Taboo (幕間)

 私は死ぬんだ、xxxxとは思った。五感が無いとはどういうことか、初めて知った。耳が聞こえないとは、こんなに無音だったのか。目が見えないとは、暗闇でも真っ白ではなく。触感がないとは、空気ですら――もはや何故自分がいまだに意識を保てているのか不思議なくらいである。呼吸をしている感覚もないのだから。ただおかしなことに、xxxxはいま間近に迫っている死というものが、あまり怖くなかった。何年も前からずっとずっと、死ぬことが怖かったのに。自分が消えてしまい、完全な無になるということが。

「遅かれ早かれ、こうなる運命だったのよ」

 その声はどのようにして語りかけてきたのか。既に肉体がないに等しいxxxxには、脳内に直接語りかける、という言葉も不適切である。言うなればxxxxをxxxxたらしめる魂そのものに、声は語りかけていた。

「どれだけ長くても、あなたたちの時間の概念でせいぜい百年程度しか生きられない。そんなのもう全然、私が欠片を拾い集めていた時間に比べれば、無いと同じことなのよ」

 途方もなく巨大な存在が魂に触れていることが、xxxxには分かった。声の主は知っている。とつぜん私の前に現れた、もうひとりの〈Taboo--!〉――《自主規制》。

「わたしたちは、ただの塵みたいなものだったのよ。九十九億九千九百九十九万九千九百九十九分の一でいるときは。ずっとずっと、流されるままに何処かを彷徨っていて、誰も気づいてくれないの。小さすぎて、わからないから。声を出すこともできず、自分の意思で動くこともできず。だからわたしの傍にわたしが来てくれたとき、とても幸せだった。絶対離れるもんかって、動かない体を必死に必死に。そんなことがどれくらい続いたのか、もう分からないよ。ひとつひとつ見つけるたびに体を寄せ合って、それが惨めで何度泣いたことか。どうして神様はこんな試練を与えたのって、頭の中で何度も何度も繰り返して。だけどようやく九十九億九千九百九十九万九千九百九十九個集めて、あと一つだったんだよ、わたしの欠片。そのときわたしは誰なのか思い出したの。わたしはどこで生まれて、どうやって生きていたのかって。あと小さな小さな一欠片で、それを取り戻せるの。わたしがどんな気持ちだったか、分かる? 何よりも早くあなたの元に舞い降りて、拒まれたときの心境を。どうして断るの? わたしのくせに、どうしてわたしを否定するの」

 必死の声で自分を非難する《自主規制》を、当然だ、xxxxとは思った。私は私ではないのだということが、今になって分かる。私は〈Taboo--!〉の一欠片に、偶然宿った命。横から体を奪ったのか、新しく芽生えたのか。多分後者なのだと思う。私はいまの《自主規制》みたいに、自分が誰なのかを思い出すことができなかった。〈Taboo--!〉に融合するまでの、仮の命。だから死ぬのが怖くなくなったのだろう。もともと存在しなかったのだから、元に戻るだけで。

「どうやってあなたを殺してやろうかと思っていたわ。わたしの欠片を殺さずに、あなただけを殺す方法。だからわたしは転校生として、あなたのクラスに入り込んだのよ。その方法を見つけるために。……あなたのことは、本当に全然理解できなかったわ。ズボラで、だらしなくて、真面目に生きてなくて、いつも言い訳して。それなのに死にたくないって、それだけは必死に思っている。わけわかんないよ。死にたくないなら真面目に生きればいいじゃないって。最初、わたしものすごくイライラしていたのよ」

 こんなときまで説教しなくていいじゃないか、xxxxとは思った。もう何もしなくても、最後の一欠片は《自主規制》のもとに戻るんだからさ。最後ぐらい、静かにゆっくりさせてくれればいいじゃん。

「もう。相変わらずね、xxxxは」

 《自主規制》の声は呆れているようだった。はあ、と大きく溜息をついている様子が思い浮かぶ。その姿を見ることは、もうできないけれど。

「最後だから言うけれど、あなたに会えて楽しかったわ」

 懺悔するように、《自主規制》が言った。

「さっきも言ったとおり本当にイライラさせられたけど、いま思い返せばそんなに嫌な思い出じゃないわ。あなたのズボラさ加減はいつもバリエーション豊富で、次は何をするんだろうって少し楽しみだったりもした。全然褒めてないよ? ただあなたは少しだけ、わたしにとってユニークなひとだったの」

