その10

「川藤明宏の存在を聞かされた時、正直、我々も戸惑った。

 我々だけでなく、オリジナルの家元泰宏も彼には警戒していた。いつ、彼がこの会社を乗っ取ろうとするとも限らないからな」


 それは当然の思考回路だろう。

 相手はヤクザの世界でのし上がった男、少しでも隙を見せたら、身包みごと剥がされる恐れさえある。


「そして、我々と川藤明宏が双子の兄弟だと発覚すれば、会社の信頼は地に堕ちる。最初は、そういう危険を孕んだ緊張感と隣り合わせの日々だった。正直、当時は全員片時も気を抜けず、精神が参りそうだった」


 そう言っていた家元泰宏は突然、フッと笑った。


「だが、蓋を開けてみれば、川藤明宏は我々の会社に予想以上の成果をもたらしてくれた。

 我々は、彼の能力を見損なっていたと認めざる得なかった。

 ギリギリの場面での勝負勘、交渉の場で相手を自分の世界に引き込むカリスマ性は我々以上だった。伊達に一代で日本最大の暴力団組織の幹部にまで上り詰めていないと驚かされたよ」


 家元のクローンは、まるで自分の子供でも褒めるかのような嬉しそうな笑みを浮かべて言った。


「随分、嬉しそうに語るじゃねぇか」

「この会社は家元泰宏にとっては命……いや、命以上の存在だ。たとえ、彼が死んだとしても、この会社は栄え続けなければならない」


 家元泰宏? 彼?

 なぜ、自分の名前を他人のように話したんだ?

 いや、この前の取調べの時からだ。

 あの時もコイツ、自分をクローンと自覚した素振りで話していた。ナンバリングされるのがあれほど嫌と言っていた癖に。


「妾の息子として、籍の入っていない母親の子供として、絶えず周りの白い目に晒されて来た家元泰宏にとって、会社の大きさこそが自分を蔑ろにして来た人間へ、自分の存在を見せつける為の唯一の武器だ。

 当然、私にとってもそうだ。だから、この会社をより大きくして行くのに川藤明宏という男の才能は僥倖だった」


 が、言葉とは裏腹に突然、家元の表情から笑みが消えた。


「だが、それは思わぬ副産物を我々の間に産む事となった」

「副産物?」

「家元泰宏は一つ、重大なミスを犯していた。

 そのミスによって、我々十人の家元泰宏は分裂する危機に直面した。そして、そのミスのせいで誰がオリジナルの家元泰宏なのかが判明してしまった」


 俺は顔を顰めた。

 今まで聞いて来たクローンの性質上で、オリジナルを知る術があるとは到底考えられない。不可能だ。


「不可能ではない。現に我々はオリジナルの殺害に成功している。そして、自分がクローンだと思い知った日の絶望、虚無感は今でも忘れられない。

 お前らにこの気持ちがわかるか? 『自分は所詮、オリジナルの大願を成就させる為のコピーでしかない』とそう思い知った時、この世界を生きる意味を全て失い、私は死ぬ事も考えた」

「まさか、お前が死を考えたと言うことは……」

「その通り。私を含めた八体のクローンは全員、死を考えた。当然だ。自分の持つ意思も自我も全て作り物だと思い知ったのだから。だが、それを止める存在があらわれた」

「止める存在?」

「川藤明宏だ」


 川藤明宏?


「川藤が何故、お前達クローンの自殺を止める存在になるんだ?」

「分からないか? 川藤明宏は家元泰宏の一卵性双生児、つまり最初の家元泰宏のクローンだ。

 その家元泰宏の最初のクローンである川藤明宏は、オリジナルから独立した存在として社会で認められ、さらに家元泰宏を凌駕する才能を発揮している」


 そこまで説明されて、俺はハッとした。


「クローンでありながらオリジナルを凌駕する川藤明宏に、お前たちは希望を見たと言う事か?」

「その通りだ。それ以来、我々はオリジナルの家元泰宏ではなく、川藤明宏に心酔し、信仰に近い存在になった。だが、それと同時にオリジナルの家元泰宏は我々十人の中で腫れ物になり始めた」


 オリジナルが、腫れ物?


