第38話 氾濫




 ロベルックの街に詳しくないゼルの為に河を下流に下りながらオットーが大雑把に説明する。


「水都と呼ばれるだけあって、ロベルックは水源が豊富で、水と共に発展してきた。しかし、水はいつも恵みを齎してくれるわけじゃない。時に災害となって人々に襲いかかる。たまの大雨には注意が必要なんだ」


 オットー曰く、時折降る大雨対策として、上流に貯水湖が存在する。何万トンと貯水できる広さを誇る湖は簡単に氾濫することはない。もしそれが氾濫すればロベルックの街は一貫の終わりだ。下流の村々も無事では済まない。しかし、今回はそちらは大丈夫だそうだ。


「大雨の時の貯水湖の様子は常に監視されていて、今まで氾濫したことはない。今回も湖の方は大丈夫だ。現に、街中を流れるロベルック河の水位は危険値には程遠い。下流が増水している理由は他にあるはずだ」


 走りながらそう説明するオットーの顔には焦燥の色が浮かんでいる。ナントの街中には河は流れていない。そもそも街中に河が流れている街の方が少ない。ダンジョンを中心に街を造る世になって久しく、河は二の次とされている。もし、ダンジョンがない世の中であれば水源を最優先にしていただろう。水害などには無縁で生きてきたゼルには今がどれぐらい危機的状況か判らないが、兎に角、オットーに付いていく。


 ロベルックから程なく、下流に下った先に本流から枝分かれする幾つかの支流地点まで辿り着いた。そして、異常はすぐに目についた。


「クソッ!これが原因か………」


 オットーとゼルの目線の先には巨岩が横たわっていた。どこから転がって来たのだろうか、地面には抉れたような跡もある。大雨の所為で地面が泥濘み、岩が転がって来たのかもしれない。単に転がって、人に当たらなければどこに転がっても問題ない。今の問題はその転がった先だ。


「あれを何とかしないと、いずれ氾濫するぞ………」


 巨岩は本流から枝分かれする支流を塞ぐ形で横たわっていた。これでは本来支流に流れるはずの河の水が全て本流に流れる。ゼルには小難しい言葉は判らないが、目の前に広がる視覚情報から危機的な状況であることは理解できた。


「オットーさん!どうするんですか?」


「あの支流を塞いでいる岩を何とかしないといけないけど、あのデカさを破壊するには俺とお前じゃ力が足りない………」


 逡巡するオットーだが、あまり時間はなさそうだ。その間にも刻一刻と水嵩が増している。意を決したオットーは両手を目の前に翳した。


凍咬結フロストバイトッ!」


 いつか見たオットーのスキル。冷気の大蛇は瞬時に本流に流れる河の水を凍らした。それにより、下流へ流れる河の水位が僅かに抑えられた。ゼルは感嘆の息をもらした。


「凄いですね!オットーさん。これで解決じゃないですか!」


「バカヤローッ!こんなの一時しのぎに決まっているだろう。見ろッ!」


 喜々としていたゼルは冷水をかけられ、慌ててオットーの視線の先を追った。スキルで凍らせた河の氷にヒビが入っている。ヒビが入ってはその上からスキルで凍らせ、またヒビが入る。それの繰り返しだった。


「これだけの水量だ、完全に凍らせるなんて無理だ。もっと熟達の氷魔術使いならいざ知らず、俺はまだ半人前だ。偉そうに言うことじゃないが、これが限界だ。加えてこの大雨で俺の『凍咬結フロストバイト』の冷気も持っていかれている」


 雨か汗か判らない水滴で顔を濡らしているオットーは非常に辛そうな表情をしている。ずっとスキルを使い続けているのだ、疲れるのは当然だろう、しかも、一瞬の気の緩みも許されない状況だ。常に全力、そして、終わりが見えない。体力以上に精神がすり減っていく。


「じゃ、どうするんですか?このままだといずれ氷が決壊しますよ」


「あぁ、だから言っただろう、これは一時しのぎだって!すぐにメルギヌス団長が適切な団員を選任して、すぐにこっちに来るはずだ。それまでの時間稼ぎを任されたんだ。どんな状況だろうと、とりあえずは俺のスキルで河の流れは抑えられる。それで俺だけ先行したんだよ」


 なるほど、全ては織り込み済みと言うわけだ、結局、人手は一人でも多い方がいい、ということで連れてこられたが、あまりやることがなさそうだ。ゼルは支流を塞いでいる巨岩を睨みつけた。あの岩をどうにかするのが一番だろうが、あまり力を披露するのは憚られる。また女騎士に小言を言われかねない。だからと言って放っておくのもどうかと思う。うーん、首を傾げるゼルを見てオットーは声をかける。


「お前のスキルは『拳闘士』だろ?なら、今はあまりやることがない。あの岩を破壊するにしても移動させるにしても、団長達が到着してからだ。その時までお前は休んでいろ」


「いや、ちょっと試したことがあるんで、ちょっと行ってきます」


「はぁ?!何言って、おい!ちょっと待てッ!」


 ゼルはオットーの制止も聞かず、支流を塞ぐ巨岩へ移動した。目の前まで来るとその大きさに圧倒される。見上げるほど大きく、支流とはいえ、河を塞いでいるのだ、その大きさが窺い知れた。ゼルはオットーから微妙に死角になる位置に移動して、拳に力を込めた。


