その3
家元が社長を務める株式会社ケラススの社長室フロアは、高層ビルが立ち並ぶオフィス街でも一際背の高いビルの最上階。
社長室フロアの最上階だけ、ホテルの展望フロアのように円形に造られており、そこに36度の角度で均等に配置された十個の社長室のドアがある。家元泰宏の接木が完了するのに合わせて改築されたそうだ。
家元泰宏が証言者として時間を割けたのはわずか十五分だけだった。
家元泰宏が一人死んでいるにも関わらず、残りの九人は今日も、何事も無かったかのように、それぞれに振り分けられた仕事を秒単位のスケジュールでこなしている。
それが薄情なのか、死んだ家元泰宏への手向けなのかは知らないが。
「失礼します」
俺と相澤は約束の時間になったのと同時に担当の家元泰宏の社長室へと入った。
十五分しか時間が割けなかったもう一つの理由は、クローンへの質問は一人づつ行っても無意味だからでもある。
奴らの記憶はすぐに脳のチップで同期されてしまう。そうなれば、誰が話を聞き、誰が話を聞いていないクローンなのかを判断できなくなる。
だから、俺たち刑事が一斉に社長室フロアに赴き、九名の家元泰宏に同時に話を聞くしか無かったのだ。
一部屋二人づつ、計十八名の刑事が同時に社長へと傾れ込んだ。
俺と相澤が入った部屋の奥の社長デスクには、足を組んでワークチェアに踏ん反り返っている黒髪のオールバック姿、写真で見た事がある家元泰宏が居た。
四十半ばだと聞いたが、二十代と言われても疑わないほどに若い。
だが、それでいて四十代とは思えない、手練手管を心得ているようなドッシリとした貫禄のある雰囲気を醸し出している。
伊達に一代でこの会社を大会社にまで押し上げていない。
「あれ? この建物、回転してませんか?」
そんな家元のまとうオーラなんか気にも止めず、相澤が窓から見える外の景色を見ながら言った。
どうも緊張感のない奴だが……目の前の家元泰宏を見ても威圧されないのは、ある意味才能かもしれない。
「社長室のフロアだけエレベーターの除いて、時速十五度の速さで回転しています」
椅子に座ったまま家元泰宏が表情を一つ変えずに答えた。
言い方から察するに、別に相澤の質問に丁寧に答えた訳ではない様子だ。「とっととこんな無駄な時間は早く済ませてくれ」とこっちに催促している様に感じた。
「へぇ、なんで回転してるんですか?」
そんな家元泰宏の無言の圧力などお構いなしに相澤が続けた質問した。
家元の表情がムッとするのを見て、俺はニヤッと笑みが溢れそうになった。
「我々がどのクローンなのかをラベリングするのを防ぐ為です。回転はしていると言いましたが、同じ方向に回り続けている訳ではありません。
逆に回ったり、止まったり、ランダムに動く事で我々十人の家元泰宏がどの社長室にいるのかを特定されるのを防いでいます」
あくまで『十人で一人の家元泰宏として動いている』と言うのを徹底しているという事か。そんな事の為に大金を注ぎ込んで改築したってのは恐れ入る。
「まぁ、今日からは九人になりますがね」
「部屋が一つ空くと、特定の恐れが出るんじゃないか?」
俺が試しにファーストコンタクトを試みた。
「関係ありません。そもそも、我々がどの部屋を使用するのかは、その日、時間ごとにランダムになっている。使用する公用車も、帰宅する家もランダムです。一人死んだ程度では、そうそう特定できませんよ」
「私生活までもランダムにしているのか?」
「帰宅する家が毎回同じでは、ラベリングなんてスグにされてしまいます」
そこまで徹底して、自我を隠しているのか。
俺は家元の話を聞いて、第二次大戦時にナチスが使用していたエニグマ暗号を思い出した。
これは、予想以上に手強い。
ここまで細部にまで徹底している奴らが、そうそう口を割るとは考えにくい。
「それにしても、随分と家元泰宏の死を他人事の様に言うな。まだ大して時間も経っていないだろ?」
時間がない、俺は単刀直入に踏み込む事にした。
「友人でもなければ、家族でもなく、あくまでも自分の分身が死んだだけですよ。一番近い存在に見えるかもしれませんが、実際は一番心が通じ合うという事
から遠い存在だとも言えますから、人格が一つ無くなったようなものです」
俺たちが部屋に入って来てから、表情どころか、ワークチェアの肘掛けにおいた右腕に頭を預けた体勢を一度も崩そうとしない。