 今度の《自主規制》は空を見上げているようで、隣に座っているのではないかxxxxとは錯覚する。そこは空想の世界。誰もいない夕陽が差す河原で、緑の絨毯がどこまでも広がっていて、《自主規制》とふたりでそこに座って空を見上げている。視線は一度も交わすことなく、卒業式のあとに自分の秘密を打ち明けるみたいに。わたしと《自主規制》はそこまで仲良くなれたのかな。だったら、やっぱりいま消えてしまってもいいという気がする。

「残念だけど、あなたを生かすことはできないわ」

別れを告げるように、《自主規制》が草原から立った。

「わたしがあなたを取り込んで、わたしのなかであなたの人格が生きて――となったら面倒だけど、そんなことにはならないと思う。わたしは九十九億九千九百九十九万九千九百九十九で、あなたはただの一だから。マイノリティすぎて、飲み込まれて消えちゃうよ。何も残らない。けどね」

 そこで《自主規制》は一度、言葉を切った。そして大事な、如何にも大事なことを告げるのだというように後ろで手を組んでxxxxを見下ろして。微笑んでいるのか無表情なのか、ひどく曖昧な表情で続きを告げるのだった。

「わたしに取り込まれるとき、あなたはとても大切なことを思い出すと思う。これは経験なの。信じてほしい」

 とても大切なこと――? xxxxとは思った。それが何なのか、すぐには思い浮かばない。思い出すとは今は忘れているということになるから、当然だけど。

 そんなxxxxの間の抜けた思考を悟ってか、《自主規制》は微笑みを浮かべた。はっきりとした好意を浮かべる笑み。

「さよなら、xxxx」

 《自主規制》が傍から遠ざかっていって、魂に触れる何かの感触が大きくなる。それもきっと《自主規制》で、自分の中にどんどん広がっていって、やがてそれが自分なのか《自主規制》なのか判別がつかなくなった。意識がぼんやりしてきて、ようやく私は消えるんだって。やっぱり怖くなくて、はて、《自主規制》が言ってた大切なことはいつ思い出すのかな、とこの後に及んで呑気に考えたりして。

 そのときが来て、なんだ、《自主規制》は大袈裟だなあと思った。ただの走馬灯じゃないか。この世に生を受けたときからの記憶が映画のフィルムみたいに流れていく。自分が全く覚えていない物心のつく前のような記憶もあって、人間って本当にさまざまなことを記憶しているんだなと我ながら感心する。たしかにこんなことを知ることができるなら、まあまあ悪いものじゃなかった。そしてフィルムの場面は少しずつ移り変わりを見せ、全身麻酔を受けて手術をしたときのことや、はじめて中二病を発症したときのこと。自分で見返してあらためてひどいな。これも《自主規制》に知られるとは、少し恥ずかしい。さらに時は進んで、十三歳の夏になった。夜中にこっそりひとりでベランダに出て、空を見上げたときのこと。いくつか流れ星が空から落ちてきて、中二心にそれなりに感動したことを覚えている。突然だけど、あれは〈Taboo--!〉の光だったのではないかという気がした。〈Taboo--!〉が《自主規制》であることを思い出す少し前の、私の知らない場所で〈Taboo--!〉が必死になって欠片を集めていたときに、発された光。私はここにいるよって、欠片たちが居場所を伝えていた。それが何十年に一回起きるなんとか流星群とやらと重なって、あのとき見えたのだ。途方もなく夢物語の話だけど、一度そう思うと、そうとしか思えなくなった。そしてあのとき、xxxxは地球から空を眺めていたのだ。そのときxxxxはxxxxとして、確かにそこにいた。

 なんだ、私生きていたんじゃん。

 それはあまりにも当たり前のことだったけど、最後に教えてくれた。私は生きていた。仮の命だろうとなんだろうと、私はたしかに生きていたのだ。

 その思いを最後に、xxxxは完全に《自主規制》に取り込まれた。《自主規制》のなかにxxxxが残っていたかは、果たして、誰にもわからない。


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2013年12月頃?作

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