その9

 ケラススの会社に入って行く時とは世界がひっくり返ったように、外に出ると日が出ていた世界は終わって、夜になっていた。


 頭を整理できず、呆然としたまま署に戻ると、相澤が課長や署長と集まって話しているのが見えた。

 家元泰宏と川藤明宏の関係が明るみになって、俺とは裏腹に捜査本部は活気付いていた。

 『殺人の可能性』という希望が、自殺の裏付け捜査と言うドサ周りから解放し、睡眠不足の刑事たちにエネルギーを与えている。


 刑事とは、こう見ると原始的な生き物だ。

 人の不幸を餌にして、獲物を求めて彷徨っている。


「あ、山城さん」


 相澤が俺に気づいて、手を上げた。

 それと同時に署長と課長が俺に好意的な表情を見せた。さながら「お手柄だ」とでも言いたげだ。

 俺も歩み寄って、その集まりには参加するが、ずっと心ここに在らずで、相澤たちが話している事の一つも頭に入って来ない。


 歯医者に行った八人のクローン。

 この事実が、俺達が今まで見ようとしていなかった真実を闇から引き摺り出してしまった。


「よし! とりあえず、川藤明宏の東京に来てからの動向を探れ、これが本当ならとんでもない事だぞ。気合い入れろよ!」


 署長の指示で、集まっていた刑事達は一斉に散って、捜査本部の出口に我先に急いだ。


 ここで言うべきか、言わないでおくべきか……ただ、俺の頭の中もフワフワして、何を言うべきなのかが分からない。


「相澤」


 俺は相澤の袖を掴み、部屋の隅に連れて行った。


「どうしたんですか、顔色悪いですよ? 日帰りで疲れたんすか?」


 相澤も早く外に行きたそうだ。


「少し、様子がおかしい」

「え?」


 とりあえず、相棒のコイツには現状を説明しておくべきだ。


 まず家元泰宏の遺体の奥歯が抜けていた。

 未だに事件に関係があるかどうかは定かではないが、川藤明宏の金歯の事からも、関係あると仮定するのは正しい。

 そして血の量からして、家元泰宏の死後に部屋にやって来た家元泰宏のクローンが抜いた事でほぼ間違いない。


 帰りの新幹線の中の俺たちは『川藤明宏の金歯を隠滅する為』に奥歯を抜いたと思った。

 だが、事件が起こるより前に、八人の家元泰宏のクローンが歯医者にこぞって出かけていた。

 俺の直感だが……歯医者に行ったのは川藤明宏と遺体の家元泰宏の二人以外の純粋なクローン達、八人。


「八人って事は、川藤と家元オリジナル以外のクローン達って事ですか?」

「多分な」


 相澤も表情が歪んでいる。完全に俺たちの予想を裏切ってきたのだから仕様が無い。

 相澤ものっぴきならない状況に気付いたようだ。


「もしかして、クローン達が主犯の可能性が出てきたって事ですか?」

「……そう言うことだ」


 捜査の焦点は家元泰宏でも川藤明宏でもなく、残りの八人のクローン達の方だったのかもしれないと、俺も結論に至った。


「でも、クローンが何故?」

「分からん」

「どっちを殺したんですか?」


 クローンが川藤明宏を殺したなら、事件はすんなり行くのだが……俺は殺されたのは家元明宏では無いか? と思い始めていた。


 それは、秘書から川藤の予想外の仕事の成果の話を聞いたからだった。


「……今はなんとも言えない」


 ここはお茶を濁すしかない。

 俺のバイアスを相澤にまでかけてしまうと、余計に誤った方向に捜査が行ってしまう恐れもある。


