第7話 NO 推し、NO LIFEというやつだ

 可愛いな、と中庭の白い飛竜を眺めていると、侍女がイスラの来訪を告げた。

 どうやら、今回は正規の手順をとっての来訪のようだ。

 思い返してみれば、朝は露台バルコニーから、昨夜は夜這いかと思うような時間帯にひっそりと、とどれも人を訪ねるに相応しい行いではなかった。


「昨日お会いした際に、カーネリア姫が学びを求めていらっしゃったので」


 昨『夜』の話が、昨『日』の話になっている。

 夜に限定してしまうと聞こえが悪いので、気を遣ってくれたのだろう。


 部屋を訪れたイスラは、いくつかの道具と丸められた紙を持っていた。

 差し出されたので素直に受け取ったが、これはなんのための道具だろうか。

 いや、学びを求めた私のために用意された、というあたりで勉強道具であることは判る。

 判るのだが。


「……板と棒。こっちは……文字の一覧? かな?」


「はい。コーク字23種の一覧です」


 とりあえず渡された板と棒をテーブルに置き、丸められた紙を開く。

 紙を触った感触に違和感はなかったので、植物紙だ。

 姫であっても服装が民族衣装の域を出ないほぼ布といった情況なのだが、植物紙はすでに存在しているらしい。

 本当に、文化レベルが謎だ。


 ……や? 前世でも、植物を使った紙って、紀元前にはもうあったんだっけ……?


 紙の歴史など詳しく調べたことはなかったが、何かでチラリとは読んだ気がする。

 もちろん、現代日本で使われていたものほど洗練された出来ではなかったであろうが。

 眼鏡や蒸気機関といった、意外な物が結構古くから存在していた、とも聞いたことがある。

 この植物紙も、その一つだろう。


 開いた紙には、アルファベッドのような記号――コーク字と呼ぶらしい――が50近く書かれていた。


「23種、というわりには多いけど……もしかして、大文字と小文字があるの?」


「……はい」


 アルファベッドのようなものか、と一人で勝手に納得していると、イスラが不思議そうな顔をする。

 説明もなしに私が大文字と小文字を理解したことが不思議なのかもしれない。

 なにしろカーネリアは、自分の名前すら読めないし、書けなかった。

 そしてそのことに、なんの疑問も危機感も持っていなかったぐらいだ。


「文字を覚えるだけなら、できそうだけど……」


「僭越ながら、教師役は私が務めさせていただきます」


「……え? いいの?」


 推しが教師役を買って出てくれるとは、白雪 姫子は前世でどんな徳を積んでいるのだろうか。

 推しにお布施をしたくはあったが、なにしろ元となったゲームには年齢制限がついていた。

 グッズ展開は多少あったが女性キャラメインで、イスラのグッズなど一つもなかったのだ。

 そういう意味では、お布施は常識的な範囲でしかしていない。

 転生先で推しに教師役をしていただけるような徳は、積んでいないはずだ。


 そうは解っているのだが、「僭越ながら」と言いつつも教師役をしてくれると言う推しが尊すぎて、うっかり萌えの神へと祈りそうになり、祈る前に私の髪がふわりと緑に輝いた。


「……カーネリア姫」


「ち、違います。祈っていませんっ」


 ふわっとイスラの尊さを萌え神へ報告しそうにはなったが。

 私が祈るより先に髪が輝いているので、祈りより先に神の眼差しとやらがきている。

 祈っていないのだから、私は無実だ。


「お気をつけください。……それと、私が教師役を務めさせていただく件ですが。アゲート王に知られることなく学ぶのなら、今のところ私がお教えするほかはありません」


「アイリスは?」


 乳母のアイリスでは教師役にならないのだろうか。

 そう思って視線を向けると、露台と部屋の境界近くに置いた椅子に座っていた乳母は、困ったように微笑んだ。


「乳母殿も文字は読めないはずです」


「え? そうなの?」


 なんとなく、乳母とは乳幼児の世話の他に、少し育てば簡単な学を授けてくれる人、というイメージがあったのだが。

 しかし、カーネリアの記憶を思い返してみても、乳母が絵本や絵物語を読み聞かせてくれた、というものはなかった。


 どうやら女子に学は必要ない、というのは父アゲートだけの教育方針ではなく、世間一般的な感覚のようだ。

 姫の乳母を務める人間ですら、文字を読めないとは思わなかった。


「それと、こちらの箱ですが……」


「ああ、確かに。箱ですね」


 なんとなく薄いので板だと思っていたが。

 薄い板の四方に囲いをつけた、箱と呼べなくもないモノだった。


「このように使います」


 イスラは腰から下げていた袋を解き、中身を箱の中へと移す。

 サラサラと袋から出てきたものは、砂だ。

 乾いた細かい砂が、薄い箱の中に広がっていく。

 ある程度箱が砂で満ちると、イスラはそれを棒でならした。


「……あ、なんとなく使い方が判ってきました」


 こう使うのだろう、とイスラの持っていた棒を受け取り、上下を確認する。

 細い木の棒は、下部がペン先のように整えられていた。

 均された砂の面へ、木の棒をペン代わりにして『あ』と文字を書く。

 この箱は、帳面ノート塗板こくばん代わりだ。


「これ、いいね。何度でも書けて、すぐに消せる」


「はい。そのうえ、中に入れてあるのはただの砂ですから……」


 カーネリアが『勉強をしている』と、知られるとマズイ人物がいる。

 その人物が不意に部屋へ来た時などに、捨てることが惜しくない材料だけで作られた、所謂いわゆる書字板だ。

 本来の書字版は砂ではなく蝋を入れて固めたものだったはずだが、用途としては似たようなものである。


「……ありがとう、イスラ」


 いろいろと考えてくれたのだな、とイスラの優しさが嬉しくて、嬉しさが心へ染みこむより早くまた髪が緑に輝いた。


「……カーネリア姫」


「……、……気をつけます」


 どうもイスラは、神に祈りが届くことについて本気で心配してくれているらしい。

 これについて注意をしてくる時のイスラは、感情の抜け落ちた真顔だ。

 元のカーネリアに対してさえ見せたことのない『無』である。

 もしかしたら、何度注意しても学ばない、残念な子だと呆れられているのかもしれない。


 ……うう、推しが尊すぎて辛い。


 チラリと萌えるだけで神――萌ゆる緑の神(仮)――へ祈りが届いてしまうらしく、祈るなというのは意外に苦行だ。

 本当にまったく祈っては駄目だというのなら、私はイスラ断ちをする必要があるだろう。


 ……それは無理。


 推しさえいれば、どんな苦界でも、地獄でも、理不尽なクソゲー世界でも生きていけるが。

 推しがいなければ生きていけない。


 NO 推し、NO LIFEというやつだ。







■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □


 とりあえず、コ●ドームは紀元前にはもうあった、って聞いたことがある。

 用途は避妊ではなく、性病対策。

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