その6
ガラスの向こうに座っている男が川藤明宏の息子と聞いて余計に拍子抜けした。貫禄も何もない、ただのチンピラにしか見えなかった。
川藤勝司の話では、川藤明宏の父は川口組系暴力団の組長で、あちらこちらに女がいて、川藤明宏の母とは籍を入れていなかった。
だが妾の息子ながら才覚を買われた川藤明宏は「跡取り候補」として父親に引き取られ、その時に母親に引き取られた双子の兄とは疎遠になり、中学を卒業するや、半強制的にそっちの道に進んだ。
頭の切れた明宏はヤクザの世界でのし上がり、やがて川口組本部の跡取り候補にまでなる。
だが、約二年前に川藤明宏はしくじる。
幹部勢の中では最年少であった川藤は、彼をよく思わない他の幹部たちとの折り合いが悪かった。
その内に一人の幹部と諍いになり、その火種から水面下での内部抗争にまで発展する。
しかし、抜け目のない川藤は組長の座を狙うため、この抗争に乗じて、兄貴幹部を殺害し、その男を裏切り者として組長に手柄を立てるつもりだった。
だが、川藤は襲撃に失敗し、兄貴幹部を仕留め損なう。
そのせいで話は組長の耳にまで届き、川藤は逆に追われる立場となってしまった。
以降、川藤は川口組から身を隠しながらの逃亡生活を強いられる事となる。
「それがオヤジと会った最後です」
「川藤明宏の身を隠す場所に心当たりは?」
相澤が尋ねる。
「分かりません」
川藤勝司は首を振った。
「ただ『ちょっとアテがある』と言ってました」
アテ?
「具体的な事は何か言ってたか?」
俺は思わず身を乗り出した。
息子の口から家元の名前が聞ければ、完璧な裏付けになる。
「いえ。ただ、『身を隠すなら俺も一緒に行きたい』と言ったんですが『俺一人しか無理だ』と断られました」
実の息子の梯子を外すとは、相当切羽詰まっていたのか?
「ですが、別れる時、俺に支度金として五千万をくれました」
五千万。
追われる身だった事を想像すると、ほぼ全財産に近い額ではないか?
なんだかんだで、川藤も自分の子供には甘かったとみえる。だからと言って、こんな頼りない息子を育てていたら、襲撃に失敗するのも頷けるが。
「そんな大金を貰ったくせに、なんでお前は刑務所いるんだ? 金はどうした? こんな早くに金を使い切ったら、流石に川口組にバレるだろ?」
俺が尋ねると、川藤勝司は急に息子の顔に変わった。
「俺は海外に飛ぼうと思っていました。
そうしたら、テレビのニュースで『親父の家が燃えた』ってやっていて、頭が真っ白になりました。あの親父が死んだのかって」
川藤勝司の体が震えている。
当時のことを思い出し、体が反応しているんだろう。
「最初から死ぬ気だったなら、五千万もくれた理由も納得が行ったんですが……オヤジが死んだってなったら、なんか全部どうでも良くなったんです。俺にとって親父はヒーローでしたから。
あの人がいないのに、俺だけで逃げ切れるはずがないと思って……」
川藤勝司の風体を見るに、おそらく川藤明宏のバックがなければ、どこの世界でもやっていけないだろう。
それを考えると五千万は少し安い金かもしれない。
川藤が死んだという報で、怖くなり警察に駆け込んできたのか。
気持ちは分かるが……大物ヤクザの息子としては、なんとも情けない。
「怖くなったのもありますが、俺はオヤジの形見が欲しくて、自首したんです。別に凶器でもないし、多分、事情を話せばそれくらいは貰えるんじゃないかって」
「形見?」
「オヤジは右の奥歯に金歯を入れていました」
「奥歯だと」
家元泰宏の遺体が脳裏によぎった。
歯が抜かれていたのも、家元から見て右の奥歯だ。
「燃えても金歯なら残ってるんじゃないかって、刑事さんに頼んでオヤジの遺体から、それを形見として貰おうと思ったんです。そうしたら……」
「金歯がなかったんだな?」
俺が聞くと、川藤勝司は驚いた顔で頷いた。
「体格もオヤジとそっくりで似ていましたけど。あれは別人です。オヤジは生きています」
俺は後ろに立っていた安田の顔を見た。
「死体のDNA鑑定をするはずでしたが、いかんせん損傷が激しくて無理でした」
安田が付け足すように言った。
先走りは良くないが、もしかしたら、奥歯が抜かれていた理由と、これは関係があるかもしれない。
だが、
「お前、その情報を警察に売るってのが、どう言う事だか分かってんのか?」
俺が川藤勝司に聞いた。
父親がせっかく苦心してカモフラージュした死体を、あっけなく偽物と警察に言ってしまうとは。
俺は「襲撃が失敗したのはコイツのせいなんじゃないか?」と思い出していた。
「そんな事言ったって、俺なんかが娑婆で逃げ回ってても仕様が無いんですよ。もう、ビクビク逃げ回る生活は懲り懲りだし、心機一転、新しくやり直すなんても考えられない。俺には親父がいないとダメなんです。だからお願いです、オヤジを探してください。この通りです、たのみます!」
