第34話 酒場
「すいません!お姉さん!エールを二つ下さい!」
忙しい動き回る配膳に手を挙げて、大きな声を発した。一回やってみたかったんだよね、注文することに満足したゼルは後ろに振り向いていた身体を元に戻した。丸テーブル席の向かいには憮然とした女騎士が座っている。
「なぁ、ゼル。何もこんな店でなくとも………」
「ちょっと!セリアさん!お店の人に聞かれちゃいますよ」
小声で話すセリアに大げさに反応するゼルの方がよっぽど店員に怪しまれそうだ。どうやら女騎士はこの酒場を気に入っていない様子だ。ナントの街での茶屋を想像すれば、こんな場末の酒場はセリアには似合わないだろうが、今回はゼルの好きにしていいと言ってしまった手前あまり強気に反論していない。
「こういう誰でも気軽に入れる酒場に情報っていうのは集まるもんなんですよ。今まで読んだ物語の主人公たちもそうでしたから!」
「君は今までどんな本を読んで育ってきたんだ………」
頭を抱える女騎士を尻目に意気揚々と店内に吊るされている品書きを見るゼルは様々な種類の品目に目移りして何を注文していいか悩む。都会に出てきたばかりの田舎者のように店内をキョロキョロしているゼルに見せつけるかのようにエールが運ばれてきた。
「はい、エール二つだよ!」
ドカッとテーブルに叩きつけるように置かれた杯からはエールが豪快に溢れた。それを見たセリアは眉間に皺を寄せている。
「坊や、そんなに酒場が珍しいかい?ってか、成人しているよね?」
「はい、してますよ。もうすぐ十六になりますよ」
少年の見た目が幼い所為だろうか、配膳の女性は少し驚いた顔を覗かせた。十五で成人するこの国では珍しいことではないはずだ。配膳の女性は視線を少年から女騎士に移した。
セリアは念の為、最小限の変装をしている。濃いカーキ色の布の外套は膝丈まである。流石にフードまでは被っていない。過度な変装は逆に目立ってしまう。最小限の変装をしつつ、周りに溶け込む必要がある。フードを目深に被った奴が酒場で酒をあおっていたら怪し過ぎる。誰だってそう思う。
「あなたは………まぁ、若そうだけど確実に成人しているわね。それにしても、あまりこんな酒場には似合わない御仁だね」
「貴女もそう思うか………正直、あまり馴染みがない」
それでも女騎士から漂う品の良さは隠し切れない。人目を引く髪色に、凛々しい相貌。黙っていても目立つ外見の為、セリアは基本的に隠密行動を不得手としていた。
「別にこの店は上品だから駄目とか、下品だから歓迎とかはないから気にしないことだね。誰でもウェルカムさ!一つの経験だと思って、あなたも楽しみな!」
「経験か………そうだな」
意を決したようにエールで満たされた杯を手に取るセリアを見て、ゼルも杯を持つが、無意識に取手部分ではなく、杯ごと手で掴んだ。上品に乾杯、と言う女騎士にゼルは自分の杯を景気良くセリアの杯にぶつけた。中のエールが少し溢れたが、セリアはもう嫌な顔一つ見せず、微笑んでいた。
「………苦い」
勢いに任せ、一口呑んだ少年から出た言葉は今までの勢いを削ぐものだった。逆にセリアは一口呑んでからもすぐに二口、三口と杯を傾けていた。大人にはまだ早いのかも、少年は配膳の女性に適当に食べ物を見繕ってもらうように頼んだ。
「ふむ、普段は葡萄酒などの果実系ばかり呑んでいたが、これも意外に悪くない」
「そうですか、僕には苦くて………蜂蜜レモン飲んでる方がいいです」
「ハハハッ、そういえば、ラ・ムド・カフェでも私が選んだ紅茶が苦いと言って、蜂蜜を追加で頼んでいたな。クククッ、君はまだまだ子供だな」
「でも折角なので、呑みます!」
おいおい、無理はするなよ、と窘められつつもゼルは残りのエールを呑み干した。お酒の一気呑みほど危ないものもないが、少年は平然としている。酔った感じがしないな、初めてのアルコール摂取で、酔っているかどうかなど判らないが、ゼルは折角なので追加の注文を頼もうとした。
「ちょっとお姉さん忙しくそうなんで、カウンターに行ってきます。セリアさんは?」
「ああ、なら、同じものを頼む。お金のことなら気にしなくていいからな。臨時収入も入ったことだし」
はい、と元気に駆けていく少年の後ろ姿を見ながら、セリアは残りのエールを呑んだ。残念ながら、探索を中断してまで鑑定した隠し部屋で見つけたスキル書は当たり障りのない普通のスキル書ばかりで、結局はそれらを売って、臨時収入を得たに過ぎなかった。
元よりこの旅にお金の心配はいらなかった。旅費のほとんどをセリアの私財から出ている。聖騎士団団長での給金は多忙ゆえほとんど使う機会がなく、たまの非番に茶屋でお茶するぐらいが趣味のセリアには貯まる一方だった。加えて、今回の件は女騎士が負い目を感じていることもあり、ゼルには極力自分で稼いだお金を使わせなくなかった。探索自体での収入は取っておくように言っていたが、少年は頑なで、必要分は支払うと言っている。それでも、セリアが大部分を払っていて、お金の心配することはなかった。どちらが払うか、論点はそこにズレていた。
カウンターでセリア用のエールと配膳の女性のおすすめの蜂蜜酒、それに腸詰めの盛合せとチーズが添えられた皿を受けったゼルはテーブルに戻ろうとした。横から視線を感じたが、とりあえず無視したが、席に戻ると同時ぐらいに嗄れた声が背後から聞こえた。
