第35話 ロベルックダンジョン攻略③




 地面が隆起していると見紛う光景が広がっていた。いや、実際目の前の光景はうねっている。ただし、それは地面を覆い尽くすほどの大量のスライムの所為だ。ロベルックの黄銅ダンジョン、地下三十七階層からは今までにない異質な雰囲気が漂っている。


 階段を降りてすぐに足を止めたゼルとセリア・バルムスタは絶句した。基本色の赤、黃、緑、水色が所狭しと動いている。その光景に女騎士は少し吐き気を催した。


「大丈夫ですか、セリアさん?」


「あぁ、大丈夫だ、大丈夫だとも。これぐらい何てこと………」


 突然言葉が詰まるのは良くない兆候だ。前回探索し終えた地下二十四階層までは半日でスムーズに降りることができた。一回通った場所だ。階段の正確な位置は把握していたので、当然の話である。


 そこから、もう半日掛けて現在の地下三十七階層まで降りてきたところだ。もう少しで最深部の地下四十階層だが、ゼルは徐々に顔色が悪くなるセリアを心配して、早めにセーフティーゾーンで休もうと提案したが、頑なに拒まれた。ダンジョンボス前のセーフティーゾーンまで行って休む、と頑固に主張している。


 昨日のお酒が残っているのかな、少年はよく父が深酒して、翌日に母に怒られていた光景を思い出した。その時の父は二日酔いも相まって、辛そうな顔をしていた。今の女騎士も似たような顔をしている。セリアは酒に弱くもないが、強くもないようだ。


 慣れない場に慣れない酒類で、雰囲気に飲まれたのかも知れない。慣れないことをするといつも以上に酔いが回ることはよくあることだ。だから、少年はすぐにダンジョンに潜らず、休息日を設けようと提案した。


 しかし、セリアはそれも頑なに拒否した。聖騎士団団長のプライドがそうさせたのか、自分が足を引っ張るわけにはいかない、とダンジョン探索を強行した。主に戦うのは少年であり、女騎士はほとんど見ているだけが常であったから、まあ、大丈夫だろうと、半ば諦めの境地でゼルはセリアと共にダンジョンに潜ったが、ここに来て、様子が可怪しくなった。


 酒の酔いがぶり返したのか、目の前の奇怪な光景に気分を悪くしたのかは判らないが、元々白かった肌が白磁のように無機質な白になっている。色とりどりのスライムが蠢くさまはちょっとした地獄絵図だ。スライムは比較的女性人気がある魔物だが、この光景を見たら、ファンも離れそうだ。


「セリアさん、無理しないで下さいよ」


「わ、判っているさ。早く最深部へ行かないとな………」


「駄目です!このスライム達を抜けて、次のセーフティーゾーンで休みます」


「いや、しかし………」


 意志の強い瞳。射抜くような視線にたじろぐ女騎士はいつもと立場が逆転していた。いつもはセリアが年上として、聖騎士団団長として、ゼルを導く立場だったが、今のセリアは我儘を言う子供のようだ。駄々をこねて親に怒られた子供だ。


「誰にだって失敗はある。それをどう取り戻すか、その後の行動にかかってくる、っていつもセリアさんが言ってたじゃないですか。焦らなくても宝は逃げたりしませんよ」


「まったく、君には敵わないな。そう、だな。すまない、少し焦っていた………」


 遂に観念したセリアはゼルの提案を受け入れた。そうと決まればさっさと目の前のスライム達を斃すぞ!女騎士を残して、少年はフィールドへ踊り出た。


「………それでも、急がなければ」


 消え入りそうなその声は少年の耳に届いていたが、ゼルは深く考えなかった。ただ、目の前のことに集中した。


 見渡す限りの野には大量のスライムが覆い尽くしている。個々の動く隙間さえないぐらいのひしめきようだが、よく眼を凝らしてみれば、微妙な変化があった。スライム同士が合わさり、一つになっている。しかも、それには法則性があるようだ。同じ色のスライム、それも、三体揃えば一つになっている。一つに統合されたスライムは本来のものより一回り大きい。これはスライムの特性なのか、それともこの階層のみに許された現象なのか、少年には判らなかった。