 正直、俺は川藤を無意識に俺が今まで見て来た末端の暴力団員の延長程度にしか考えていなかった。

 川藤明宏は俺の予想の遥か上を行く男だ。もう、今の俺の頭ではこの男の行動と周りへ与える影響を想像する事はできない。


「どうします? 課長と署長はまだいますよ、言いますか?」

「方針決まったばかりだろ。こんなあやふやな状態で報告したら、捜査を混乱させるだけだ」

「じゃあ、どうするんですか!」


 相澤が怒鳴り気味に言った。


「落ち着け。川藤明宏を見つけるって方針は間違っていない。どうあれ、それは必要になる。だから、今は他の連中にはそっちに専念してもらう」

「それじゃ」


 相澤も相棒として成長した。

 なんだかんだでコイツと話していたら、もやもやした俺の中の方針がハッキリと決まった。


「俺たちで、直々に本丸に乗り込むぞ」


 幸い、さっきの秘書は警察に親身になってくれている。急遽、九人の家元泰宏の中で明日、スケジュールの空いている家元泰宏のアポを取って貰った。

 

 俺は『川藤明宏だけは引き当てないでくれ』と神に願った。確率は九分の一だ。



 翌日。

 社長室の玉座に踏ん反り返っている家元泰宏のクローンと俺と相澤は再び対峙する事になった。

 家元は以前と同じ姿勢だ。ワークチェアの肘掛けに置いた右腕に右頬を預け、脚を組んで気怠そうにコーヒーを飲んでいる癖に、俺と相澤には水も出そうとしない。


「それで、何か捜査に進展はありましたか?」

「今のところは報告する事は特にない」

「なら、もう自殺で決めていただけませんかね? 我々も葬儀のスケジュールが決まらないんで困っているんですよ。

 それだけじゃなく、マスコミも報道規制を引かれてイライラしてますよ。長引くと警察の不祥事を見せしめにバラされますよ?」


 この前とは雰囲気が違う。言葉の端々に明確な棘がある。

 自分達の正体がバレたことに開き直ってやがる。

 

 それでも圧倒的な安全圏から俺達の捜査を高みの見物をしている余裕は変わらずに持ち合わせている。

 俺たちを敵とは見做している様だが、あくまでも虫籠に入っている昆虫程度だ。


「単刀直入に聞く。お前達が殺したのはオリジナルの家元泰宏だったのか?」


 俺が社長用のロングデスクに両手をついて尋ねると、クローンはフッと笑った。


「最近の警察は、庶民に答えを教えて貰って捜査をするんですか?」

「答えろ、クローン!」


 その一言に家元はギッと俺を睨んだ。


「なるほど、取り調べか」


 家元はそう言って、リモコンを左手に持った。


「口の聞き方は慎めよ。こちらは容疑者じゃない。あくまでも捜査に協力する側の人間だぞ」


 そう言って俺に向けてリモコンをちらつかせて威嚇する。警備員を呼ぶためのブザーか何かなのか。


「そもそも、どうやってオリジナルの家元泰宏をお前達は判別した?」

「判別? 何のことでしょうか?」

「前に言ったよな? お前達は十人で一人の家元泰宏だったはずだ。

 全員が自分をオリジナルだとは思っているが、お前達の誰もが、自分がオリジナルなのか、クローンなのかは判別出来ないって」

「その通りだ。我々は十人で一人、全員がオリジナルであり、全員がクローン。オリジナリの家元泰宏など、どこに存在しているのやら、皆目見当もつきません。もしかしたら、私がそのオリジナルかも知れません」