「おい!小僧!えらい綺麗な姉ちゃん連れてるじゃねぇか。お前の女か?」
カウンター席で呑んでいた大柄の如何にもがさつそうな男がからかうような口調で喋っている。ゼルは振り向いて、何か言おうとする前に、セリアが口を開いた。
「黙れ。カウンターで行儀よく前を向いて、壁と一緒に仲良く呑んでいろ!」
おー、怖い怖い、と戯けてみせる男に反省した素振りはない。酔っ払いのうざ絡みにいちいち反応しなくても良いが、女騎士も多少酔っているのかもしれない。少しひりつく雰囲気を意に介さず、少年は男に近付いた。
「おじさん、お前の女ってどういう意味ですか?セリアさんは物じゃないですよ?」
思考の死角から殴られたような衝撃を受けた男は呆気に取られた。おいおい、マジかよ、男は二の句を継げないでいた。
「コラッ!あんた!御新規さんにうざ絡みするんじゃないよ!」
「えっ?あぁ、すまねぇ………」
配膳の女性に一括され、更には純粋な少年に毒気を抜かれた男は、先程の飄々とした態度は窺えない。椅子から飛び降りた男はそのままな膝を降ろして、ゼルの視線に合わせる。
「おい、小僧!お前は俺みたいな穢れた大人になっちゃ、駄目だぞ。そのままでいてくれ」
何だかよく判らない話をされ、ゼルは混乱した。さっきの質問の返答もないし、穢れたって意味もよく判らない。ちゃんと風呂に入った方がいいんじゃないのか、少年は何度だって小首を傾げた。
「穢れた大人って………大人になると穢れるんですか?」
「あぁ、多かれ少なかれ皆穢れる………」
「えっ?!じゃ、セリアさんも?」
思わぬ飛び火だ。ゼルは男の元を離れ、セリアに詰め寄っていた。このいつも凛としてクールな女騎士が穢れているのが想像できない少年は真実が知りたかった。詰め寄られているセリアは困惑の表情を浮かべているが………
「私は穢れてなどいない、清いままだ………」
恥ずかしいからか、それとも酒に酔った所為なのか、顔の赤いセリアは言い終えてすぐに杯を口に付けた。ゼルはそれを聞いてホッと一安心するが、背後からまた嗄れた声が聞こえた。
「それって、まさか………」
「だああぁぁ!!!五月蝿い!それ以上何か口にしたら貴様のその便所より臭う口を叩き斬ってやるぞ!」
男に激高する女騎士は今まで見たことないほどに、冷静さを失っていた。凄まれて、すでに勢いを失っていた男は悪い悪い、と二人からさり気なくフェードアウトした。セリアは怒りと同時にバンっと勢い良く立ち上がったと思えば、すぐに座り込んで頭を抱え出した。
「はぁ、私は何を口走っているんだ………」
「セリアさん大丈夫ですか?」
どこまでも純粋な瞳をした少年を遠くの方を見るような目で見つめ返す女騎士はまた大きなため息をついた。
「君はそのままでいてくれ、穢れた大人にはならないでくれ………」
「みんな揃って同じことばかり言って………大丈夫ですよ、ちゃんとお風呂入りますから」
フッと、小さく笑った女騎士はそのままテーブルに突っ伏した。大丈夫だろうかと、肩を揺すろうと手を伸ばした所で、先程の男に制止された。
「ちょっと酔いが回ったのだろう、そっとしといてやれ」
「………判りました」
「悪いな、小僧。俺の所為でお前たちの呑み会を滅茶苦茶にしちまってよ」
「いいです。セリアさんが大丈夫なら、僕は気にしません。ただ、ちょっと教えてほしいんですけど、最近、変わった情報とかってないですか?僕たちこの街の出身じゃないんですよ」
「あぁ?変わった情報?」
酒の量的にはあまりセリアと変わらないゼルだが、酒に酔った様子もなく、平然としている。顔色に変化もないし、頭も冴えている。男はそんなゼルの様子には気づいておらず、顎を擦りながら思案顔を浮かべている。
もう少しスマートに質問するべきなのかもしれないが、魔物化について直接的に訊くことも出来ず、かといって、それに近しい話題も知らなかった。結果、かなり大雑把な質問になったが、一応、目的を忘れていなかった点は評価できよう。最低でもそこで寝ている女騎士よりは評価できるだろう。
「そういえば、最近物騒な話を聞いたな。お前も十分幼い見た目をしているが、もっと幼い少年少女が行方不明になる事件が増えているらしい。お前も気を付けろよ」
最初のふざけた雰囲気は一切感じられない男は真剣な口調で語った。ロベルック周辺は基本的には魔物も出ずに、比較的治安が良い地域とされているが、王都まで道沿いにある宿場町、ペーシ町からロベルックまでの街道で、その行方不明事件は起きていた。
「しかし、この情報はおかしな点がある。魔物が出ないとはいえ、街から離れて、街道を子供だけで歩くのは異常だ。普通は親が付き添っているもんだ。だが、子を失ったって親の情報はねぇ。何だかよく判んねぇんだ」
なるほど、不可解な事件がこの周辺で起こっているらしい。あまり期待はしておらず、魔物化に関する情報は得られなかったが、次のペーシ町を経て、王都に向かうなら、気を付けるべきだ。男に礼を述べたゼルは元の席に戻った。
「ゼル、君は私が必ず………」
夢見心地の女騎士は何やら寝言を呟いている。楽しい一時を過ごして満足気な少年だったが、いつまで経っても起きないセリアを宿まで運ぶ羽目になって、ようやく酒の恐ろしさを垣間見た気がした。
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