第43話 司祭長邸宅地下室




「うわぁ………おっきい家ですね」


 見上げるほど大きい屋敷を見て、ゼルは感嘆の息を漏らした。ドン・ペトロイデス司祭長の屋敷。セリアとゼルは昨日と同じ時間にここを訪ねた。ドアベルを鳴らす女騎士はダンジョン探索と同じ格好をしている。鈍く光る部分鎧にいつもの帯剣。ゼルも動きやすい探索時の軽装で来ている。こんなお屋敷には似合わないなぁ、見慣れない大きな屋敷に、高位聖職者との対面。緊張せずにはいられなかった。


 扉の奥から足を音が聞こえる。セリアからは、今日はペトロイデス司祭長がゼルにも会いたいと、聞いている、大事な話もあるとか。何だろうな、と考えながら扉が開くのを待った。すぐに黒塗りの扉は開いて、奥から先日見た顔が覗いた。


「いらっしゃいませ。よくぞお越しくださいました」


 柔和な笑みを浮かべたペトロイデス司祭長は教会で出会った時の印象そのものだった。人が良さそうで、信徒から慕われていそう、少年の印象はそんな感じだ。一方で、セリアの様子が可怪しい。先日ダンジョン教会で対応していた丁寧な物腰は見られない。明らかに司祭長を警戒、或いは、敵対視している。昨日何かあったのかな、ゼルは対象的な二人の印象に小首を傾げた。


「さあッ!ペトロイデス司祭長。私と従卒の彼と二人で伺いました。昨日の話の真意をお聞かせ下さい。貴方はどんなスキルをお持ちなんですか?コレクションとは一体何なのですか?」


 焦りからか、早口でまくし立てるセリアに、落ち着いた様子のペトロイデス司祭長は柔和な笑みを崩さない。ゆっくり、それでいて焦らすような動きでセリアに背を向けたペトロイデス司祭長は、後についてくるように二人に促した。


「セリアさんはまだわたくしのことを警戒している様子ですね。なら、わたくしから先に全てを見せましょう。わたくしのコレクションを見れば、一目瞭然。全てを理解するでしょう」


 廊下の奥へ奥へ進むペトロイデス司祭長に続いてセリアとゼルも奥へと続いた。流石の屋敷の広さである、中々目的の場所に辿り着かない。移動の間に会話はない、燭台の明かりだけが不気味に前を歩くペトロイデス司祭長の背中を照らしていた。


 ようやく辿り着いた先は鉄扉で閉じられた部屋だった。重厚そうな鉄扉を開くと、すぐに階段がある。部屋の構造としては不自然極まるが、それがさも当然のようにペトロイデス司祭長は階段を降りた。それは地下へ繋がる階段だ。セリアとゼルも意を決して先の見えない階段へと足を踏み出した。階段は思ったよりも長い、どこまで続くんだろう、先の見えない暗闇は人の心まで暗くする。


 永劫に続くと思われた階段は呆気なく終わりを迎えた。辿り着いた先には更に鉄扉。厳重に閉じられた扉を開いた先には屋敷全体ぐらいの広大な空間が広がっていた。扉を開けた瞬間、ゼルは感じていた。臭う、ひどく臭う、何でこんなところに、あり得ない臭いを嗅ぎ、少年は顔をしかめた。


 ゼルほど感覚が鋭敏でないセリアもその空間の異質さに気が付いている様子だが、はっきりと何が可怪しいと言えない状態にも見えた。セリアの相貌は焦燥の色がより色濃くなっていた。異様な地下室に呆気に取られていた二人はペトロイデス司祭長が部屋の端に移動していることに気付くのが遅れた。


「お二人さん、こちらに注目して下さい。これがわたくしのコレクションです」


 屋敷内では使っていなかったオートエレメントの照明。それのスイッチを入れたペトロイデス司祭長の脇が照らされた。そこには幾つかの鉄製の檻があった。照明があっても檻の中は見え辛い、少年はとっくに気付いているが、次第に目が慣れたセリアは驚愕の声を上げた。


「な、何で、こんなところに魔物が………」


 スケルトン、マッドラッテ、魔猿の小型の魔物から、獅子流人などの中型の魔物までいる。意味が判らない、魔物はダンジョンから出ないはずだ。故意に連れ出すことも出来ない。外界にいる魔物の存在理由は一つしかない。それに、セリアも気付いたのか、見る見る顔色が悪くなる。