これは予定通りに何かを遂行しようと脳裏で台本を読んでいる人間の行動だ。
「それに家元泰宏にとっては「この会社を大きくする事」が何よりも優先される事です。
クローンが一人死んだからと言って、傷心している暇はありません」
これは事前にクローン同士で口裏を合わせている。
「凶器のロボットアームにログインしたのは外部からだった、被害者の家元泰宏を殺したのは、お前達、九人の家元泰宏の中の誰かで間違いないか?」
「我々の中の十人の内の誰かがロボットアームにログインをして首を絞めたのは確かです」
「それが誰なのかは分からないのか?」
「我々は十個の自我は持っていますが、社会的には十人で一人の家元泰宏という存在です。我々の誰が誰を殺しても、それは自殺のはずですが?」
「それは分かっている。それでも、お前ら十人の中で誰が殺して、誰が殺されたのかは分からないのかと聞いてるんだ?」
「クローン殺人は自殺にはずです。なのに何故、誰が誰を殺したのかを特定しないといけないのでしょうか?」
家元はそう言って、「あと十分です」と自分の方に向いていたデスクの上の置き時計をこちらに向けて来た。
時間制限が短いのもあるが、この雲を掴むような捜査、その上、コイツらの捜査を馬鹿にしているような他人事な態度が俺をイライラさせる。
人間を一人殺したくせに、何故こうも偉そうな態度を取る事ができるんだ?
流石に舌打ちくらい出そうになる。
「もう一度聞くぞ。お前らの中で、どのクローンがどのクローンなのかを特定する方法は本当に存在しないんだな?」
俺がそう言うと、さっきまでスラスラと心の無い返答ばかりをしていた家元泰宏が、一瞬、座っていた姿勢を戻した。
「……何故、その事をそんなにも聞きたがるのでしょうか? 捜査とは無関係のはずです」
俺は、家元泰弘が空けた一瞬の間に違和感を覚えた。
「例えばだ、お前らの中だけで、自分らに番号を振っていたとか、特定のクローンだけを指す呼び方があるとかだ」
俺は気付かないふりをして、質問を続けた。
なぜ今、間が空いた?
そんなに難しい質問だとは思わなかった……ただの気のせいか?
「過去に一度もオリジナルをはじめ、我々がどのクローンがどのクローンなのかを見分けようと思ったことはありません」
何故、そんな回りくどい返答をするんだ。「ありません」と一言言えば済む質問じゃないのか?
「なぜ、それをしないんだ? 社会的には一人の人間でも、お前達一人一人にだって、自我やアイデンティティはあるはずだ」
「我々は皆、自分が家元泰宏のオリジナルだと思っている。どのクローンから見ても『自分がオリジナルで他がクローンである』という認識になります。
ですから、「誰が誰なのか」などと言うラベリングが一番不愉快です。だからここまで徹底をしているし、記憶も絶えず共有しているんです」
逆鱗に触れられて怒っているのか、それとも痛い所を突かれて、緊張しているのか?
「しかし、それは仕事に関係する記憶と家元泰宏としての社会生活に必要な記憶だけのはずだ。それ以外のプライベートの個々の記憶は強制ではないはずだ。自分が知らされていない家元泰宏のオリジナルだけが持つ記憶があると、考えたことはないのか?」
「ありません」
間髪を入れずに返答して来た。
表情や体勢に変化はないが、やはり少し感情的になっている気がする。
「何故なら、接ぎ木が行われて以降、我々が共有しなかった記憶はゼロですから。クローンにも結婚などの自由は認められていますので、異性と交際するクローンも現れましたが、その記憶も我々は共有しています」
それを聞いた途端、後ろの相澤が「え?」と驚いた顔を見せた。
それと同時に、俺はやはり違和感を覚えた。今度はスラっと答えた。こっちは準備していた返答のようだ。
と、言う事は「誰が誰かを特定する」と言うところに、感情的になったって事だ。
これは何かあるかもしれない。
「ちなみに現在、我々には四人の妻がいます。我々の十名の内、誰が付き合って誰が結婚したのかは不明です」
「結婚しているのに、帰宅する家はランダムなんですか?」
相澤が聞いた。
コイツは事件の捜査じゃなくて、ただ自分の興味を持った質問ばかりしている。
「十ヶ所の自宅があり、我々は特定の帰る家を決めず、その日、ランダムに別々の家へ帰宅します。昨日は独身の家元泰宏のマンション。今日は妻のいるマンションといった具合にです」
