第44話 合成獣
獅子の頭部と四肢に、蝙蝠の羽と蠍の尻尾。ゼルとセリアの前に現れたのは
「セリアさん!この魔物はつよいですよ」
「あぁ、判っている。油断するなよッ!」
ゼルとセリアはそれぞれ左右に展開した。挟撃を狙う、広さがあるならそれを活かさない手はない。
「ゴオオオオオオオォォォォォォ!!!!」
「ハハッ!行けッ、キメラよ。あの女を喰らいなさいッ!」
命令と同時にキメラが飛んだ。強靭な四肢で地面を蹴り、蝙蝠の羽で風を掻き出し、加速する。キメラの前足が地面を抉った。セリアが立っていた場所は土煙が上がったが、その人影はすでに見えなかった。
「遅いッ!
すでにキメラの攻撃を躱していたセリアは側部に回り、光魔術を放っていた。十条の光が細剣の切っ先から放たれ、一つの大きな光線へと変わる。そのまま一直線にキメラに命中したが、外皮を少し焦がす程度で、すぐに弾かれてしまった。
「そんな攻撃ではわたくしのキメラは斃せませんよ!ただ………流石は蒼白の閃光と呼ばれるだけのことはありますね。その動きを捉えるのは厄介そうだ。そこら辺の小物犯罪者が遭遇すれば、正に顔面蒼白と言った具合かな」
未だ余裕の表情を浮かべているペトロイデス司祭長だが、決して油断しているようには見えない。セリアのことを分析しようとしている。
セリアに襲いかかっているキメラの脇をすり抜け、ゼルがペトロイデス司祭長へ迫った。スキル『魔物使い』が具体的にどのようなスキルか判らないが、主を失えば、自ずとキメラも無効化できるかもしれない。悪くない判断だ。
しかし、司祭長の寸前の所で、キメラの蠍の尻尾がゼルを襲う。初め見たときよりも長い。尻尾は伸縮自在のようだ。ゼルは寸前の所で躱し、後方へ飛び、距離を取った。二対一で有利だと思っていたが、どうやら、そう簡単な話ではないようだ。
「まだまだこんなものじゃないですよ!わたくしのキメラはッ!」
キメラは蝙蝠の羽を大きく広げ、羽ばたいた。滞空し、泳がす羽から風が舞う。それは部屋中の床に小竜巻を生んだ。迂闊に触れば引き裂かれる刃を纏った無数の風がゼルとセリアに襲いかかる。
小竜巻郡を前にセリアの細剣が薄く光っていた。光魔術を纏った剣捌きは、光の軌跡だけを描き、全てを斬り裂いた。目にも留まらぬ剣技に小細工は通用しない。
女騎士が速さと技を見せつけると、ゼルは圧倒的な力で小竜巻郡をねじ伏せた。爪の斬撃の一裂きが無数の風の刃を無に帰す。
「ハハッ!実に愉快ですね。セリア・バルムスタが手強いのは承知していましたが、従卒の彼もここまで出来るとは予想外です。しかし、それは嬉しい誤算。どんな魔物種かまだ判りませんが、彼を手に入れれば、わたくしの天命は更に捗ります」
「黙れッ!その薄汚い口でゼルを語るなッ!!!」
セリアの怒りの形相に、怖いですね、と自身の身体を抱き寄せるペトロイデス司祭長は恐怖を感じているようには見えなかった。寧ろ、その仕草全てが女騎士を煽っていた。
「セリアさん!来ますッ!」
蠍の尻尾を大きく
セリアはゼルを庇うように一歩前に出た。ゼルもセリアを信じて後ろに隠れる。空中に大量の光の玉が現れた。
「
弾幕を作る光は力強さと暖かさを兼ね揃えていた。目を覆うほどの光の幕は全ての毒針を一つの漏れなく撃ち落とした。一つ一つの威力は小さい光弾だが、多数相手に有効である。
全ての毒針を撃ち落としたセリアは即座に動いた。大量の光弾は目眩ましの効果もあった。キメラは一瞬だけ怯んだ為、一手遅れた。その隙にセリアは高速で細剣を振るい、キメラの蝙蝠の羽を中程から激しく斬りつけた。羽膜はズタズタに斬り裂かれ、羽としての機能を失った。
セリアのこれ以上の接近を嫌ったキメラはもう片方の羽で風を生み、セリアを払い除けた。巧みに身体を翻し、華麗に宙を舞うセリアはゼルの近くに着地した。
「流石ですね、セリアさん。キメラもあの身体で相当速いですけど、セリアさんには敵いませんね」
