第27話 旅立ち





 荷馬車の車輪は時々、道行く石を踏みつけ、荷台を揺らした。荷馬車の重みで砕ければ良いが、硬い石に当たると車輪が浮いてどうしようもなく不快だ。荷馬車の旅は我慢の旅でもある。黒い二頭の馬に引かれながら少年と女騎士は次の街へ向かっていた。


 ナントの街でセリア・バルムスタ団長と出会って約一ヶ月、こんなに早く生まれた街を旅発つとは思っていなかった。素直に寂しいと言う気持ちが少年の胸に去来する。生まれ育った街、家族と離れることは寂しいことだ。しかし、前を向き、しっかり生きると決めたからには弱音は吐けない。それに、今生の別れと決まったわけでもない。また会えるさ。


「可愛い妹くんだったな………」


 旅立ちの日、女騎士は少年の生家まで足を運んでいた。両親は聖騎士団の団長が訪問したことに驚き、妹は状況がよく判っていないような、キョトンとした表情をしていた。旅立ちに関しては両親は少し渋い顔をしていたが、最後は笑顔で見送ってくれた。妹は無邪気に頑張ってっと言っていた。暫く帰れないことを判っているのかな。でも、必ず帰ると約束した。困難な旅になるのは判っているのにそんな約束するなんて無責任なのかもしれない。でもきっとまた会えると信じている。


「そうでしょ?両親も僕も甘やかしちゃうんで、少し我儘ですけど、可愛いから仕方ないです」


「家族からの愛情を一身に受けているのが見て取れたよ」


「ソフィの為にも何としても魔物化を阻止しないといけないです」


「………そう、だな」


 歯切れが悪く、少し憂いを帯びた声音は酷く違和感を与えるものだった。不安なのは自分だけではない、一人ではないと思うと不思議と勇気が湧いてきた。御者席に座る女騎士の隣に座るゼルは荷車を引く二頭の馬の尻尾を目で追った。規則正しく左右に揺れる櫨色はじいろの尻尾は見ていて飽きなかった。馬の良し悪しは判らないけど、この二頭の馬は悪くない気がする。


「この馬たちって高かったんですか?荷車まで買って、結構お金かかったんじゃないですか?」


「うむ、まあ………君が心配することじゃない」


 これらの旅の支度は全てセリアが用意したものだった。馬と荷車の手配、次の街までの食料品の積み込み。道中に必要な野営用の天幕などの必需品。ゼルは馬で移動すると言う発想すらなく、次の街まで掛かる日数やそれに必要な食料の量も当然知らなかった。全てやってもらって女騎士には頭が上がらない。それでも慣れない馬での旅に気後れしてしまう。


「歩いて行くと思ってたんで、こんな豪華な旅になるとは思いませんでした」


「歩いてって、君ね………少しは常識をだね………」


「すいません、これから覚えていきます。けど、知らなかったものはしょうがないですよ」


 大きなため息の後、呆れ顔のセリアはフッと笑った。


「そうだな、鑑定もせずに良く判らないスキル書に七百ゴールド支払う君にとっては仕方のないことだな」


「いや、それは言わないで下さいよ………」


「私との探索でそれ以上に稼いだんだから、馬車ぐらいでビビっているんじゃない。器の小さい男だな、君は」


 面罵めんばした態度は本意ではなく、破顔して悪戯っぽく笑った女騎士に先程の憂いの色は窺えない。折角の旅なんだから楽しい方がいい、少年もつられるように笑った。馬は一定の歩調で進む。馬の扱いなど知らないゼルはセリアに御者を任せっぱなしだ。それも、まあ、頭の上がらない理由だろう。


 街道を北へ進むにつれ、日も暮れかけてくる。野営の為に街道沿いに馬車を停止させた女騎士は後ろの荷台へ移動した。何か手伝えることはないか、少年もセリアに続いて、馬車を降りる。緊張感のなかったゼルの鼻がピクリと動いた。


「血の臭いと酷く臭う獣臭………魔物………か?」


 荷台を漁っている女騎士は少年の様子に気づいていなかった。足音も聞こえる。集中してみれば、さっきよりも正確に匂いと音の出処が判った。すぐ近くだ。逃げるように慌ただしい二つの足音に、どこか余裕のある複数の足音。獣臭は血に誘われていた。


「セリアさん!誰かがこの近くで魔物に襲われています!」


「なにッ?!私には何の気配も感じないが………」


「こっちですッ!」


「あっ!ちょっと、ゼル!待ちたまえ!まったく、どんな鼻と耳をしているんだ………」


 少年は駆けていた。勘違いならそれはそれで構わない。早とちりで、後でセリアに小言を言われるだけで済む。でも、誰かが襲われているなら、少年は鼻をスンスン鳴らした。背後から女騎士の気配も感じる。足音が止んだ。逃げ切れたとは思えない。複数の足音もすぐに止んだ。


 街道を離れれば草木が満ちる森が広がっている。湿っぽさはない。生い茂る木々は少なく、緑豊かと言うわけはなかった。それでも、見通しは良くない。音が止んだから聴覚の出番はない、ゼルは嗅覚を研ぎ澄ませ、一直線に駆ける。


 すぐにそれを少年は視界に捉えた。熊が大きく立ち上がったような出で立ちのそれは背中に硬い甲羅を背負った巨大な鼠だった。鎧鼠は高く振り上げた爪をキラリと光らせている。ヤバいっと思うと同時にゼルは大きく地面を蹴った。景色を置いてけぼりにして、ゼルはその鎧鼠に体当たりをした。


 勢いが強すぎてその鎧鼠ごと奥の茂みに突っ込んだ。人間の速度を超えたゼルに更に驚異的な速度でセリアは追いついていた。ゼルが吹き飛ばした鎧鼠が立っていた場所に今度は女騎士が立つ。細剣はすでに抜かれていた。


「まったく、ゼルは何をやっているんだ………貴方達、大丈夫ですか?」


 背中へ問いかける先には少女と老人が地面へへたり込んでいた。大した外傷は見られない。女騎士は背中の視線を前に戻した。日が暮れ始めた森の中は薄暗い、しかし、そこだけ煌々と光が灯っていた。

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