第3話 スキル書
綺麗な人だったな、立ち尽くすゼルは先程の女性に見惚れていた。淡く蒼い髪が印象的だった。一瞬だった為、顔はあまり見えなかったが、その一瞬の印象だけでも美人と感じた。探索者なのだろうか、人体の急所だけを守る部分鎧を鈍く光らせていた。
惚けていたゼルだが、すぐにハッとなった。地面にはスキル書が落ちている。危ない、危ない、折角半年頑張って手に入れたスキル書を失くしたら大変だ。素早く拾い上げ、再び大事に懐にしまった。
今度は人とぶつからないように気をつけながら、無事に家に辿り着いた。母は夕飯の支度をしていて、父と妹の姿は見えない。差して気にすることでもないので、少年は自室へ向かった。
椅子に座り、改めてスキル書をじっくり観察する。外見はどこにでもありそうな紙で出来た本と変わりない。ただ、留具でしっかり封がされている。これを外して中身を読めばスキルを習得できる。その際にこのスキル書は消え去る。どういった原理かは判っておらず、ダンジョンから得られるものは謎なものが多い。
ゼルは緊張していた。話として聞いてはいるが、実際にスキル書を読んで習得するのは初めてだ。露天商の話では、スキル書を読むと稀にそのまま眠りにつくそうだ。だったら、家に着いたからとはいえ、今すぐに読むのは憚られる。
少年は夕飯までの間、スキル書を穴が開くほど観察した。見つめてどうなるものでもないが、見つめずにはいられなかった。夢中になればその世界にのめり込む。そのせいか、スキル書から若干の禍々しい黒いオーラのようなものが漏れていたが、気にならなかった。スキル書の現物など店頭でも中々お目にかかれない。本物は不思議なオーラを放っているんだな、ぐらいにしか感じていなかった。
夕飯の時間になり、リビングに向かうと父と母と妹、家族全員が揃っていた。食事中ずっと上機嫌なゼルに両親は理由を問うたが、はぐらかしてばかりだ。両親はそんな少年に訝しげな様子だったが、機嫌が良いことは悪いことではないとし、放って置かれた。
少年は両親にもスキル書のことは内緒にしている。後で驚かす為だ。両親からは戦士のスキル書が買えるだけのお金は貰っていた。探索者として普通の道を歩んでいたはずの息子がいつの間にか立派な探求者になっていたら、さぞ驚くぞ。ゼルはそんな幼稚な幻想も共に抱いていた。
普通の少年が珍しいスキルで突然活躍し、それを見た周りの人々は感嘆の声をあげる。ヒロイックな妄想も少年を浮足立たせるには十分だった。
「お兄ちゃんもあの人みたいになるの?」
「ん?あぁ、そうだね、ソフィ。なれたらいいね」
歳の離れた妹は目に入れても痛くないほど可愛かった。身内贔屓だろうが、可愛いものは仕方ない。そんな妹のつぶらな瞳が少年を見ている。
ソフィの純粋な言葉。あの人とは数年前に魔物に襲われそうになった兄妹を助けてくれた探索者のことだ。名前は知らない、どの等級の探索者かも知らない。ただ、しがない探索者だと名乗って去って行った。
あの人みたいになれたらいいなぁ、それが少年の目標だった。
「お兄ちゃんなら絶対なれるよ!」
小さな両手で握り拳を作り、期待に胸を膨らませた表情を向けられれば頑張らざるを得ない。いや、こんな可愛い妹のために頑張るなんて当然じゃないか、ゼルは優しくソフィの頭をなでた。
夕食を食べ終え、後は寝るだけだ。少し早い気もするが、いつもの就寝時間など待っていられない。
遂にこの時が来た。半年間待ちに待った瞬間だ。スキル書を手に取る。感覚が鋭敏になっているのか、皮の表紙のザラザラ感もさっき以上に感じられた。
手のひらにじわりと汗を掻きながら、封がされている金具を外す。パチっと、金属の小気味よい音が鳴った。恐る恐る表紙をめくる。
すると、頁は独りでにめくられ、次々と頁が進んでいく。少年は不思議な感覚に包まれた。温かい何かが身体の中に流れてくるようだ。今流れて来ているものがスキルなのかな。漠然とした思いとは裏腹にさっきまで感じていた緊張感はどこかへ消えていた。
最後まで頁がめくられ、スキル書が閉じられると、跡形もなく消え去った。思ったより呆気なかったな、少しの余韻に浸っていると、急に激しい動悸に襲われた。
少年は呼吸もままなからず、ベッドに倒れ込んだ。息が苦しい、視界も変だ。ゼルは世界が赤黒く染まっていくのを感じた。強制的に眠りにつくとは聞いていたが、こんなことは聞いていない。
少年は自分の身体の感覚も曖昧になってきた。どこまでが自分の身体でどこまでが外界なのか判らない。まるで、ゲル状になって、水に溶け出しているようだった。
ゼルは知らぬ間に意識を失っていた。無意識に身体を掻きむしっている。それのせいで身体が傷つくことはなかった。ただ、着ている服がボロボロである。
少しの間を経て、少年の呼吸は正常に戻り、掻きむしっていた両手も大人しくなった。そして、そのままぐっすりと朝まで夢の世界へ行ってしまった。
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