「何でって、貴女もわたくしと一緒じゃないですか。これらはわたくしのコレクション。ペットみたいなものですよ。貴女の従卒の彼と一緒でね。貴女がその魔物を飼っているのでしょ?」


 魔物………この司祭長様は魔物系のスキル書を読んでしまったことを知っているのか………


「飼う?魔物?何を言っているんです。彼は人間です。魔物ではありませんッ!」


「ここまで来てまだとぼけるのですか。ですが、わたくしのスキル『魔物使い』の鼻は誤魔化せません。彼からはこの部屋と一緒で、魔物の臭いがプンプンしますよ」


 『魔物使い』。そんなスキルがあるなどゼルもセリアも知らなかった。どこからか情報が漏れ出たわけではなさそうだが、そのスキルが本当でそんな能力があるなら誤魔化しきれない。いや、もはや誤魔化すなどと言っているレベルの問題ではなくなってきている。


「まだ人間の姿をしていますから、まだ調教中と言うことでしょう。それにしても、スキルがなくてよく飼い慣らすことが出来ますね。実によく懐いているじゃないですか」


 ペトロイデス司祭長から放たれる言葉一つ一つが不快だった。調教?飼い慣らす?懐く?言葉が凶器のようにゼルを苦しめた。


「何なんですか、貴方は………ペトロイデス司祭長、貴方の目的は何だッ!」


 もはや悲鳴に近い叫び声だった。少年だけでなく、女騎士もこの状況を上手く処理できないでいるようだ。


「目的?同志である貴女なら判るでしょう。わざわざ言葉にしないと判りませんか?ふむ………まあ、言葉に表現することは大事なことでもありますね。いいでしょう。これから行動を共にするなら、細かい考えのすり合わせもするべきですね」


 一人納得しているペトロイデス司祭長に人間と会話している気がしなかった。柔和な笑みは消えている。その代わり恍惚とした笑みを浮かべていた。


「ダンジョンは神があたえて給うた人間が進化する為の試練です。それで、これまでの栄華を極めてこれたのです。しかし、まだ足りない。人間の進化にはまだ先があるのです」


 それはダンジョン教会の教典にも載っている教えだ。進化と強い言葉は用いていないが、大まかには合っている。


「それが魔物ですよ。魔物は人間の進化先、超越者です。そして、その超越者と競い合うことで人間はより進化します。それによって流れる血は必要な代償、新しい時代の幕開けにはいつも血が必要なのです。その点、魔物の殲滅を掲げているギメス会はわたくしの考えに近い。しかし、まだ生温い」


 魔物は人間よりも遥かに強い存在だ。腕力の強さ、身体の頑強であったり、水中で生きられる魔物もいれば、空を飛べる魔物もいる。人間に比べて遥かに多くのことができる魔物が多い。優位性で考えればそれは進化先なのかもしれない、しかし、そこに人の心ははない。


「今の人間の進化は停滞しているとあの方は仰っしゃられた。だから、使命を受けたわたくしは魔物の数を増やし、積極的に人間の進化を促しているのです」


「増やすって、まさか………」


「ん?何を驚かれているのです?セリア・バルムスタ。それは貴女がその少年にしたことと同じですよ」


 それは不穏なペトロイデス司祭長の話で二人が頭に思い浮かべた考えだ。しかし、そうとは考えたくない、決して見たくない現実だった。


「スキルを習得していない人へ魔物系のスキル書を読ませるのです」


 それは教会がもっとも忌み嫌う、タブーとされていることだ。バトゥース会であろうが、ギメス会であろうが、この一線を超える者はいない。人が魔物になって良いことなど一つもない。セリアは怒りを顕にした。


「正気かッ!ペトロイデス司祭長。そんなことダンジョン教会が許すはずないだろう。教えにも魔物系のスキルは禁忌とされている」


「しかし、教典にははっきりとは明記されていません。あくまで、後付の考え方です。オリジナルではありません。だから、わたくしは教会に失望していたのです。主の言葉を捻じ曲げ、傲慢にも神の教えを偽るなど、そんな愚行が許されるはずがありません。教会内には誰もわたくしの考えを理解できる者がいませんでした、ギメス会もそうです。しかし、今、貴女と言う同志に出会えたことを神に感謝します。あぁ、我らは選ばれたのです」