「それで、何か問題は起きないんですか?」
「記憶は共有されています、夫婦生活は四件とも良好ですよ。まぁ、残念ながら子供にはまだ恵まれていませんが」
そう言って、家元康弘はニコッと高みの見物でもしているような笑みを向けた。
「本当にないんだな、見分ける方法は?」
「刑事さんって言うのは、本当にしつこいんですね」
家元がまたニコッと笑った。
こう言う奴は、イラッとしてる時ほど、笑う。
「じゃあ聞くが、誰が誰なのかを特定できない状態にも関わらず、家元泰宏が家元泰宏を殺すとしたら、どんな理由だと思う?」
家元泰宏は椅子の肘掛けに乗せた腕に顔を預けながら考えた。
「考えられるのは……殺されたクローンが、十人の意思を乱すような行動をしていた時、でしょうかね」
「つまり、お前たち十人の中で、最近、いざこざがあったと言う事だな?」
「プライベートなことはお話しできません。誰だって自己嫌悪になる事はあるでしょ? それと同じです」
そう言って、家元泰宏はニコッと笑う。
何が気に入らなかったのかは分からないが、何か小競り合いがあり、クローン同士で殺し合いが起きた。それは認めると言うことらしい。
「刑事さんは何故、そこまで我々のナンバリングにこだわるんですか?」
「俺はな、気に入らないんだよ。法律で自殺になるとか関係なく。『人を殺しておいて、罰も受けず平然と日常を生きる奴』がな」
「なるほど、高いプロ意識をお持ちのようだ。ですが、柔軟な対応をお願いします。法律を犯したものを捕まえるのが警察の役目の筈でしょ?」
コイツの言っていることはもっともだ。
今、俺がやっているのは、刑事の職業病が染み付いてしまった人間の我儘なのかもしれない。
だが、関係ない。
俺はこれで今まで飯を食って来たんだ。
「あと一個聞きたいんだがよ」
「なんなりと」
家元泰宏の優しい口調が、生粋の刑事の俺には協力的ではなく、「この謎は解けまい」と喧嘩を売っているような態度に見えた。
「被害者の右の奥歯が抜かれてたんだが、何か心当たりはあるか?」
「奥歯ですか?」
予定外の質問だったのか、クローンは少し考えて答えた。
「抜かれた記憶はありませんので、殺された後に抜いたって事じゃないでしょうか?」
当たり障りのない返答をして、家元はまたフッと笑った。
「そっちの話じゃねぇよ」
「はい?」
「お前らの誰かが抜いた方の記憶だよ。防犯カメラに映ってたんだよ。被害者の家元の死後、お前らクローンの誰かが遺体のあるマンションの部屋に入って行く姿が」
俺と家元泰宏は社長用のデスクを挟んで、少しの間、睨み合った。
「殺した後に、我々の誰かが抜きました」
コイツ、隠そうとしていたな。
「何故、抜いた?」
家元泰宏は俺の顔を見ながら、無言になった。
「事件とは関係ありませんので話したくありません」
「死後、被害者の歯を抜いてマンションを去った。それは間違いないんだな?」
「ええ、間違いありませんが」
「その後、警察に通報した」
「その通りです」
家元泰宏はまたニコッと笑う。
「なんで、現場から逃げたんだ?」
逃がさない。
コイツに余裕を与える事なく、俺は畳み掛ける。
「どう言う意味でしょうか?」
「クローン殺人なら現場から逃げる必要はないよな? 別に逃げずにその場にいて、立ち会っても良かったんじゃないか? そっちの方が、警察に不信感を抱かれずに済んだだろ?」
そう言うと家元泰宏は、やっと俺のことを睨んで来た。
俺のことをやっと敵だと認めた顔だ。
「ただの気まぐれです。別にいいでしょ、今日も朝から仕事でしたから、早めに帰って休んだだけです」
「歯を抜いた理由。抜いた後、現場から逃げた理由、それは言えないって事だな?」
「逃げたわけではありません。それはアナタのこじ付けだ。もしかして、アナタは私達を捕まえるつもりなんですか?」
そこで家元のデスクの上の置き時計のアラームが鳴り出した。
「仕事に戻りますので、お引き取り下さい」
間違いなくコイツら、何かある。
俺たちに知られたくない何か秘密があるのだ。
きっと、それを知られると『自殺』が『ただの自殺』ではなくなる秘密だ。
だとしたら、考えられる可能性は一つだけだ。
物凄く馬鹿げた発想だが、家元泰宏はもしかしたら……
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