「あぁ、そうだが、力と技の多様さは相手の方が上手だ。決して油断するなよ」
少し余裕を感じているゼルに対して、セリアは一切気を緩めていない。やっぱり、凄い人だ、若いとはいえ聖騎士団団長を立派に務めあげている女騎士と少年との間には圧倒的な経験の差があった。
しかし、形勢は決まったように見えた。機動力の要である蝙蝠の羽を一つ失ったのだ。キメラの攻守は後手に回らざるを得ない。勝ち目は薄いように見えたが。
「魔回復ッ!」
ペトロイデス司祭長の叫びと共にキメラを紫色の靄が包んだ。靄は破損した蝙蝠の羽を中心に纏い、見る見る羽が原型を取り戻した。完全に靄が晴れて、姿を現したキメラは戦う前の状態のように生き生きしていて、形勢は振り出しに戻った。
「クッ………司祭長ッ!それが貴様のスキルかッ!」
「その通りですよ。わたくしが『使役』した魔物に限り、わたくしの『魔物使い』のスキルは本領を発揮するのです。わたくしを斃さない限り、キメラは復活し続けます。しかし、このキメラがいる限りわたくしは斃せません。さあ、どうしますかッ!」
スキル『魔物使い』は思ったよりも厄介だ。どれだけ傷付けても使役された魔物はゾンビのように蘇ってくる。指揮系統も完璧で、統率された動きの中で隙を突いてペトロイデス司祭長を斃すのも難しいそうだ。
眉根を寄せて真剣な相貌のセリアは先程と何も変わらない。代わりにゼルは少し焦りの色を覗かせた。余裕と言う言葉はすでに消えていた。
「キメラッ!」
ペトロイデス司祭長に呼応して、鋭利で獰猛な牙をむき出す獅子の口が大きく開いた。喉奥から迸る熱は大気を焼き、火炎に変わった。火も吐くのッ!と驚くゼルはキメラに妙な親近感を抱いたが、そんなことを言っている場合ではない。
「セリアさんッ!僕の後ろへ!」
キメラと同じく、大きく口を開けたゼルは炎を吐き出した。空気を伝って肌を焼く豪炎は互いにぶつかり、どちらも一歩も引かない。しかし、炎の勢いは僅かにキメラに軍配が上がった。四肢と二足で地面を支えている差が出たのだ。微かに足元が
「ハハッ!炎まで吐けるのですかッ!
喜々としているペトロイデス司祭長はすでにこの勝負が終わった後のことを考えて興奮しているのだろう。セリアはゼルを心配して、急いで近づいた。
「ゼルッ!大丈夫か?」
「はい、何とか………でも、今までの魔物で一番強いです」
「あぁ、あの男は意味不明で悍ましいことばかり口にしているが、抜け目のない奴のようだ」
ペトロイデス司祭長は口ではセリアのことを同志と呼んで、一緒に天命を全うしようと言っていたが、万が一の事態を想定して行動していた。もし、聖騎士団団長であるセリア・バルムスタと思想が違い、受け入れられなかった時は、敵対する可能性が高い。その為のキメラである。対抗できる戦力があったからこそ声を掛けてきたのだ。ペトロイデス司祭長はその実、狡猾な男であった。
その後もお互い一歩も引かず、一進一退が続いた。僅かな隙を突き、キメラに攻撃を当てるが、ペトロイデス司祭長のスキルで回復されてしまう。セリアにもスキル『
「魔回復ッ!」
何度目かの回復。キメラをスキルで回復させながら、ペトロイデス司祭長は妙なことを口走った。
「メルちゃん、大丈夫ですか?彼らに傷付けられて可哀想ですね。しかし、わたくしがしっかりサポートしますから、負けるんじゃないですよ」
聖母が子を慈しむようにキメラに話掛けている。それはひどく違和感のある光景で、セリアは僅かに眉間に皺を寄せた。それをあざとく、ペトロイデス司祭長は見逃さなかった。
「うぅん?セリア・バルムスタ。どうかしましたか?何か気になることでもありましたか?」
「………」
「だんまりですか………いいでしょう、貴女の気になることを当ててみましょうか
」
ゼルは嫌な予感がした。何がとは言えない。ただ、漠然とした不安が胸を締め付けていた。やめてくれ、それ以上は、駄目だ………
