第25話 黄銅ダンジョン③




 金属が大きく割れる音が響いた。自慢の大刀は中央から砕け、真っ二つになった。もう使い物にならない。武器を失った獅子流人リオン・エグザイルは、鋭い爪を代わりの武器にする。それは当たれば人間など簡単に引き裂ける威力を持つ。


 鋭角なひっかき攻撃を潜り抜け、懐に入り込んだゼルはそのまま獅子流人の顎を蹴り上げる。あまりの衝撃にそのまま背後に倒れた獅子流人を少年は呼吸一つ乱さず、冷めた目で見ている。


「駄目じゃないか………獅子流人の大刀は立派な戦利品なんだぞ?こんな粉々にして………」


「………」


 女騎士の声にどこか上の空のゼルはセリアを見ているようで見えていなかった。


「まったく………覇気がないなぁ、今の君は。やはり、先日のことを気にしているのか?」


「いえ、そんなことは………」


「顔にそう書いてあるぞ?」


 気にしない方が無理なのかもしれない、少年は女騎士の指摘通り、先日のバグの一件を気にしていた。ダンジョン内で稀に起こる異常事態。階層の地形が変わり、本来いる筈のない魔物が現れる。それに遭遇したら不運としか言いようがなく、多くの探索者が事故死している。


「君らが出会った白い狼は正式名称を白金狼グレートウルフと呼ぶ。王都の白金ダンジョンの上層に出現する魔物だ。砲金等級では到底………逆立ちしたって敵いやしない。彼らは本当に運が良かった………」


 女騎士は悲しげに眉を顰める。バグに遭遇したそのほとんどの探索者が命を落とす。突然の環境の変化、遥か格上の魔物。それらをくぐり抜けて助かる探索者などごく一部だ。そのごく一部も運が良かったに過ぎない。


 今回のリオンのパーティーは全員一命を取り留めた。これは奇跡に近かった。メビィナは腕の損傷が酷く、約一ヶ月の入院。レックは軽い打撲だったが、大事を取って、一週間の入院。ほとんど無傷だったリオンは探索者組合への報告で休む暇がなかった。しかし、全員が無事だった。命を落とすことはなかった。


「でも………セリアさんの忠告を無視しちゃいました」


 セリアの言葉、決して他人の前で過度なスキルの使用を控えること。今回の事態でのゼルの行動はそれに大きく反している。不用意に力を使い、怪しまれれば、自分だけじゃなく、家族にも危害が及ぶかもしれない。判っていたはずだが、そこまで深く考えられなかった。後悔したくないと誓ったはずなのに。


「その場の咄嗟の判断で最善手を取れる者は少ない。それこそ全てを救うことなどできやしない。私たちは神ではないのだからな。しかし、君は一人ではない。安心しろ!君の魔物化も阻止してみせるし、君の家族も守ってみせる。ギメス会なんかに遅れは取らんよ。私が率いる聖騎士団を舐めてもらっては困る」


「そんな………セリアさんを、聖騎士団を疑ったことなんてないですよ………」


「これは君と私の約束だ。それにその彼らは君のことについて探索者組合に詳しく報告していないのだろ?」


 結果論ではあるが、少年と女騎士が危惧したような事態にはならなかった。リオンはゼルが白金狼を斃して、三人を助けたとは報告しなかった。ゼルとリオンで協力して何とか逃げ延びたという報告に留めた。恩人の不利益なことはしたくない、別れ際、リオンがゼルに告げた言葉だ。


 それでも、気のない返事をする少年を見かねて、女騎士は姿勢を正し、声音に真剣さを宿した。


「君の取った行動は讃えられるべき行為だ。私は君の友人として誇りに思うよ」


 友人、こんな凄い人に認めてもらえるなんて、少年の頭の中は歓喜の気持ちと戸惑いの気持ちが混沌と混ざり合っている。


「………ありがとう、ございます」


 それでも、まだ俯き加減のゼルを見て、セリアは大げさに手を叩いた。


「とはいえ、私の忠告を軽視したことはいただけないな。そんな君には罰が必要かもしれない」


 罰って、さっきまで真剣な雰囲気だったのに、飄々と喋る女騎士の雰囲気に少し緊張感が緩んだ気がする。でも、甘んじて受け入れなければならないのかも知れない。

 

「君と初めて会った、いや、正確には二回目か、その時行ったカフェを覚えているか?店名をラ・ムド・カフェと言う。行きつけのカフェと言ったほどだから、いつも最新の情報を仕入れていてなぁ。そして、今度そのカフェで季節限定のケーキが発売される。それを私に奢るっと言うのが君への罰だ。どうだ?甘んじて受けるか?」


「えっ?そんなことで良いんですか?」


「あぁ、十分だとも。休める時に休むべきだ。君は自分自身に無頓着なところがあり、あまり自分の安全を顧みない。君はそれで良いかもしれないが、残される人の気持ちも考える必要がある。良く君の話に出てくる妹くんなんかは、君に何かあれば、きっと悲しむぞ」


 ソフィの悲しげな顔がすぐに浮かんだ。生まれた時から知っている。どんな表情だって知っていた。彼女には笑っていてほしい。その為にも前を向いて進まなきゃならない。少年の瞳に生気が戻るのを見たセリアはフッと笑った。


「さあ、このまま最深部の地下三十五階層まで降りるぞ」


 地下二十五階層の山岳地帯を駆ける女騎士を少年は追いかける。


 地下十四階層のバグは運良く一週間ほどで終息した。バグが一週間で収まったのは比較的に短い方で、長ければ一ヶ月、一年、十数年、中には未だに終息していないバグも存在している。幸い、ダンジョン内ルールの魔物は階層間を行き来しないや、ダンジョンの外には決して出ないは適応されており、近づかなければ害はない。しかし、調査の為、少しの間ダンジョンは閉鎖される。一週間で収まった為、すぐに閉鎖は解除されたが、それでも足止めを食らったのは事実だ。急がなければならない二人には長い時間だった。


 遅れを取り戻すように駆ける二人の前に二体の獅子流人が大刀を担ぎながら近づいて来た。女騎士の目配りに反応するゼルは左の獅子流人へ駆ける。二メートルほどある体躯の獅子流人は体格に似合わず、素早く間合いを詰めてきた。


 大刀の振り下ろしをサッと地面を小さく蹴ってコンパクトに躱す。上体が下がって、良い位置に来た顔面に拳をぶつける。頭部が吹き飛んだ獅子流人に目もくれず、先に進む。横にはすでに女騎士がいた。手には獅子流人のたてがみが握りしめられている。


「今の一瞬でそれを刈ったんですか?」


「うむ、あの見た目だが、髪質のキューティクルは一級品だ。ヘアエクステに使うのに最適なんだよ。若い女性に人気がある。私もたまにサイドに付けるぞ」


 そんなセリアを見たことがない。鬣は赤茶色だからあまり似合わない気がするけど、ゼルはそんなことを思っても決して口には出さなかった。もしかしたら、染めて使うのかもしれない。いや、そのはずだ。絶対そうだ。


「何か良からぬことを考えているな?」


「いえ、セリアさんは凄い人だなぁって思っただけです。そんな人に多少でも認めてもらえて嬉しいです」


「………そうか」


 決して嘘ではない。ナントの聖騎士団団長で白金等級探索者。若くてして団長に昇りつめ、人を引き付ける魅力があり、部下に慕われている。戦闘も一流で、これまでの探索でたくさん目の当たりにしてきた。先のことは判らない、けど、この人ならどんな不可能も可能にしてしまうのではないかと思わせてくれる。先を行く女騎士に一歩も遅れることなく少年は後に続いた。


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