軽自動車

 朝陽が洞の内部に差し込んでくる。

 まどろみながら目を覚ますと、フカフカの毛並みが頬を撫でる。

「おはよう、私のタツロー。」

 ミカがそっと耳元に語りかけてくる。


「おはよう、ミ…ぶぎゅ!」

 私の顔面に、彼女ミカの前足が乗ってくる。


「おはようございます、お母さま。

 でしょ?」

「…。」

 恐らく不機嫌そうな顔の彼女ミカが答えを求めているだろう。

 が、この前足が邪魔で返事が出来ないでいる。


 この洞にやって来て一週間。

 彼女は、女性らしい健康な姿になった。

 なるほど、シェットランドシープドッグの毛並みは、かくも美しく、サラサラで、フカフカなのだろう。


 毛並みもそうだが、初めて会った時のわびしさも無ければ、貧相さも微塵もない。

 年齢も相当若返った…おっと、これは、女性に対しては禁句の類だった。


 とにかく、を達成した彼女は、かぁちゃんというより、お姉さんになったのである。


「やっぱり、食事って大事ね。」

 ゆっくりと起き上がるミカ。

 ようやく、彼女の前足が私の顔から離れてくれた。


「でしょ?」

 起き抜けの第一声が、何とも間抜けで申し訳ないところである。


 彼女がこの高原に放逐されて一月ひとつき

 もともと狩りなどが出来なかった彼女。

 土をほじくり返して虫の幼虫を採って空腹を満たしていたらしいが、栄養は満足に取れる事はなく、身体は細り、毛並みもバサバサになって行ったそうだ。


「栄養バランスは大切なんだ。

 毛艶やにだって、影響するからね。」

 私の言葉に、真顔で頷くミカだった。


 そんな私たちの食生活を養ってくれていたドッグフードもそろそろ心もとなくなってきていた。


 さて、平原は今日も快晴。

 私たちが平原の散策をしていると、見慣れない銀色の軽自動車が佇んでいる。

 昨日は無かった事から、昨晩か今朝方にやって来たのだろう。


 遠巻きに眺めていると、不意にミカが吠えだす。

「大変!大変!」


「どうしたの?」

 ミカの方へ振り返ると、軽自動車を見なさいと促す彼女。

 改めて軽自動車を眺め、目を細めると黒衣を纏った背に黒い翼の少年が、黒い大鎌デスサイズを携えて、まさに天から降臨しているところだった。


「死んじゃう!死んじゃう!」

 吠え続けるミカを残し、軽自動車へ突進する。

 ボンネットに乗って車内を覗くと、若い男女が眠ったようにうなだれている。


 ボンネットの上で身体をジャンプさせるが、その振動に車内の反応は皆無…。

「これはまずい!」

 一吠えして、地面に降り立ち、力任せに全身を運転席ドアにぶつけてみる。

 これでも、一応大型犬。

 多少なりとも車が揺れれば、気付いてくれるかもしれない。


 ミカも近くに走り寄ってきて、執拗に吠えている。

 恐らく黒衣の少年を思い止まらせようとしているのだろう。

「待って!待って!」


 3度目の体当たりで、車内の反応が返ってくる。

 どうやら、男が目を覚ましてくれたようだ。

 車の周りで起こっている騒動に、運転席のドアが開かれる。


 フラツキながら降りて来る男性。

 車内の女性の意識はまだ戻っておらず、その足元には七輪が…。

「!!」

 咄嗟に車内に飛び込み、七輪を蹴倒し、おしっこをひっかける。


「あ、こらっ!」

 男性の叫び声と、七輪を倒したショックで女性も正気を取り戻したらしい。


「!!」

 足元のおしっこに慌てて外に飛び出し、地べたにへたり込む女性。


 いつしか、ミカは吠えるのを止め、人間たちを警戒している。

 黒衣の少年は立ち去ったようだ。

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