「それは無い」

「何故、そう言い切れる?」

「オリジナルはお前達が殺したからだ」


 俺は鬼の形相で家元泰宏を睨みつけた。ここに来る時から覚悟していた、これはもう取り調べでもない、ただの喧嘩だ。

 目の前の家元が警備員を呼ぶまで、突っ走れるところまで突っ走るしかない。


 俺の読み通りなら、どっちにしろコイツらを逮捕する事は法律上不可能なんだから、こっちだって開き直るしかない。


「言え。どうやってターゲットのオリジナルの家元泰宏を見つけた?」


 家元のクローンは笑うだけで口は開かない。


「ですが、本物のオリジナルの家元泰宏を特定する方法があったとしても、我々が殺した証拠にも動機にもならない筈だろ?」


 クローンはリモコンをデスクに置き、コーヒーを一口啜った。


「そもそも、我々がオリジナルを殺したとしても、あくまでも自殺のはずだが」

「川藤明宏が殺しに関っていた場合は自殺にはならない。殺人だ」


 クローンはフッと笑う。


「確かに」

「川藤の存在を否定しないのか?」

「否定したところで、お前達が訪ねてくる頻度が増えるだけだろ? つまらないやり取りは、とっとと終わらせて仕事に集中したい。

 川藤明宏の存在は我々も知っている。彼が家元泰宏と一卵性双生児である事も、我々のクローンの中に紛れている事もな」


 相澤は驚いた声でクローンに尋ねた。


「そこまで認めても大丈夫なんですか?」

「それも調べて来たんだろ? わざわざ大阪にまで行って」


 それだけの事を白状していながら、目の前の家元は汗一つかいていない。いや、表情に緊張している場所すら見当たらない。


「大阪の川藤の自宅で焼け死んでいたのは、家元泰宏のクローンだな?」

「ノーコメントです」

「言え」

「ノーコメントです」

「こっちの殺人は検挙できなくても、大阪の焼死体は川藤明宏が無関係だと言い張るのは不可能だぞ。とっとと川藤明宏を引き渡したらどうなんだ!」

「ノーコメントです」

「何故、オリジナルの家元泰宏を殺してまで、川藤明宏をお前らが庇うんだ? お前ら家元泰宏という存在を脅かす危険因子だろ、川藤明宏は!」

「危険因子だと?」


 その瞬間、家元泰宏のクローンの雰囲気が変わった。

 さっきまで掴みどころのない笑みを浮かべていたはずの男が、突然、居合いの刀を抜くように俺を睨み返してきた。


「どうして、川藤明宏が我々の危険因子なんだ?」


 家元泰宏のクローンは突然、明らかに感情的な敵意を俺たちに向けてきた。


 予想外の展開に俺は怯み、机から手を離した。


 やはり、俺たちは大きな勘違いをしていた。

 そして、今まで隠れていた闇に完全に足を踏み入れてしまった。


 一般の人間同士では決して生まれる事のない人間の闇……家元泰宏と川藤明宏、そして八人のクローン。

 何か諍いが起きた時、俺たち一般の人間は「クローンは自分と同じ人間の家元泰宏側に着くものだ」と当然のようにタカを括っていた。


「あまり、彼の事を悪くいうと、こちらの出方も変わるぞ」


 違う。

 コイツらは明らかに川藤明宏側についている。自分自身を殺してまで、自分を裏切ってまで。


「何故、お前らは川藤明宏側に着いた? 自分を殺してまで、何故そこまでした?」


 家元泰宏のクローンはさっきまでと違い、俺たちを侮蔑した笑みを見せてきた。


「馬鹿か、お前らは」

「なに?」

「いや、むしろ逆だな。お前らはクローンを馬鹿にしているのか?」

「どういう意味だ?」

「お前ら一般の人間は、我々クローンがオリジナルの言いなりのロボットかなんかだと無意識に思っているのだろ? あのバカなオリジナルと同じ様に」


 家元泰宏のクローンは左手に持っていたコーヒーカップでデスクを叩いた。

 拍子にカップは割れ、それを置いていたコースター用の皿が地面に落ちて、割れた。


「我々は一人の人間だ。自我や意志と言うものは存在する。だから、人だって殺せる。たとえ自分だとしても殺したいと思えば殺せる」


 家元泰宏は血が滲み、破片が刺さった赤く染まった左手を俺たちに見せつけて来た。


「オリジナルの家元泰宏を見つけ出した方法も、あの男がどれほど愚かな人間だったかも、これから話してやる。

 報告書にきっちり書いておけ、『家元泰宏が自殺した』って無駄な報告の下にでもな。

 我々クローンがあの男から受けた屈辱を、きっちり上の奴らにも報告しろ」





















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