第33話 カーネリアとマルメロ 1

「はい、あーん」


「……私は、なにかカーネリア姫のご不興を買うようなことをいたしましたでしょうか?」


 マルメロを切って、皿に盛ったうちの一つをイスラへと差し出したら、イスラには困惑されてしまった。

 何か怒らせるようなことをしてしまったか、と。


「イスラにはいつもお世話になっています。感謝もしています。不興だなんて、とんでもない」


 布教なら全方位で行いたいが。

 あまりやりすぎると父が妬くので、カーネリアとしては自重する。

 白雪 姫子としては、薄い本でも作りたいぐらいだが。


「では、なぜマルメロを?」


「あ、やっぱりイスラもマルメロは生食に向かない、って知っているんですね」


「香りが良いですからね。誰でも一度は失敗すると思います」


 良い香りがするから、これはとても美味しいものに違いない、と誰でも一度はやってしまうようだ。

 生のマルメロに齧りつく、という失敗を。


「わたしも昔、バニラエッセンスで似たような失敗をしました」


「ばにらえっ……?」


 前世で、本当に幼い頃の話だが。

 母がお菓子作りをしている時に、バニラエッセンスを使っていたのだ。

 その小瓶から香るバニラの香りが、あまりにも甘くて素敵で。

 この小瓶の中にはきっとこの香りのような甘くていいものが入っているに違いない、と幼い私はバニラエッセンスを舐めた。

 頭を拳骨で殴られたかと錯覚するような、衝撃的な味がした。

 いっそ、あれは劇物として指定するべきだろう。


「……似た失敗をした、という経験があらせられるのに、私にマルメロを勧めるのですね」


 やはりなにかしてしまいましたか、と困惑して眉を顰めるイスラに、違う違う、と手を振りながら否定する。

 ひどい目に合わせたくてマルメロを勧めているわけではないのだ。


「とにかく、一つ食べてください」


「……、……これは?」


 改めて勧められたマルメロを齧り、イスラは先ほどとは違った表情で眉間に皺を寄せる。

 困惑は困惑だが、自分の行動を振り返るための困惑でははく、口にしたものの味を吟味するための困惑だ。


「……私の知っているマルメロとは、違うもののようです」


「たぶん、そのマルメロと同じものだと思いますけどね」


 幼い頃のイスラが生で齧ったというマルメロと、奥宮の庭に生えているマルメロは、品種としては同じものだろう。

 確認してみるか、と切っていないマルメロを見せると、イスラは不思議そうな顔をした。


「……マルメロですね」


「マルメロでしょう?」


「しかし、味が……」


 味が普通のマルメロとは違う。

 本来のマルメロは加工しないと食べにくいのだが、このマルメロであれば生でも食べられる。

 それほどに、果肉と味に変化が現れている――らしい。

 カーネリアも白雪 姫子も、生でマルメロを齧ったのは今回が初めてなので、『普通』の状態を知らないが。


「このマルメロは、どこで手に入れられたのですか?」


「普通に、奥宮の庭で収穫しました」


 ただ、妹たちや侍女も不思議がっていたので、これがおかしいらしい、ということは知識としてすでに知っている。

 普通は生食に向かない、とは侍女にも、夕食時に料理人からも言われた。


「奥宮の庭で……あの庭では、毎年同じようにマルメロを収穫していたはずですが……、……」


 ふと、イスラの声が途切れる。

 彼は何かに気が付いたのだろう。

 私も、これを相談したくて、イスラに生のマルメロを勧めるという暴挙に出たのだ。


「……いずこかの神に、祈りましたか?」


 例えば、秋の神や、豊穣の神に。

 そう続けたイスラに、首を振って答える。

 私はどの神にも祈っていない。

 というよりも、私が軽々しく神に祈れないように、とイスラは私に神話や神々の名前について教えないようにしている。

 『萌え』というような概念的な、漠然とした祈りでも神に届いてしまう私には、焼け石に水という気がしないでもないが。


「昨年と今年の違いといえば、カーネリア様かカーネリア姫か、ということになりますが……」


「カーネリアの時はどう……いや、いい。カーネリアが自分で果実の収穫なんてするわけがなかった」


 少しカーネリアの記憶を探るが、砂糖をまぶされ、ドライフルーツに加工された状態で目の前へと出されたマルメロを食べる記憶ならすぐに思いだせた。

 砂糖をつけたマルメロの味を思いだすと、それと意識はしていなかったが、マルメロのジャムも、カーネリアは何度も食べている。


「……神々に愛されると、生食が難しい果実も、そのまま食べられるものになるのですね」


「お父さまもそうなのでしょうか?」


「そういった話は聞きませんが……試さないでいただけると、助かります」


「え? なんで……あ、はい。わかりました」


 銀色の髪を持つ王族は、神に声を届けることができる。

 そんな理由で、父アゲートはこの国の王だ。

 父が神に愛されていない、ということはないだろう。


 しかし、コイズはマルメロを生で齧り、吐き出していた。

 コイズだから、唾を地面に吐き捨てるだけで終わったが、同じことが父に起きれば、父が何をするかは判らない。

 最悪の場合、国内からすべてのマルメロとマルメロの木が消える。


「銀髪の王族でも、違いがあるんですね」


「……おそらくは、カーネリア姫が特別なのかと」


「それは薄々……感じています」


 自覚があるのなら、自重してくれ、と。

 もちろん、イスラの言葉は丁寧なものであったが、要約するとこう釘を刺された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る