その8

「家元と川藤が会っていたのは、いつ頃だ?」


 俺は冷静さを保ってはいるが、内心はドーパミンが全身を駆け抜けているのを抑えるのに必死だった。

 必死で秘書の目を見ていないと、頭が違うことを先走って話を聞けなくなる恐れがあるくらいに興奮している。

 相澤を連れて来なくて正解だった。こんなガキっぽい所をアイツに見せるわけにはいかない。


「一年半ほど前です」

「接ぎ木が行われる、前か後か?」

「前です。一ヶ月ほど前でした」


 だが、この瞬間こそ、刑事という仕事の醍醐味でもある。

 俺の読みは完全に的中した。


「社長が突然、大事なミーティングをキャンセルして、人と会うと言い出したんです」

「そんな事は以前にもあったのか?」

「いえ、一度もありません。プライベートよりも仕事を優先される方ですから……なので皆、驚いたんです。それで『誰と会うんだろう?』って私たちの間で噂になって、それで私が尾行する事になったんです」

「社長をか?」


 いくらなんでも幼稚すぎやしないか?


「その……」


 秘書は少し深刻な顔で目を逸らして言った。


「『病気じゃないか?』って……」


 なるほど。

 確かに重度の仕事人間が、仕事よりも優先するプライベートとなったら、重病が見つかったと言う可能性もある。それが接ぎ木が行われる前となったら、なおさら死期が近いと疑っても不思議ではないか。


「私は『病院に行くのか?』を突き止めるつもりでした。それ以外の用事だったら、社長に失礼ですから、すぐに帰ってこようって。ですが、そうしたら……」

「相手は川藤明宏だった」


 秘書は無言で頷いた。


「驚きました。社長にソックリな人が社長の目の前に立っていたんです。私には何が起きているのか分からなくて、帰って来ても誰にも何も言わなかったんです」

「じゃあ、アンタ以外の会社の人間は川藤明宏を……」

「未だに知りません。頭がパニックになってて、どう説明して良いのかが分からなかったんです。ちょうど、その頃は社長の接ぎ木の話も動いていた時期でしたので。『なんで、クローンがすでにいるんだろう?』って、もう訳がわからなくなって、怖くて……」

「その直後にクローンの人数が急遽変更になったんじゃないか?」


 秘書はハッとした顔を見せた。


「そう、だったと……いえ、そうです! 役員の方々が社長に怒っていました。それで怒っている理由を聞いたら『接ぎ木のクローンが一体増えた』って聞きました」

「その時、『川藤明宏と会った事と関係があるんじゃないか?』ってアンタは思わなかったのか?」

「いえ。私は接ぎ木の方はノータッチでしたので、それに社長はよく独断で横車を押すことはありましたから。あと、もうあの日の事は蒸し返したくなかったんです」

「なるほどな」


 この秘書が周りに川藤の存在を吹聴していたら、今回の事件が起きる前に社内で問題にできていたかもしれないな。

 だが、川藤明宏が家元泰宏のクローンの中に紛れている事は、ほぼ確定だ。

 おそらく川藤の自宅の焼死体は、家元のクローンのうちの一体だろう。この焼死体殺害には間違いなく川藤明宏が関わっている。四課に最低限の土産を持っていける。


「それで接ぎ木の後、クローンに何か変な事はなかったか?」

「変な事、と言いますと?」

「例えば……一体だけ、やたらと仕事ができないヤツがいた、とか。サボっているクローンがいたとか、明らかに他と違うクローンはいなかったか?」


 九人の家元泰宏の中に一人、川藤明宏が紛れ込んでいるんだ。何か絶対に違和感のある行動は起こしている筈だ。


 秘書はしばらく考え込んだ。


「申し訳ありません。クローンがした仕事もオリジナルがした仕事もすべて『社長の仕事』として纏められますので、一人がサボっているとか、そう言った事実は分かりません。

 記憶は共有されますので、昨日、あるクローンが行った現場に別のクローンが行くって言う事もあるんです」


 それは承知だ。家元泰宏から聞いた。


「それは知っている。聞きたいのは秘書のアンタの目から見た印象だ。他と違う、違和感のある家元泰宏が一人いなかったか?」

「違和感のある社長ですか?」


 秘書はまた考え込んだ。

 いや、考え込んでいるじゃない、言うかどうかを悩んでいる考え方だ。


「何でも良いだ。とりあえず、何かあったなら言ってくれれば」

「あった事は……あったんです。けど……」

「迷うなら、言ってくれ」

「でも……むしろ、刑事さんの仰ってる事とは逆なんです」

「逆?」

「むしろ一人だけ、やたらと優秀と言いますか……社長は元々凄い方ですので、どのクローンも優秀なんですが……一人だけその中でもズバ抜けていたというか……」

「それは、オリジナルの家元泰宏じゃないのか? クローンが仕事に慣れるのに時間が掛かっていただけで」

「いえ、それはありません。クローンの社長も初日から、いつも通りに仕事をこなしていましたから」


 じゃあ、一人だけ仕事がずば抜けていたのは……川藤?


