第37話 大雨
やまない雨はない。一週間降り続いている雨は未だやんでいなかった。
窓から眺める景色は然程代わり映えしない。雲で隠れてはいるが太陽は真上にあり、微かに地上を照らしている。代わりに夜は漆黒が広がる。ザァーっと変わらない音にも飽き飽きしてきた。
ゼルは窓を眺めていた視線を外し、椅子の背に体重を預けた。こんな状態が一週間、気が滅入ってくる。部屋には少年が一人、セリアはいない。今日はロベルックの聖騎士団詰所に出掛けている。やることがある人はいいよなぁ、ゼルはため息をついた。
一週間前にロベルックの黄銅ダンジョンを攻略し、この街ですべきことはなくなった。王都へ行く為に次の町、ペーシに向けて旅立つはずだったが、足止めをくらっている。原因はこの大雨。次の町への街道が不安定になる為、ロベルックの衛兵はあらゆる旅人を止めていた。
スキルで身体強化や魔術が使える探索者や聖騎士団などは大雨で街道が荒れていても命の危険は少なく、何も問題ないが、馬車は別だ。次の町まで何日もかかり、本人だけ良ければいいわけではない。食料がなければ飢えるし、この雨では寝床を探すのにも苦労する。聖騎士団団長だろうが、高等級の探索者であろうが、例外なくこの状態では街を出れない。
「暇だなぁ………」
女騎士と共有で借りている探索者向けの宿屋のリビングで寛ぐゼルは暇を持て余していた。パーティー向けに何個か部屋があり、台所や便所、風呂場などは共有だ。ダイニングテーブルの備え付けの椅子に座るゼルは窓から外を眺めたり、天井をボーッと眺めたりしている。
暇ならと、ダンジョンに潜りたい欲求はあるが、一人でダンジョン探索はセリアにきつく止められた。ナントの街でのバグの一件を持ち出され、諭されれば、嫌とは言えなかった。あの時は運良く事なきを得たが、いつもそんな幸運に恵まれるとは限らない。言っていることの正しさは理解できるが、そのセリアは聖騎士団の詰所に行っており、いない。何かズルい気がする。
手持ち無沙汰な時は普段興味ないものにも興味を示してしまうものだ。ダイニングテーブルの上に置かれている本に目が留まる。濃茶の革表紙のそれは女騎士が時々読んでいる本だ。
―――『聖なる人』
本のタイトルにはそう書いてあり、裏には著者名も記載されている。ウィリアム・A・ドイル。確か、賢者と呼ばれた人だ。この手の知識に疎いゼルでも聞いたことのある名前。かなり古い人物で、一説にはダンジョン創世期以前の人物だと言う。
生まれた時からダンジョンがあり、すでに長い年月、人々とダンジョンが密接に関わるようになった世界で、それ以前の世界とは想像すら出来ないものだ。ダンジョンがなかったら探索者にはなれず、どうしているだろうかな、想像できないなりに頭を捻ってみるが、ゼルにはとてもじゃないが、探索者以外の職に就くイメージが湧かなかった。それだけ、探索者以外考えていないとも言える。
人の私物を勝手に拝借するのは良くないが、ゼルとセリアの間にはそれを遠慮する関係性はとっくに過ぎていた。ゼルは本を手に取り、中身を読んでみる。小難しい言葉で抽象的なことが書かれている。いくら手持ち無沙汰でも読み進めるだけの興味は湧いてこない。頭が痛くなる思いをする前に、ゼルは本を元の位置に戻した。
再び窓から街の様子を眺める。この大雨でも外出している人はおり、疎らに見受けられる。みな同じような革の外套を羽織っている。雨水を弾く外套の表面には蛙型の魔物―――油ガマから採れる油と、
のんびりと人々が歩く中で、一人足早に移動している人が特別目についた。雨の為、みなフードを目深に被って顔が見えにくいが、ゼルにはその人物の顔がハッキリと見えた。
「………オットーさん」
それは聖騎士団のロベルック支部団長、クワイガン・メルギヌスの従卒のオットーだった。何をそんなに急いでいるんだろう、手持ち無沙汰なゼルは知っている人を見つけて少し興奮し、ゼルは衝動的に動いた。革の外套を手に取り、急いで宿屋を出る。
階段を駆け降りながら外套を羽織り、表に出た。確か、右に行ったはず、ゼルは街路を歩く人々の脇を巧みにすり抜け、オットーを追った。ザーッと鳴る雨音と人々が行き交う足音で正確なオットーの足音は聞こえないが、大体の方角は判る。
向かう先は西門の方角だ。少し走る速度を早め、オットーに追いつこうと急いだ。雨で判りづらいが匂いも微かに嗅ぐことができる。もう少しだ。ゼルはその人影を捉え、肩を掴んだ。
「オットーさん!」
「おわぁ!?吃驚したッ!何だ………ゼルか」
肩を突然掴まれたオットーは驚愕の声を上げたが、それがゼルだと判ると落ち着きを取り戻した。肩をいきなり掴まれれば誰だって驚くだろう、ゼルは無我夢中になり過ぎたと反省し、オットーとの会話を続けた。
「どうしたんだ?こんな所で」
「宿屋からオットーさんが見えまして、何しているのかなって、思って………」
「はぁ?何だお前は?暇か?」
正しくその通り。あまりに暇過ぎると意味のない行動を取りがちである。
「バルムスタ団長はどうした?従卒のお前が付いてなくていいのか?」
「セリ………バルムスタ団長は今は詰所に行ってて、僕は、えーっと、その、ひ、非番ですよッ!」
微妙な反応を見せるゼルに怪訝な視線を送るオットーだが、すぐに素の表情に戻り、それ以上その話題に触れてこなかった。割り切りが良いのがこの男の良い所なのかもしれない。
「今はお前にかまっている暇はない。急いでいるんだ」
「オットーさんもメルギヌス団長と一緒じゃないですよね?非番ですか?」
「俺はそのメルギヌス団長の命で今動いているんだッ!しつこい奴だな、今は忙し………いや、待てよ」
急に黙り込んだオットーは思案顔を浮かべながら何か呟いている。今は一人でも人手がいる、その言葉に只ならぬ予感を感じた。暇つぶしで宿屋から飛び出してきたゼルだが、何か手伝えることがあるならそのつもりだ。オットーは意を決したようにゼルに向き直った。
「暇だろ?暇だな。なら、俺と一緒に来い。お前の力も必要になるかもしれん」
そのまま詳しい説明もなしに西門へ連れられた。オットーは衛兵と話し込んで、門の隣の潜り戸をさっさと通り過ぎた。ゼルもその後に続く。本来出ることが許されていない街の外に出たゼルはオットーに疑問をぶつけた。
「オットーさん、何があったんですか?今は街の外には出れないはずじゃ………」
「出れないけど、緊急の場合はその限りじゃない。下流の村から河の増水が異常だと連絡があった。ロベルック河の下流で何かあったのかもしれない。俺は先行して様子を見に行く途中だったんだ。お前の余計な足止めの所為でちょっと遅れちまった。その分、働けよ」
なるほど、事情は理解した。悪意があって呼び止めたわけじゃないが、その分の働きぐらいしよう、とゼルは豪雨の中、オットーの背を追いかけながら思った。ロベルック河沿いを駆けるオットーとゼルの横では水流がうねりを伴って流れている。曇天から降り注ぐ大雨は未だやむ気配がない。
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