川藤勝司はガラス越しに深々と頭を下げた。
ダメ息子、ここにありだな。
川藤明宏もこんな簡単に息子に自分を売られるとまでは夢に思っていなかっただろう。
五千万円はほとんど無駄金に終わったわけだ。
「残念だけどよ。俺らは川藤明宏を探してんじゃねぇんだ」
「え?」
「俺らが追ってるのは家元泰宏って男だ。知ってるか?」
「家元、泰宏?」
川藤勝司の顔はピンと来ていない様子だ。
「ケラススっていう大会社の社長さんだ」
「それがオヤジと何か関係あるんですか?」
川藤勝司のリアクションを見て、俺達の体から力が抜けて行った。わざわざ、大阪まで来て、もしかしたら収穫ゼロの可能性が出てきた。
その後、家元泰宏の写真を見せると「親父に似てる」と大声を上げて驚いていた。これは、本当に何も知らない可能性がある。
「あっ、そう言えば、この男ですよ!」
そこで川藤勝司が何かを思い出した様に声を上げた。
「組の奴が昔、言ってました」
「何をだ?」
「なんかテレビにどっかの会社の社長が映ってて、組員が『組長に似てる』って話をし出したんです。そしたら、オヤジが急に不機嫌になってテレビを変えたんです。あの時の男がコイツです!」
川藤勝司は声を上げたが、それとは裏腹にこっちの気分は下がってしまった。そんなものは手掛かりにはなるが、何の証拠にもならない。
「なんか、川藤明宏は子供時代のこととか話してないのか?」
「父は昔のことはあまり話したがりませんでしたから、俺も家族の事は祖父の事以外、何もわかりません」
「なんか写真とかは無かったのか?」
「ほとんど、見た事はありません。どこに住んでいたのかすら、話してくれませんでした」
「父……お前の祖父さんはどんな人だった?」
「俺が生まれる前に亡くなっています。父は祖父の話をすると露骨に嫌な顔をしましたので、知っている事は特に……」
籍も入れずに、無理やり、極道の世界に引っ張り込んだ父親だ。川藤がよく思っていなかったのも納得だ。
「川藤明宏は、お祖母さんの事は何か言ってなかったんですか?」
「祖母には『捨てられた』としか」
核心をつく為、相澤から質問権を奪った。
「川藤明宏は誰か兄弟がいるような事は言ってなかったか?」
「それが……」
川藤勝司は身を乗り出してきた。
「親父、酔っ払うと冗談みたいによく言ってたんです。『実は俺は凄い奴と兄弟なんだ。聞いたら、お前ら驚くぞ』って」
凄いやつと兄弟。
「それが家元泰宏だったんですか?」
「そこまでは……ただ、生年月日を調べたら、家元って人は親父よりも三歳年下でしたし、双子って言ってたのにおかしいなって。やっぱり、酔っ払ってる嘘かもしれないと」
川藤は十五歳で極道の道へ入った。その時に川藤の父親が舐められないように歳を偽った可能性がある。
もし俺が組長ならそうする。十五歳と十八歳では周りの見る目に雲泥の差が出る。
証拠能力は無いが……ただ、奥歯が抜かれた理由と関係ありそうな、証言は取れた。
「とりあえず、何か思い出したら、そこの安田にでも言ってくれ」
「あの、親父は見つかりますか?」
「ああ、間違いなく見つけて見せるよ」
「よ、よろしくお願いします!」
川藤勝司は嬉しそうな笑みで頭を下げた。
別に俺らは川藤明宏捜索隊でもなんでもないが、味方につけておいて問題はない。
『1番の敵は無能な味方だ』とはよく言ったものだ。
その後、安田から川藤明宏と家元泰宏について捜査資料を貰った。
写真には小学校の頃、川藤明宏とよく似た顔の少年が一人いるのが写っていた。
それに卒業文集、アルバム。
「小学校も中学校名簿も、前田泰宏と川藤明宏なっていました」
「前田?」
「家元の母方の旧姓です」
「同じ学校で苗字が違ったのか?」
「二人が双子だったと知ってる生徒は少なかったようです。それどころか、兄弟とすら知られてなかってみたいで。まぁ、川藤明宏の方はろくに学校にも行ってなかったようですけど。それほど、川藤明宏は父親に気に入られていたようですね」
と言っても、家元泰宏だって、今や日本を代表する会社の社長だぞ。
それほどの人間が眼中に入らないほど父親のお気に入りとなった川藤明宏という男は一体、何者なんだ?
「この写真のコピー貰えるか?」
「はい。差し上げた資料の中に入っています」
川藤勝司には少し拍子抜けさせられたが、奥歯や色々な情報が手に入っただけでも百人力だ。
もし、遺体が川藤明宏である事を隠すために奥歯を抜いたのだとしたら、辻褄は合う上に、それが立証できれば、この事件は『殺人事件』として家元泰宏を逮捕できる可能性が出て来た。
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