「まぁ、今となっては墓穴を掘ったに過ぎない事だがな」

「何なんだ? そのオリジナルが犯したミスっていうのは?」

「川藤明宏の存在が社外にバレては不味い。そのことから察しないか?」


 家元のクローンが俺たちに問いかける。


「記憶の同期は脳に埋め込まれたチップによって絶えず行われる。しかし、最初に我々クローンの中に入れる記憶を選ぶのはオリジナルだった家元泰宏の仕事だ」


 そこまで言われて、俺はハッとした。


「まさか、川藤明宏の記憶を入れなかったのか?」

「そうだ。あの男は会社の人間にバレることを恐れ、最初に我々が同期する記憶の中に『川藤明宏』の存在を入れなかった」

「じゃあ、お前たちクローンは、誕生して暫くは川藤明宏の存在を知らなかったのか?」

「それだけではない。家元泰宏が川藤明宏に抱いていた、負の感情すらも知らなかった」


 家元のクローンは呆れたと言うため息をついた。


「家元泰宏は急遽、九人のクローンの中に川藤明宏を紛れ込ませる事になった。

 しかし、川藤明宏の存在は世間にも、会社の人間にも、誰にも知られる訳にはいかなかった。だから、我々の記憶にも川藤明宏の情報は入力できなかったのだ」


 つまり、会社の中で頭角を表し始めた川藤明宏をクローンらは会社に成果をもたらす好意的な印象を受けたが、オリジナルの家元康弘のみは……会社を乗っ取るかもしれない負の存在として恐怖していたという事か。


「記憶の齟齬により、川藤明宏がこの会社で頭角を表して行くにつれ、我々とオリジナルの間に大きな軋轢が生まれ始めた」


 そしてその後、家元には川藤明宏という双子の兄弟がいたと知らされる。

 しかし既にオリジナルの家元泰宏とクローンの家元泰宏は、川藤明宏へ対する印象が食い違っていたと言うことか。


「オリジナルの家元泰宏は度々、記憶の同期によって我々に川藤明宏のネガティブば感情を送りつけてくる。それが我々には不快で仕様が無かった。奴には幼少期の頃、前田泰宏時代に川藤明宏へ抱いていた劣等感が強かったのだ」


 だが、クローン達からしたら、命より大事な会社に大きく貢献してくれる重要な人物。

 

「個人的な小さな感情から、能力のあるものを拒絶する人間と一卵性双生児というクローンでありながら、オリジナルから独立した存在として社会に生き、さらにオリジナルの家元泰宏よりも高い能力を持った人間。

 そして、我々、家元泰宏の大願に大きな力を貸してくれる存在。

 我々、クローンがどちらに着くかは、火を見るより明らかではないか?」


 俺は脳天をハンマーで叩かれたような衝撃を受けた。

 自分という人間は、どんな状況でも自分自身を一番最優先に考えるモノだと思っていた。そしてそれは不変なのだと。

 だからクローンは絶えず、オリジナルと意思を共にして生きていく存在なんだと勝手に思い込んでいた。


 だが、それは違った。

 クローンという存在にもオリジナルの家元泰宏から分け与えられた自我が存在している。

 自我があれば、生きる意味、信念もある。

 そして、その信念に反する者を現れた場合、それが例え、自分自身だったとしても人間は裏切る。


 そして、自分自身すらも切り捨てる。


 それは「宿命」というべきか「本能」というべきか。

 ただ、それが人間の本質、核の部分なのだ。


「それが、オリジナルを殺した動機か?」

「邪魔になったんだ。オリジナルが川藤明宏へ抱いている嫉妬の感情、虚栄心、見苦しい情報が記憶を同期するたびに流れ込んで来た。泥で汚れた血液が体内の血管を流れていく処を想像してみろ、不快以外の何者でもないだろ?」


 クローンは表情を一つも変えず、自分を殺した事を説明して行く。


「だから殺したのか?」

「浄化したんだ。オリジナルは既に我々の中で反乱物質でしかなかった。もはや、我々に取り憑いている悪霊だ。

 より良い会社を作る事が家元泰宏の大願なのだから、その足を引っ張り行動をするものは邪魔なだけだ」

「だが、家元泰宏が会社を大きくするという大願は、川藤明宏への劣等感から来ている所もあったんじゃないのか?」

「そんなものは我々には関係ない。どんな理由であろうと、会社を蔑ろにする者は邪魔なだけだ。だから殺した、我々八人で……いや、九人でだ」


 九人?