 判らなくてもやることは同じだ。ゼルは弾け飛ぶ粘液に構わず、次々にスライムを斃していく。しかし、流石の物量である。中々に数が減らない。その間にも同質量、同色のスライムが三体集まると、一つに統合され、一回り大きくなる。全部斃す必要はないのかもしれないが、今のセリアの体調を考えればなるべく安全に次の階段を探したい。


 ゼルは大きく腕を振りかぶり、巨大な爪の斬撃を生み出し、次々とスライムを切り裂いていく。一振り、二振り、素手や足で直接攻撃をしていたのではキリがない。斬撃の一振りは目の前のスライム達を一掃した。それでも数が多い。無限に湧いているのではないかと錯覚するぐらい、斃した後の空間をすぐにスライムが埋め尽くす。


 無限に限りなく近くとも有限であるなら終わりがくる。肩で息をするゼルはバグで出会った白金狼以来の疲れを感じた。身体に外傷はない。あの時もそうだった。しかし、生きている以上体力は消耗する。本物のドラゴンならこんなもんじゃないんだろうな、絵本、絵画でしか見たことのない偶像の姿を想像して、ゼルは奮起した。無我夢中で振り続ける腕にも疲労が蓄積し出した頃、周りのスライム達の数が激減していた。


 終わりが見えたと思ったのは始まりに過ぎなかった。ゼルが雑魚スライムを相手にしている間に巨大なスライムが四体出来上がっていた。基本色の赤、黄、緑、水色。三つ揃えて合体する意味はこれにあった。すでに雑魚とは言えない威圧感を放つ巨大スライムは、小さかった頃は緩慢な動きだったクセに、大きくなると動きも素早いものになっていた。


 足もないのにピョンピョン飛び回り、手がないから小細工のしようがない。のしかかり、体当たり、兎に角、その巨躯を生かした攻撃を仕掛けてくる。ビシビシと脳に伝わる直感が避けろ、厄介だ、と叫んでいる。次々襲いかかる巨大スライムの攻撃をゼルは軽捷な足さばきで躱し続ける。


 何か攻略法があるんじゃないか、ロベルック黄銅ダンジョンの最深部手前とはいえ、あまりにも強い。今までの階層の魔物の強さに比べれば圧倒的だ。今まで力任せに攻略していたゼルにとって初めての躓きに近い。そうなると、他の探索者がここを突破する姿が想像できない。ここに来て情報収集を怠ったツケが回ってきた。


「うーん、どうしようかな………」


 女騎士に助けを求めるか、いや、それはしたくない。頼めば無理を押してでも手助けをしてくれるだろうが、今のセリアに無理はさせれない。なら、自力で何とかするしかない。


 ゼルは無機物か有機物か判らないジェル状の肌を眺めた。踏破済みのダンジョン探索は攻略法が確立されて久しい。最初の踏破者に続き、次々と踏破する者が現れる数だけより安全で安心の攻略法が生み出される。後続者はそれを只なぞればいい。リスクを最小限に抑え、リターンを最大限にできる。誰もが真似をするのが常識だ。


 少年は別にその探索方法が嫌いと言うわけではない。寧ろ、好ましく思っている。事前情報を仕入れ、準備を怠らない。慢心でダンジョンに臨むことは探索者として失格だ。出来うる限りのことはすべきだ。しかし、同時にこうも思う、自ら攻略法を見つける、窮地を打開するのもまた探索の楽しみだと。それは、冒険狂いに許された、常人には理解し難い美学。


 この魔物はどんな攻撃をしてくる?弱点は?どの素材を持ち帰れば金になる?あの丘の向こうにはどんな景色が広がっている?未知とは不安と期待とが表裏一体。投げられたコインを掴み取るのはいつだってその人自身だ。


 ゼルは次々襲いかかる攻撃を躱しながら巨大スライムを観察する。ゆっくり攻略法を考える時間は与えてくれない。それでも何か手掛かりを掴みたい。巨影が少年をスッポリっと覆った。大ジャンプからののしかかりは軽そうな見た目からは想像できない威力を持つ。ゼルはそののしかかりを後方へ飛び退って躱す。地面へ着地した巨大スライムの身体が衝撃で波打っている。ゼルは躱し際、腕を軽く振るって、爪の斬撃を放った。


 バシッと弾ける音と共に斬撃は消滅した。あまりに呆気ない。本腰を入れた爪の斬撃攻撃ではないにしろ、今までの魔物なら一撃で葬れるほどの一撃だ。簡単に弾かれていいはずがない。困ったなぁ、ゼルは珍しく眉間に小さな皺を作りながら思案顔を作った。今のところ遠距離攻撃はなさそうだ、考える時間がほしいゼルは距離を取る為に後方へ何度も飛んだ。