「それに……これを言ってたのは私だけじゃないんです。他の秘書の方も、それに取引先の方々も、度々そのような発言をされていて」


 俺は少し動揺し始めていた。

 さっきまで上手く回っていた歯車が急に噛み合わなくなっていく、嫌な予感。


「『最近の社長は一段と凄みを増した』とか、『あんな一面もあったなんて知らなかった』みたいな感じの事を皆様、仰っていたり。ネガティブではなく、むしろ皆さん、ポジティブな意見を仰ってました」


 そんな事があり得るのか?


「少し社長とはやり方が違うんですが……明らかに一人だけ、ズバ抜けていたのは確かなんです。遺伝子の突然変異とかなのか分からないんですけど」


 そのズバ抜けていた人間が川藤明宏だったとしたら、奴は俺たちの想像の遥か上を行く人間だという事になる。

 確かに親が下部組織の組長だったとしても、一代で日本の裏社会を牛耳る大組織の組長候補にまでのし上がった男だ。


「それを他のクローン達はどう思っていた?」


 まさか家元泰宏も、自分の泣き所だと思っていた生き別れのヤクザの弟が、自分以上の手腕を持っていたとは夢にも思わなかったハズだ。


 だが、それは俺も同じだ。


「どうと言われましても……皆、口を揃えて『会社が発展するならいい事だ』と」

「邪魔に思っている人間はいなかったのか?」

「とんでもない。社長にとってこの会社の発展は何よりも最優先される事なんです。むしろ、その一人のやり方を真似するようになって行きました」


 用意していたシナリオに大きな穴が空く事になる可能性もある。

 

 家元が川藤を殺す動機が無くなる。

 それと同時に川藤が家元をわざわざ殺す動機も同時に消える事になる。


 捜査がふりだしどころか、全てが真っ白に消え失せてしまう。


「あの、そろそろ」


 と、秘書が時計を見ながら言い、俺はハッと顔を上げた。


「あ、ああ。急に来て、申し訳なかった」

「いえ」

「いい情報を……」


 と、俺が言ったところで、秘書が「あっ!」と思い出した声を上げた。


「どうした?」

「刑事さんの仰ってた事、ありました。つい最近です」


 最近?


「社長の中で一人だけ、少し他よりも仕事ができないと言うか……どこか物足りない印象を受ける人が出て来たんです」

「物足りない?」


 この事件、俺が予想していた物とは、大きく違う予感がする。


 川藤明宏を俺は見誤っていた。


「あと、最後に聞きたいんだが、家元泰宏の中で最近、歯医者に行ったりした奴はいないか?」

「歯医者、ですか?」


 念の為、被害者の歯が事前に抜けていた可能性も考慮しなければいけない。これは裏をとっておかないといけない。


「あ、そう言えば……」


 秘書が言った。


「最近、突然、『歯医者に行く』と言い出した社長が大勢いました」

「なに?」


 一瞬、時が止まった。


「一人じゃないのか?」

「それが、急に示し合わせたように、皆さんがこぞって歯医者に出掛けたんです」


 捕まえたと思った獲物が砂になって、手のひらから零れ落ちて行く。そして、俺を嘲笑う影になり、大きな魔物に変貌していく。


「それは何人だ?」

「ええっと」


 秘書はスマホを取り出して、スケジュールを確認し始めた。


「六、七、八人ですから……二人の社長を除いて、ほぼ全員が行っています」

「八人?」


 八人の家元泰宏が、歯医者に行っていた。


「歯医者に何しに行ったんだ! その八人は!」


 俺は思わず声が大きくなってしまい、秘書がビクッと怯えた。

 このタイミングで示し合わせたように歯医者に向かうという事は、偶然とは思えない。事件と関係がある事だ。


「そ、それは、仕事には関係のない事なので、具体的なところまでは……ただスケジュールで急遽、入っていたんです」

「という事は仕事中に行ったってことか?」

「はい。空いてる時間に行ったのだと……掛かり付けの歯医者がいますので、そこに……」


 仕事中に行くと言うのは、他のクローンと確実に顔を合わせないようにする為か……歯医者に何をしに行ったんだ?

 

 真実に逆に食われる恐怖が俺を襲う。


 歯医者に行かなかった二人は、直感でピンと来た。

 一人は川藤明宏。

 そして、もう一人は殺された家元泰宏。


 この事件、俺たちが考えていたような、家元泰宏と川藤明宏との間の諍いなんてものでは無いのかもしれない。

 そして、裏でこの事件を操っているのは、もしかしたらクローン達なのではないか?


 秘書が部屋を出て行った後も、俺はしばらく呆然として、立ち上がる事ができなかった。









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