 俺はその数字の意味を悟った瞬間、背筋に冷たい物が走った。


「九人って、最後の一人は川藤明宏ですか?」


 相澤は尋ねたが、咄嗟に俺が「違う」と声をあげてしまった。


「その通りだ、山城刑事」

「じゃあ、誰なんですか? 最後の一人は?」


 最悪の展開だ。


「殺された家元泰宏だ」

「はぁ!」


 俺の返答に相澤は声を荒げた。

 だが、それを無視して俺は再び、家元のクローンの前のデスクに手をついた。


「この事件に川藤明宏は一切関わっていないのか?」

「一切関わっていない。強いて言えば、クローンとして紛れ込む時に金歯を差し歯に変えたくらいだな」


 家元のクローンは勝ち誇った笑みを俺と相澤に向けた。


「だが、この事件で川藤明宏は逮捕はされなくても、大阪の自宅の焼死体の件が残っている。俺たちがダメでも、四課の奴らは川藤明宏を上げるために躍起になるぞ」


 俺は四課の代わりに挑戦状を突きつけるよう言った。

 しかし、家元はそんな俺の果し状をゴミ箱に投げ捨てる様にクスクスと笑い始めた。


「そんな事を我々が想定してしないとでも思っていたのか?」


 そう言って、家元のクローンは初めて、気だるそうにしていた体を真っ直ぐに起こした。


「この体勢を長時間続けるのは実は結構、辛い物がある。やっとここまで辿り着いたか」


 そう言って、家元のクローンは俺と相澤に向けて、大きく口を開けた。


「「なっ!」」


 俺と相澤は同時に声を上げた。


「最初は肉が食べ辛くて困ったが流石にもう慣れた。他の誰のクローンの所へ行っても、遺体から川藤明宏まで、全員が既に奥歯を抜いている」


 家元泰宏のクローンの奥歯が、遺体と同じように無くなっていた。


 俺は遺体の歯が抜かれていた理由をその時、やっと理解した。

 そして、家元泰宏のデスクから後退りせずにはいられなかった。


「これで、あの遺体が家元泰宏だったのか、川藤明宏だったのか、判別する術は存在しないと言うことだ」

「そんな事はない」


 俺と入れ替わり、今度は相澤が前に出た。


「今のアナタの証言で、あの遺体はオリジナルだと判明している。川藤明宏が九人の中に紛れ込んでいるなら、取り調べでもなんでもして、炙り出せばいい」

「本当に判明しているのか? あの遺体が? 家元泰宏だったと?」

「しているも何も、お前が今、証言しただろ!」

「確かに私達がオリジナルの家元泰宏を殺したと証言した。でも、考えてみろ? 元々はクローンで同じ人間なんだぞ?

 もしかしたら、我々が『家元泰宏と間違えて、川藤明宏を殺してしまった可能性』だってあるのではないか?」

「あっ!」


 相澤は気付いて、思わずを声を漏らしてしまった。


 この時点で、家元泰宏の勝ちは確定した。


「あいにく、夢中だったから記憶にないんだ。我々が遺体から抜いたのは差し歯だったか、それとも本当の歯だったのか? どっちだったんだろうな?」


 家元も勝利宣言のような高笑いを浮かべた。


「それが分かるまで川藤明宏は、お前達には渡さず、我々の会社の発展のために貢献してもらおうか」


 俺は遺体の奥歯を抜いたのは、家元泰宏が川藤を殺したのを隠す為だと思っていた。

 だが、違った。

 最初から俺たちが川藤明宏に辿り着くことは計算済みだった。

 そして、四課の追っていた大阪の焼死体事件を調べさせない為に、コイツらは遺体の奥歯を抜いたんだ。


 現場にあったコイツらの妨害工作は自分達の犯行を隠蔽する為に置かれていたんじゃない。

 むしろ、『我々は川藤明宏を殺してしまったかもしれない』とワザと俺たち警察に匂わせる為に証拠を散りばめていた。

 それによって、川藤が生きているとも死んでいるとも判断できる状況を作り、『邪魔な家元泰宏は殺し、川藤明宏はクローンとして会社に留まる』という自分たちにとって最良の措置をとった」


「大阪の事件はすでに川藤明宏が死んだ事で結論が出ているんだろ?

 なら、川藤明宏を捕まえたいなら、まずこの事件で『川藤明宏が死んでいない事』を証明しなければいけないハズではないのか?

 幸い今の時代は時効は存在しない。あの奥歯が無い遺体は家元泰宏か川藤明宏だったのか? 我々クローンの中に川藤明宏が存在するの? お前達が定年を迎えるまで、好きなだけ捜査をすれば良い。

 お前達は捜査をするのが大好きなんだろ? 昨日の会議室で秘書から随分、楽しそうに情報を聞いていたじゃないか、山城刑事?」


 家元泰宏はそう言って、腕時計に目をやった。


「さて、会合の時間だ。そろそろお引き取り願えますか、刑事さん?」


 その後、再び、家元泰宏のクローンの元を警察が同時に訪ねて話を聞いたが、残りのクローンも全く同じ証言であった。

 その中に川藤明宏がいたはずだが、まったく判別できる要素は見当たらず、俺たち警察の横を鼻歌混じりに通り過ぎていった。

 記憶の同期が日々行われ、今の家元泰宏はむしろ川藤明宏に近い人間になっているのかもしれない。


 家元泰宏を他人の様に話していたのは、その為なのか?


 川藤明宏は家元泰宏のクローンと言う存在の中に消えてしまった。

 

 もう、誰も判別することはできない。


 結局、家元泰宏か川藤明宏か、誰が死んだのかを立証する事はできず、川藤明宏は大阪の自宅で死んでいるという四課の捜査記録が引用され、『自殺』と処理される事となった。


 簡単に言えば『捜査打ち切り』である。


 これだけ捜査をして──誰かが誰かを殺した自殺──と言う矛盾した言葉が俺たち警察の出した結論であった。








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