第28話 人助け




 大木の根本が大きく凹んでいる。視界が少し明滅した後、少年はスッと急いで立ち上がった。ぶつかった衝撃で大木は痛々しい姿をしていて、足元には自慢の甲羅が砕けた鎧鼠が倒れている。力加減って難しいな、身体のどこにも痛みを感じないゼルは来た方へ急いで戻った。


 わざわざ嗅覚を働かせなくても目的の場所はすぐに判った。眩しい閃光は暖かさを兼ねていた。女騎士が細剣を構え、四体の鎧鼠と対峙している。その後ろには強張った相貌の少女と男性の老人がいた。見た感じ外傷はない、しかし、血の匂いを感じたからにはどこか怪我をしている可能性がある。ゼルはセリア・バルムスタの隣に立った。


「セリアさん!大丈夫ですか?」


「私のことはいい。それよりも君は大丈夫か?魔物に体当たりするなんて、猪突猛進が過ぎるぞ」


 君は後ろの二人を頼む、スッと身体の力を抜いた女騎士は迫りくる魔物を迎え討つ。身体を丸め、硬い甲羅に覆われた鎧鼠は地面を転がりながら迫ってきた。地鳴りを鳴らしながらの回転攻撃は重そうな体躯と相まって、高い威力を持っていると想像に難くない。回転しながら器用に地面を蹴った鎧鼠は跳躍した。重い三つの玉が襲いかかる。


 右八相に構えていたセリアは腕を前方へ真っ直ぐ伸ばした。迫りくる鎧鼠を剣背に乗せて、力に沿って滑らせた。光の速さでそれを三体同時に行ない、軌道を逸し、空中へと放り出した。常人の目ではとても捉えきれない、ゼルですら曖昧にしか捉えきれなかったその動きは技の極み、人が持ち得る洗練さが生み出したものだ。


 空中に放り出された鎧鼠は何が起こったか判らず、混乱し、手足をバタつかせている。後を追うようにセリアが空中へ飛んで、三体の鎧鼠に細剣を振るう。為す術のない三体の鎧鼠は自慢の甲羅を斬り裂かれ、無惨に地上へ落下した。女騎士は何事もなかったような涼し気な顔で地上へ降りてきた。


「ゼル!他に魔物の気配は?」


「いえ、ありません。今の三体で終わりみたいです。僕が体当たりした一体はあっちで倒れてます」


 そうか、と安堵の息を漏らす女騎士はやっぱり凄かった。すぐ後ろにいる人たちを気遣って、魔物との距離を作り、安全に討伐した。勿論、その技があってこそできる芸当であり、他人がおいそれと真似できる技ではない。力加減がまだ難しいゼルにとってはまだまだ遠い存在だ。


「そこの貴方達、大丈夫ですか?怪我はありませんか?」


「あぁ、助けて頂いてありがとうございます、騎士様。実は孫娘が儂をかばって足を切られまして、何か手当するものはお持ちでしょうか?」


 老人に促され、少女は服を捲った。上着の裾に隠れていた太ももは血が滲んでいる。傷の具合は浅そうだったが、走って逃げるには一苦労しそうだ。もう少し気づくのが遅ければ取り返しのつかない事態になっていたかもしれない。少年は大きく唾をのみ、安堵の表情を作った。


「私たちの馬車に戻れば応急手当はできるが、その前に………」


 セリアは少女の前に膝を折り、傷口に向かって手のひらを翳した。その行動を不思議に思う少年は、まさか、と思った。


超回復ヒール!」


 手のひらに淡い緑色の暖かい光が灯ると、少女の傷がみるみる塞がっていった。これは一般的なスキルで治癒魔術の一種だ。簡単な外傷や弱性の毒に効果がある。ダンジョンを探索する上で、一人は持っていたいスキルの一つだ。少年も教会の司祭様が使っているのを見たことがあった。『光の戦士』はそんなことまでできるのか、いや、そう考えるよりも………


「セリアさんって二つのスキル持ちだったんですか?」


「ん?言っていなかったかな?『光の戦士』とは別に『超回復』も使える。そういえば、君は身体が頑丈だから使う機会がなかったな」


 まさか、スキル枠が二つあったとは、いや、世間的に考えればスキル書を二つ読めることは珍しいことではない。寧ろ、一つしか読めないゼルの方が珍しい。世の中には三つ習得できる人もいるが、当然、数は少ない。四つともなると最早、伝記の中だけの存在だったりする。