 バシャバシャっと足元に目を向けてみれば小川に足を突っ込んいた。無我夢中で気が付かなかったが、別に足が濡れたからどうと言うことはない。川幅の狭い小川を超えて、対岸へ渡るって迎撃の体勢をとる。


「あれ?どうしたんだろう?」


 向かってくると思っていた巨大スライムが小川の手前で立ち止まっている。赤、黄、緑、と一向に小川を渡って来る気配がない。すると、他の巨大スライムを後ろから押しのけて、水色の巨大スライムだけ小川を渡ってきた。そんなことってあるのかな、少ない可能性だが、モノは試しだ。ゼルは小川を下流へ下り、水深がある程度深いところまで移動した。


 対岸には赤、黄、緑の巨大スライムが川辺りギリギリで追跡してくる。唯一小川を渡ってきた水色の巨大スライムはゼルのすぐ後ろを付いてきている。くるぶしまでしか浸らなかった水深が膝ぐらいまで深くなった。これ以上深くなると動きが鈍る、ゼルは川幅の中腹で立ち止まって、今度こそ迎撃体勢をとった。


 相変わらず赤、黄、緑の巨大スライムは河には入って来ずに、立ち往生している。唯一、水色だけが跳躍し、ゼルへ襲いかかる。何度も見ているのしかかり攻撃、膝まで水に浸かっていようが避けるのは造作もない。巨影を潜り抜けるように避けたゼルは水色の巨大スライムと他の巨大スライムが線上に並ぶように誘導した。


 空中に飛びながら、腕を振るう。爪の斬撃。先程弾かれた攻撃は巨大スライムではなく、河を抉るように掬った。水しぶきを上げ、水撃が巨大スライム達を襲う。対岸へ着地したゼルは巨大スライムを見た。思った通り、水色の巨大スライムは未だピンピンしているが、他の赤、黄、緑の巨大スライムの動きが鈍くなっている。恐らく、体表の粘液が水に溶けて、身体の体積を保てなくなっているのだろう。


 ゼルは地面を抉る勢いで飛び、対岸にいる赤、黄、緑の巨大スライムの頭上へ舞い上がる。空を模した天井から漏れる陽光が作る影は正に獣。真っ直ぐ振り上げられた右腕をそのままスーッと振り下ろす。三つの斬撃はそれぞれの巨大スライムを真っ二つにした。コアごと破壊された三体の巨大スライムは粘液と共に地面へ返った。


 地面へ着地し、後ろを振り返る。そこには未だ健在の水色の巨大スライムがいた。こいつに関しては今の戦法は通じない、どうしたものかと悩むゼルだが、考えれば考えるほど頭が冴えてくる。新しい目覚めを感じる。窮地こそが人を次のステージへ推し進める糧になる。


 鋭半魚人エッジフィッシャーマンよりは知性がなさそうだな、何度目か判らない同じのしかかり攻撃を見て、ゼルは大きく腰を下ろした。いつかの時のように身体が熱い。心地よい熱は身体を通じて、腕へと伝わった。


炎爪撃エクスハティオォ!!!」


 呼びかけに友が答えた。放たれた斬撃は炎を纏っていた。炎の斬撃は触れた巨大スライムの体表の粘液を一瞬で蒸発させ、開いた隙間から斬撃が容赦なく内部を穿った。なおも消えることのない炎と斬撃が水色の巨大スライムを丸々飲み込んだ。


 ふぅ、と息を漏らしたゼルは戦闘の終わりに少し安堵した。今までで一番苦戦した。結局、大したダメージはもらわなかったが、斃すのに時間と策を要した。しかし、壁を乗り越える時、新たな力が手に入るのを実感した。最近癖になりつつある、拳を握っては開いてを繰り返す。苦労したその分、充実感に満ちていた。


 しかし、少し都合が良すぎないか、ゼルはダンジョンと魔物との関係性に疑問を感じながら、セリアの元に戻った。女騎士の体調は悪くもないが、良くもなかった。そのままセリアと共に次の階層への階段を見つけ、セーフティーゾーンで一休みした。最深部はもうすぐ目の前だ。


 

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