしたら声を掛けて来た人物につけられていたのかも知れないが、そこまで気を回せる余裕が今のセリアにはなかった。


 ゆっくりと振り向くと、そこには平服を着たどこにでも居そうな男が立っていた。歳は二十台半ば、黒色の短髪でも長髪でもない髪に、少し切れ長だが、あまり特徴のない目元に、鼻も口もあまり特筆すべき特徴が見当たらない。言ってしまえば、普通の男だった。


「ナント支部のセリア・バルムスタ団長ですか?」


「………貴方は?」


「私はノック・メリーグと申します。ダンジョン教会で審問官をしております」


 審問官と聞き、またか、とセリアは内心ため息をついた。話すべきことなら話した、今は少しでも時間が惜しい、セリアは決して心の内を表に出さないように努めた。


「安心して下さい。ドン・ペトロイデス元司祭長の件ではありません」


 それを聞いて、頭の中に疑問符が浮かんだ。なら、王都所属の聖騎士団員でもないのに審問官が何の用だ、セリアは素直に困惑顔を浮かべた。


 審問官とは犯罪者に纏わる情報や、物的証拠を集める、所謂捜査官である。教会で開かれる裁判での証拠集めや、個人の犯罪者や組織的な犯罪者の抑止として情報を集め、事前に犯罪を阻止するようにも動いている。教会の武である聖騎士団とも縁が深い。


 だから、大罪人であるペトロイデス元司祭長の魔物系のスキル書横領事件の重要参考人であるセリアは屋敷での一件直後に審問官から嫌と言うほど尋問を受けた。屋敷で何をしていたのか、横領の片棒を担いでいなかったのか、ペトロイデス元司祭長はどこへ行ったのか、散々色んなことを言われたが、セリアはゼルのことを伏せ、正直に話した。


 屋敷では横領を含めた危険な思想の誘いを受けた、スキル書横領に関しては関わっていない、聖騎士団団長として従卒と協力して捕えようとしたが、『魔物使い』というレアなスキルを使われ、逃げられた。どこへ逃げたかは判らない。


 セリアの発言に審問官は初めは疑りの眼差しを強く向けていたが、そもそもセリア・バルムスタとドン・ペトロイデスには主だった接点がなかった。ナントとペーシは距離的にも離れており、バトゥース会とギメス会と派閥も違う。同じダンジョン教会関係者とはいえ、大きな組織で役職も活動の場も違えば、接点などない。セリアの嫌疑はすぐに晴れた。


 ペトロイデス元司祭長の件でなければ何がある、何かの捜査の協力なら王都所属の聖騎士団に頼むのが筋だ。今のセリアは各支部の視察と魔物に関する助力の任務中となっている。特に話すことなどない。


「例の件でないなら、何の用だ?」


「バルムスタ団長。貴女はこの王都で何をやっているのですか?」


「何って、私は視察と助力を………」


「ブルネイス元帥に面会せずに、ですか?」


「それは………」


 言葉に詰まるセリアの目は微かに泳いでいる。ロベルックでも、ペーシでも団長には顔合わせをした。当然、任務の内容からして王都の団長にも会うべきだ。しかも、王都の聖騎士団の団長はただの団長ではない。


 ―――元帥


 それは全ての聖騎士団団員の頂点に立つ役職であり、武において右に出る者いないとされている。その上、人の上に立つカリスマ性と統率力も兼ね備えていなけばならない。元帥とは団員だけじゃなく、多くの民の憧れの存在である。セリアとて例外ではない。


「何か事情がお有りなのですか?」


 寧ろ、事情しかない。しかし、それは決して話せる内容ではないし、それが理由でセリアはティティリア・ブルネイス元帥に会いたくなかった。


「あの方の前では隠し事はできません。スキルなのか何なのか、あの方は超人的な直感をお持ちですから」


 ティティリア・ブルネイス元帥には新人時代にお世話になり、セリアの目標でもある人物だ。しかし。間近で見てきたからこそ、彼女の驚異的な洞察力と神がかり的な直感力の前では何人たりとも嘘を突き通せない。今の心が乱れたセリアでは一発で嘘を看破されるだろう、だから、会うわけにはいかない。


「あの方は暢気なのか、貴女に甘いのか、未だに挨拶にも現れない貴女を咎める様子がありません。だから、こうして私が探りを入れに来たのです」


「私は………」


「と、言っても、私も忙しい身です。いつまでも貴女に構って要られません」


 ノックの少し芝居がかった仕草にセリアはハッとした。これも全てブルネイス元帥の差し金であろう、セリアは心底頭が下がる思いだ。


「本当に、すまない………」


「私は別に謝罪がほしいわけではありません。ただ、何か大切なものをドブに落としたなら、私も一緒に探しますよ、と言うことです」


 有り難い申し出だ。ノックがどれだけ審問官として優秀かは判らないが、今のセリアよりはマシであろう、比べるまでもない。しかし、やはり頼るわけにはいかない。


「大丈夫だ………ドブに大事なものを落とすほど、間抜けではない」


 そうですか、と呟くノックの表情に変化はない。終始一貫して無表情であった。


 踵を返し、立ち去ろうとするセリアにノックは最後の言葉を残した。


「路地裏は貴女には似合わない。これ以上近づかないようにお願いします」


 その言葉には少し怒りが混じっていたように感じた。もしかしたら、闇の世界の住人から苦情が来たのかもしれない。目立つ奴が何かを嗅ぎ回っている、と。


 セリア・バルムスタは有名人だ。全部の民が認知しているわけではないが、闇の世界の住人はその限りではない。捕まりたくない犯罪者にとって、主だった聖騎士団の顔ぶれは覚えて当然のことだ。それが団長ともなれば尚更だ。下手な捜査をしていたセリアはすぐに闇の世界で警戒対象になったのだろう。そんな奴が無遠慮に縄張りに入ってくれば仕事がやり辛くて仕方ない。裏の情報屋の心情はそんなところだ。セリアはそこら辺の認識も甘く、全てが中途半端だった。ふと、冷静に考えれば判りそうなものだ。


 意気消沈したセリアは宿屋への帰路についた。もしかしたら、助けを求めるべきだったのでは、と頭をもたげた。しかし、小さくかぶりを振る。少年がそんなことを求めていない。しかし、少年が求めていないからと言って、素直に引き下がるのか。少年にとって正しい選択をすべきじゃないのか、それは本人の意志を曲げてでも押し通さなければならないことなのか。疑問に疑問が重なり、もはやセリアは自分の考えが判らなかった。


 宿屋の扉を開ける。探索者用の部屋にはいくつかの小部屋が割り当てられている。その内の一つの扉を開いて、中に入る。


 そこにはベッドに横になっているゼルがいた。静かな寝息をかき、今は落ち着いているようだ。セリアはゆっくりとベッドの端に腰を降ろし、少年の寝顔をジッと見つめた。


「ゼル………私はどうしたらいいんだ………」


 思わず弱音を吐かずにはいられなかった。決断の時はもうすぐそこまで迫っていた。


 


 

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