 ゼルにとって、ここでこの巨岩を殴って破壊することは簡単だが、粉々に粉砕された岩を見ればオットーはゼルのことを怪しむだろう。『拳闘士』でそれが出来るとは思えない。世間の一般認識が『拳闘士』は拳一つで巨岩を粉砕することが出来るなら、先程のオットーの発言が矛盾する。巨岩を粉砕するのは論外だが、今のゼルにそんな器用に力加減できる繊細さはない。なら、どうするか。


 ゼルは力加減が出来ないとはいえ、常に百の力を出しているわけではない。無意識下で力をセーブしていることはある。百が九十だったり、八十だったりすることはあったりする。意図的にそれを五十にすることが出来ないだけだ。自分の出す力を加減できないなら、力の伝わり方を変えて、最終的な相手に与えるダメージを抑えることはできないだろうかと少年は考えた。


 少年は先日の黄銅ダンジョン探索を思い出した。巨大スライムとの戦いで空中で放った爪の斬撃は簡単に弾かれた。それに引き替え、地に足をつけ、本腰を入れた斬撃はそれ以上の威力を誇っていた。自分の身体の体勢、身体の使い方によって、力の伝導率は変わってくる。それが威力の差に繋がる。なら、当て方、当てる場所によっても威力に差が出るのではないだろうか。


 握った拳を見つめた。拳を開き、また閉じる。打ち据える拳を面で当てるのではなく、点で狙いを定める。足りない頭で必死に考えた末の結論だった。力加減ができないからと言って、いつまでもそれに甘えるのは堕落だ。魔物化阻止の手掛かりも探さなければいけない、でも、過度なスキルの力を他人に知られてはいけない、その上で、目の前の困っている人も助けたい。色々背負うものがある人って言うのは、まったく、厄介なものだ。


 フッと小さく笑うゼルは女騎士の癖が移ってしまったのかもしれない。自嘲気味の笑いには逆境を楽しむ余裕さえあった。セリアには決して迷惑をかけない、拳に力を込めて、巨岩に向けて打ち放つ。軌道を微かに逸して、クリーンヒットを意図的に外した。カッとカス当たりした部分から亀裂が入った。


「オットーさん!岩に亀裂が入りました!」


「はぁ!?そんなデカい岩をどうやって………いや、この激流だ、水圧で岩が脆くなっていたのか………?」


 勝手にそう解釈してくれるならそれでいい。小難しい理論はゼルにはよく判らない。オットーは自身のスキルに集中しながら、大声で叫んだ。


「おい!ゼル!その亀裂にお前のスキルをぶち込めッ!脆くなった今の状態ならお前でも破壊できるんじゃないか?」


 その亀裂を作ったのは自分だと言いたいけど、言えないもどかしさはあったが、今はどうでもいい。亀裂はこれ以上広げる必要はなさそうだ。激流の圧で徐々に小さかった亀裂が巨岩全体に広がっていく。その亀裂が頂点に達した時、巨岩は大きく崩れ、岩の欠片は河に流され、支流に水が戻った。


「やるじゃねぇか!おい!」


 巨岩が崩れるのを横目で見ていたオットーは歓喜の声を上げていた。オットーはスキル『凍咬結フロストバイト』を解除する。すると、固まっていた氷は力を失い、上流からの激流に飲まれ、跡形もなく消えた。本流には本来の水量が戻り、それぞれの支流に流れている。


「多分これで大丈夫なはずだが、念の為、俺は連絡があった下流の村まで下る。お前はここに残って後続の団長達の到着を待って、報告してくれないか?」


「判りました。気を付けて行ってください!」


「あぁ、ありがとう。お前がいつか団長になる日が楽しみだ。俺も負けちゃいられないな!」


 そのセリフを残して去ったオットーの背中をゼルは苦笑いで見送った。ゼルが聖騎士団の団長になることを一片も疑っていない瞳だった。それだけ、実力を認めてくれているのは嬉しいことだが、聖騎士団員でもないんだけどな、と後頭部をかきながら、申し訳ない気持ちになったが、仕方ない。


 雨は一向にやむ気配がないが、暫くすると、メルギヌス団長含めた数名の聖騎士が上流からやって来た。メルギヌス団長の横には騎乗したセリア・バルムスタもおり、何で君がここにいるんだ、と言った目つきで睨まれた。また後で小言を言われそうだが、もう慣れたもんだ。


 ゼルはメルギヌス団長に事の経緯を説明し、オットーの現状も報告した。メルギヌス団長は他の聖騎士に指示し、他の支流も調べさせていた。後は我々に任したまえ、と言ってくれたメルギヌス団長に甘え、少年と女騎士は一旦、ロベルックの街へ帰還した。その間、ゼルはずっとセリアから怪訝な視線を浴びていた。宿屋に帰ったら、尋問されるんだろうな、と少し憂鬱な気分になったが、今日やり遂げた達成感を曇らせるほどのものじゃなかった。少年の心には曇天の雨に似合わない爽やかな風が吹いていた。


 




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