第24話 取捨選択




 陽気な草原は心まで凍えそう雪山に変わっていた。バグと呼ばれるダンジョン特有の現象はダンジョン内の地形すら変えてしまう。寒さで身体の体温が奪われる。しかし、身体が震えだしたリオンとレックは決して寒さだけのものではなかった。


 しかも、防寒装備もしていないのにリオンとレックは汗をかいている。呼吸も荒い。それだけ今の状況がどれだけ緊迫しているかを指し示していた。


 こんなところにいて良い魔物じゃない、少年は直感的にその白狼の異常さに気づいた。その威圧感にゼルでなくとも漠然としたヤバさには気づくだろうが、気づいたからと言ってどうこう出来るものでもない。


 一瞬を引き伸ばしたような静寂の中、ヤバい、ヤバい、ヤバい、壊れた鳩時計のように同じことを繰り返すリオンは円盾を構え、駆け出す。


「クソッ!メビィナを離せッ!!!」


 決死のシールドバッシュ。円盾は白狼の首の右側部にヒットした。しかし、半歩仰け反らせただけで、ビクともしていない。そのまま首を振る白狼は咥えていたメビィナごとリオンを飛ばした。


 何故メビィナを解放したのかは判らないが、リオンはメビィナに近づく。意識は失っているが、息はしている。安堵の息を漏らした直後、視線が自然とメビィナの右腕に移った。肉が抉れ、夥しい血を垂れ流している。安堵の表情が絶望に包まれた。このままでは………


「ゥオオオオオオォォォン!!!」


 少年は理解した、白狼がメビィナを簡単に解放した理由に。狼の生態に詳しくなくてもこの遠吠えが意味することは判る。横目に見るリオンの相貌は雪より白くなっていた。


「クッ………これでも喰らえ!」


 レックは反射的に『強射』を放った。狙いすまされた矢は白狼の顔面に向かっていく。しかし、まさかである。飛んでくる矢を白狼は口で捉え、噛み砕いた。そして、そのまま一瞬にしてレックへ間合いを詰め、前足で吹き飛ばす。


 咄嗟に飛び退って直撃を避けたレックだったが、ダメージは躱し切れず地面へ転がり、起き上がるのが精一杯なほどダメージを受けた。リオンはメビィナを担ぎ、レックの元へ行く。二人を背に白狼と対峙する。その間にさっきの遠吠えに応えた他の白狼が集まってきた。その数、十体。


「おい!ゼル!」


 初めて名前で呼ばれた気がした。


「お前だけでも逃げろ!俺が無理やりに連れて来たんだ、お前がこれ以上俺たちに付き合う義理はねぇ!地上に戻ってこのことを組合に伝えろ!」


 リオンの叫びが聞こえる。語気が強いのは相変わらずである。この場では彼の言う通り、逃げるのが最善手であろう。因縁をつけられ、無理やりパーティーを組ませられ、化けの皮を剥がしてやると睨まれながら、探索させられた。


 助ける義理などない。ゼルの今ある力を使えば助けられないことはない。だが、それは女騎士も懸念していた不用意に注目を集める行為だ。助けた後の彼らが少年を不審に思い、誰かにここでの出来事を喋るかもしれない。


 そうなれば、探索者組合からも何かしら嫌疑をかけられるかもしれないし、ダンジョン教会、特にギメス会に知られれば、命を狙われるかもしれない。そうなれば、家族にも危害が及ぶ可能性がある。


 助けるメリットなんてない。ダンジョン内のバグで亡くなったとしても、運が悪かったで済ませられる。逃げてきたゼルを責める人などいないだろう。


 でも、それでいいのか。少年は妹のソフィを思い出した。好奇心が先行し、街の外まで出てしまったあの日。小さな手を引きながら大人になった気がして、気が大きくなっていた。お兄ちゃんなんだから、妹の面倒をしっかり見なさいよ、母の言葉通り、妹の手を離さなかった。


 しかし、大人になった気がしたのは、正に気の所為だった。滅多に街の付近では現れない魔物に遭遇した。どんな魔物だったかは覚えていない、けど、命の危険を感じたのは確かだった。


 幼かった少年に力はなかった。それでも小さな背中で必死に妹を守ろうとした。震えるソフィの手は決して彼女だけのものじゃなかった。お兄ちゃん、怖いよ、妹の涙声を聞いて、少年は後悔した。なんでこんなところにきた、ソフィが怖がっているじゃないか、馬鹿野郎が………


 幼いながらに死を覚悟した少年の前に大きな背中が現れた。その人は瞬く間に魔物を退治し、少年とその妹を助けた。どんな顔かも覚えていない、名前も判らない。ただ、しがない探索者だと語っていた。少年はその大きな背中をずっと追いかけてここまで来た。


 あの時、凄く後悔した、もう後悔するような生き方はしたくない。仮に目の前の彼らを助けずにこのまま逃げて、運良く魔物化を阻止できたとして、果たして晴れ晴れとした気持ちになれるのか。妹のソフィの瞳を堂々と見ることができるのか、お兄ちゃんやったぞ、と胸を張って言えるのか、助けてもらった恩も返さずに………


「セリアさん、ごめんなさい………」


 少年はギュッと拳を握った。力加減など一切できそうにない。


 四方全て白狼に囲まれたリオンは円盾を構えながら、剣先を四方へ向けていた。牽制のつもりだが、もはやその体をなしていない。一歩、一歩近付いてくる白狼に警戒の色はない。獲物を嬲ることしか考えていない様子だ。


 一陣の風がリオンの横を通り過ぎる。もの凄い速さで跳躍した少年は一番近くにいた白狼の頭を叩き割った。一瞬の出来事にリオンも白狼も何が起こったか判らず、戸惑いの様子を見せた。ややあって、その原因がゼルであることに気づいたリオンは咄嗟に叫んでいた。


「おい!何やってんだよ!逃げろって言っただろ!」


「大丈夫です、一体たりともリオンさん達には近づけさせません。だから、二人のことを頼みます」


 言うと同時に少年はすでに二体目の白狼に飛びかかっていた。白狼の群れもゼルを完全な敵と認識し、次々と襲いかかる。そのぶつかりは正に獣と獣。人間らしさなど微塵もなかった。


 只々ただただ、力の応酬。人が持ち得る技の洗練さとは掛け離れた野蛮さ、残忍さ、凶暴さ。大振りに振られた拳は大地を穿ち、襲いかかる白亜色の牙はガラス細工のように粉々に吹き飛んだ。片手間で掴んで、地面へ叩きつける。血に染まる大地に一体、また一体と白狼が斃れていく。


 最後の一体が白目を剥く頃には少年は大きく肩で息をしていた。こんなに疲れたのは初めてかもしれない、しかし、まだ倒れるわけにはいかない。少年はゆっくりとリオンに近づいた。


「早く、地上に戻りましょう」


「お前は一体………いや、違うな。お前のことを散々馬鹿にして、あることないこと言って、それでも助けてくれて………これ以上お前のことを詮索するべきじゃないな。すまなかった」


「いいです。僕は気にしてないですから。それよりも早くメビィナさんとレックさんを地上に連れて行かないと」


「あぁ、そうだな。悪い、気が動転してた………ありがとう、仲間を助けてくれて、本当にありがとう………」


 まだ気が動転しているみたいだ、ゼルは布切れでメビィナの腕の傷を応急処置すると、背中に担ぎ、急いでダンジョン入口に向かった。やや遅れて、リオンもレックを担ぎながら付いて来る。一つ階層を上がると、そこには見慣れた景色が広がっていた。


 


 


 

 


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