 よしッ、と少女の傷が治まり切るのを確認して、女騎士は立ち上がった。老人も立ち上がり、セリアに向かって深く頭を下げた。少女も心なしか、安心した表情をしている。


「もう日も暮れた。今から貴方たちだけで帰るのは危険でしょう。良ければ私たちの馬車で一晩休んでいくと良い。丁度野営の準備をしようと思っていたところでした。その傷も念の為に布を巻いておきましょう。ちょっとしたことで傷口が開く可能性がありますから」


 老人はセリアの申し出に深く感謝し、何度も頭を下げていた。少女はまだ歩かない方が良いと思い、少年は手を差し出したが、女騎士に制止された。


「君の心遣いには甚く感動する、が、彼女は女の子だ。女である私が手を貸そう」


 なるほど、同性の方が心許せると言うやつか、別に下心などなかったゼルだったが、セリアの言わんとすることも理解できた。人の心ってそんな単純じゃないんだな、少年は世の中の難しさの一端を曖昧に感じた。


 四人が馬車に戻る頃には太陽は沈み切り、辺りには闇夜が広がっていた。街のような街頭がない夜は初めてだったが、夜目が効くゼルはせっせと薪に使えそうな小枝を集めて、火をおこした。特別寒い夜ではないが、火の温かさは心を暖める。


 動物を狩る暇がなかったので、携帯食料と水を鍋に入れる。火を熾せる時は積極的に水で溶かせる携帯食料を食べる。乾物ばかり食べていると、思っている以上に身体の水分が抜けており、脱水症状を起こしたりする。乾物系の携帯食料は本当の緊急の時だけだ。食事から摂れる水分を馬鹿にはできない。


 セリアは煮立った鍋を焚き火から外し、中身を木の容器に人数分取り分けた。手渡されたそれは決して美味しそうではなかったが、味の薄いシチューと思って食べるしかない。家ではなく、街から離れた街道脇で野営しているのだ。贅沢など言ってられない。


「歩いて移動することを考えればこれだけ荷物を運べるんだ。贅沢と言うものだよ。君一人だと考えるとゾッとするよ」


 聖騎士団の公務で遠征が多く、野営に慣れたセリアはまた悪戯っぽく笑っている。最近良く小馬鹿にされてる気がするけど、気のせいか、本気じゃないと判っていても腑に落ちないものは仕方ない。ふと、傷口の太もも付近を擦る少女と目が合った。見た目から判断するに少年と同じ歳ぐらいだ。


「あの、助けてくれてありがとう………」


「いや、気にしないで。僕は全然で、セリアさんがほとんどだからね」


「そ、それでも!ありがとう………もう駄目だと思った………」


 俯き加減で焚き火を眺める少女は儚げだった。あの時の僕もそんな感じだったのかな、不忘の日を思い出す少年も少女に似て儚げである。嘗ての探索者にはまだ程遠いが、確実にあの時の恩を返せてる実感がある。今はそれで良い。


「僕の名前はゼル。君は?」


「えっ?あ、あ、リコ!わたしの名前はリコ」


「リコか………よろしく。リコはこの辺りに住んでいるの?」


「うん、この近くに小さな村があって、そこで両親とおじいちゃんと暮らしている。山菜を採りに村の外に出たら、魔物と遭遇しちゃって………普段はこんな所には出ないのに………」


 また俯くリコを少年はジッと見つめる。人の領域と魔物の領域の境目である魔境はここより遥か東だ。そこに行けば魔物と遭遇することも珍しくないが、ナントの街から西は滅多に見かけない。ゼロではないだろうが、目撃、遭遇するのは稀だ。実際にいたとしても、聖騎士団がすぐに対処するから一般人が遭遇する確率は限りなくゼロだ。そう考えると今回の事態は異常だ。


 リコと話している脇では女騎士と老人が会話している。真剣な口調で、魔物や、北の村でも、と言った単語が聞こえてきた。大人の難しい話はセリアに任せるとして、ゼルはリコとの会話を続けた。


「ゼル君とセリアさんはダンジョン探索者なの?」


「うん、そうだよ。セリアさんは探索者でもあるけど、メインは聖騎士団の方だね。あの人、団長なんだよ」


「す、凄い………そんな凄い人と旅をしているなんて、ゼル君も凄いんだね」


「僕なんてまだまだだよ。セリアさんの足元にも及ばない。あの人は本当に凄い人なんだ………」


 周りの人は凄い人ばかりだ。少年は自然とあの日の出来事をリコに話していた。思ったよりも饒舌に話すゼルにリコは食い入るように聞いていた。きっと、村の外の話に興味があるのだろう。闇夜が広がる中、人の輪も静かに広がっていった。

 


 


 


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