「このキメラの名前が気になったのでしょう。ですが、この子はわたくしのペットです、名前を付けるぐらい当然でしょう。名前の由来をお教えしましょうか?」
「………黙れ」
「彼女はとても勇敢でした。他の子たちを励まし、皆の支えになっていた。いつかここを抜け出せる、パパとママが迎えに来てくれる、と日夜声を掛け続けていました」
「黙れッ!黙れッ!黙れッ!!!」
「わたくしはね、人の肉体的、精神的強さは、強ければ強いほどに比例して魔に対抗できると考えているのですよ。その点、彼女は素晴らしかった。弱い個体はスキル書を読ませてもすぐに死んでしまいますからね」
やめてくれ、もう駄目なんだ、どうしようもないんだ、助けてあげられなかった………ゼルは視界が歪むほどの不安に駆られていた。とどめを刺すようにペトロイデス司祭長はヘラヘラと語った。
「でも最後は………パパ!ママ!って泣き叫んでいましたっけ」
「―――っ!貴様ッ!この外道がッ!!!」
言うと同時にセリアは真っ直ぐペトロイデス司祭長へ向けて跳躍した。怒りに我を忘れたセリアの跳躍は光に限りなく近かった。しかし、ペトロイデス司祭長は不敵に笑っていた。
「魔改造ッ!」
それは間合いの外にいたはずのキメラを瞬時にセリアの元へ誘った。今までにない速度。今までのが最高速じゃなかったのか、いや、強化したのか、少し後ろで俯瞰して見ていたゼルは瞬時に状況を理解し、考えるよりも早く飛んだ。どれだけ速さに自信があるセリアでも不意の一撃は避けられない。ましてや、相手の術中に嵌っている。間に合えッ!
今までにない轟音が地下室に響き渡り、二つの影は勢いよく壁にぶつかった。
「セリア・バルムスタ。貴女は実に判りやすい。一見冷静に見えてるその振る舞いですが、若さ故なのですかね、その内に感情に流されやすい激情を抱えている。これがあの方の仰る人間の限界と言うやつですか………」
砂煙の向こうから薄ら寒い声が聞こえてきたが、ゼルは自身のことよりまずセリアを心配した。間に合ったのかな、でも、防ぎ切れなかった、明滅する視界の中、背中から声が聞こえた。
「ゼルッ!大丈夫か?あぁ、私の所為で、私は何をやっているんだ………」
「大丈夫ですよ、セリアさん。このぐらいどうってこと………」
「何を言っているんだッ!血を吐いているじゃないかッ!待ってろ、今すぐ治療する」
セリアの一言で、自身を振り返るゼルは口から胸にかけて生暖かいものを感じた。手のひらは赤く染まっている。これ、全部血なのか、ゼルは口から大量の血の塊を吐いていた。少年は自身の状態が上手く理解できなかったが、薄れゆく意識の中でハッキリとそれを感じた。
―――力。
ドラゴンとは実在する魔物ではあるが、目撃した者は数少ない。空想の存在に近いが、確実に存在する魔物。空想と現実の狭間に存在するドラゴンは人々に神秘的な印象を与え、畏怖の念を持って崇められていた。故に、人はこぞって壮大なおとぎ話の世界に登場させた。幼い頃の少年も妹のソフィと一緒によく読んだものだ。
王宮に住まう姫を攫う悪いドラゴンと姫を助ける為にドラゴン退治に向かう勇者一行の物語。互いに不遇な境遇同士の人間とドラゴンの友情の物語。中には人間と恋に落ちるドラゴンの物語もあった。正に美女と野獣だ。
作者の数だけ様々な多種多様なドラゴンが存在した。しかし、一つだけ共通していることがあった。
―――ドラゴンとは力そのものだ。
例外なくドラゴンとは途方もなく強く、災害と称され、暴力の権化と恐れられ、そして絶対強者だった。だから、ドラゴンが力で他に劣るなど絶対にあってはならないことなのだ。
ゼルは暗転する意識の狭間で、世界が赤黒く染まるのを感じた。そして、遠くの方で少年の名を叫ぶ声に答えるものは誰もいなくなった。
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