 恍惚とした表情で天を仰ぐペトロイデス司祭長に吐き気を催す邪悪さを感じた。話が難しすぎて判らない、けど………ゼルにはあの司祭長と女騎士が同じだとは、どうしても思えない。それは信じたくないから目を背けていのではない、信じているからこその感情だった。


「私と貴様を一緒にするなッ!聖騎士団団長として、貴様をこの場で討つッ!」


 細剣の抜き放ったセリアは切っ先をペトロイデス司祭長へ向けた。


「可笑しいですね。従卒の彼は明らかに魔物系のスキル書を読んでいる。何の魔物かは存じ上げませんが、魔物の臭いを発しながら、人の形を保っているのは、それ以外に考えられない。それとも、貴女は知らないのですか?彼がスキル書を読んだことを?」


「………っ」


 悲痛に眉を顰めるセリアは少し勢いが削がれていた。大丈夫、そんな顔をしないで下さい、貴女にそんな顔は似合わない、少年は前に出ている女騎士の横に並んだ。


「セリアさんは貴方とは違います」


 毅然とした一点の曇のない強い意志を宿した瞳が、ペトロイデス司祭長を貫いた。それでも、司祭長の減らず口は止まらない。


「本当によく懐いていますね。スキルもなく、感心します」


「司祭長様、答えて下さい。ロベルックの街で子供が行方不明になる事件があると聞きました。貴方はこの件で何か知っていることはありますか?」


 ロベルックの酒場で知り合った男に聞いた話。初めの印象は悪かったが、話してみると意外と気さくで話しやすい男だった。目の前の司祭長とは真逆である。


 子供を攫ってどうするのか、大人の男のように労働力にするには効率が悪い。考えられるのは変態の好色家だが、ここにきて成人していない子供と大人の違いに気付いた。まだ、スキル書を読める余地があるか、ないかだ。


 最初は質問の意図が判らず、困惑気味のセリアだったが、次第に意味を理解し、これ以上怒りようがない相貌を真っ赤に燃え上がらせていた。二人は司祭長の残忍な答えに辿り着いた。答えを導き出してこんなに嬉しくないことがあるだろうか。


 ペトロイデス司祭長は三日月を彷彿とさせる狡猾な笑みを浮かべ、指を顎に当てた。


「フフフ、君は本当に優秀だね。君の察する通り、その件はわたくしが行なったものだよ。大人は駄目なんだよ、穢れてるからね。穢れなき少年少女じゃなきゃ駄目なんだよ。スキルを習得する前の彼らじゃないとね………」


 考え得る限りの邪悪が司祭長には詰まっていた。スキル書を読ませ、人を魔物に変えることですら万死に値する大罪である、それを、嫌がる無垢なる少年少女に行なうなど悪魔ですら嫌悪する行ないだ。ゼルは生まれて初めて湧き上がる感情を胸の内に感じた。


「セリアさん、僕、あの人ムカつきます」


「フッ、君でも腹が立つことがあるのだな、いや、当然か………まったく、同感だよ。奴はここで討つ!あんな奴をこの世に一秒でものさばらしていては更なる犠牲者が出る。ゼル、力を貸してくれ」


 無論である。二人は同時に臨戦態勢をとる。目の前のペトロイデス司祭長を斃すことしか考えていない。


「セリア・バルムスタ。貴女にはがっかりです。折角、同志が得られたと思ったのに、大きな勘違いでした。なら、貴女の代わりにその少年を貰い受けましょう。どんな魔物種かは知りませんが、『魔物使い』のスキルの前ではどれも同じことです。あぁ、神に選ばれし存在は、孤高な存在でなければならないのですね」


 一人悦に浸るペトロイデス司祭長は少年と女騎士を前にしても余裕である。様子が可怪しい、聖騎士団団長で白金等級の探索者であるセリアと敵対しているのだ。焦って然るべきだ。聖職者もスキル持ちが多いが、その多くが治癒魔術であり、攻撃的なスキルは習得していない。荒事は聖騎士団の領分だからである。焦って然るべきなのである。それなのに、余裕な表情を浮かべているペトロイデス司祭長はそこはかとなく不気味だ。


「仕方ありません。わたくしのとっておきをお出ししましょう。出てきなさい!キメラよッ!」


 一回り大きい鉄の檻から耳をろうする獣の雄叫びと共に今まで感じたことのないプレッシャーをセリアとゼルは感じた。

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