第6話 いい湯だな、と
……いい湯だな、と。
一人でこっそり姿勢を意識して正したり、深呼吸をしたりと、筋トレらしくない筋トレに励んでいると、食事から戻って来た侍女に風呂を勧められた。
これは汗臭いデブ、という言葉に出されない指摘かと一瞬だけ考えてしまったが、違う。
もとからカーネリアの生活の一部として、昼風呂があっただけだ。
……贅沢だなぁ。
元日本人として、昼間から風呂に入るだなんて、なんだかとても贅沢をしている気分になる。
風呂へ入るというだけでも贅沢気分なのだが、風呂の広さもまた贅沢だ。
カーネリアしか入らない――というよりも、カーネリア専用に父が作らせた風呂は、カーネリアの巨体であっても悠々と足を伸ばして入れる広さがあった。
石の種類など私には判らないが、石造りの風呂である。
ヒノキの風呂でも、猫足のバスタブでもない。
白雪 姫子の感覚でいうのなら、旅館の大浴場と言ってしまっても違和感のない広い風呂だった。
……そういえば、半身浴がどうとか、聞いたことがあったような……?
血行をよくするのだったか、風呂で汗をかくことが目的であったかは忘れたが。
ダイエットの一種として、半身だけ湯に浸かるというものがあった。
……や、違った? 水の中なら負荷が少なく、運動ができる、だっけ?
本当に、前世は情報に溢れすぎていたと思う。
いざ、効果のあるダイエット方法を思いだそうとすると、あらゆる聞きかじった方法が思いだされてきてしまい、逆に情報の取捨選択に困ってしまう。
何が正しく、本当に効果があるのか。
絶対条件として、健康を害するような方法は遠慮したい。
カーネリアの取りすぎた量を減らす食事制限は別として、ある食材が効くらしい、あの食材を取ってはいけない、というような偏った食事制限は体に悪い。
つまりは、運動だ。
安心して取り込める絶対正義のダイエット方法とは、すなわち運動である。
筋トレも
筋肉は裏切らない。
いや、筋肉は筋肉で、怠けるとすぐ贅肉にジョブチェンジしてしまうらしいのだが。
……バタ足ぐらいなら、今の私でもできそう。
水面から足を出さないよう、こっそり湯の中でバタ足をする。
効果の有無はまだ判らないが、たしかに水の抵抗らしきものは感じた。
頭の中で数をかぞえていると、乳母に呼ばれて全身を洗われる。
白雪 姫子としては他者に風呂の世話をされることに羞恥と違和感があったが、カーネリアとしては普通のことだ。
多少の違和感と羞恥心にも、私の方が慣れるしかない。
今は私がカーネリアなのだから。
……っていうか、カーネリアの凝り固まった体だと、自分で自分の背中洗うとか、無理。
腕が太いのも、背中が分厚いこともあるが。
今の私では、自分の体を満足に洗うこともできそうにない。
これは恥ずかしかろうがなんだろうが、他者の手を借りるしかなかった。
……ああ、でも、これは気持ちいい。
風呂上りに香油を使ったマッサージを受け、あまりの心地よさにうっとりと目を閉じる。
分厚い脂肪を揉み解すことになる侍女たちには悪いが、本当に気持ちいい。
今だけは、カーネリアの姫という立場に感謝をしたくなった。
……そういえば、肌をマッサージすることで美肌だったか、痩身効果があるとかなんとかも、聞いたことがあったような……?
リンパの流れがどうだとか書かれた一節を思いだしながら、考える。
手の届かない場所は仕方がないが、自分でマッサージできる範囲は自分でマッサージすれば、それだけで体を動かすことに繋がるのではないだろうか。
……駄目だ。そもそも、今は前屈すらできないんだった。
少しでも負荷のない、運動らしくない運動ができるかと名案が浮かんだ気がしたのだが、気のせいだった。
そもそもが、このカーネリアの体は太すぎて、屈んで自分でサンダルを履くことすらできないのだ。
自分でできる範囲のマッサージをするとしても、両手と顔ぐらいしか手が届かないだろう。
……本当にできることが少ないっ!
運動をするためにも痩せる必要がある。
そのことを今、ひしひしと感じすぎていた。
風呂上りに冷たいミルクをいただき、まったりと
湯上りには
ジュースよりはミルクの方がカロリーが少なかった……気がする。
逆かもしれないが、糖質はミルクの方が少ないだろう。
たぶん。
各種栄養素はミルクの方が多かった気がするが。
どちらにせよ、『気がする』程度の話だ。
栄養学をまじめに学んだ実績があるわけではないし、情報は日々更新されていく。
たとえ白雪 姫子が栄養学を学んでいたとしても、時代が進めば学んだ知識が『間違い』とされることもあるだろう。
前世、平成後期の教育では、
理屈としては『生まれた』のは皇子であり、『成長して』から聖徳太子と呼ばれるようになった、というものだ。
白雪 姫子はこの答えを『聖徳太子』と教えられた世代なので、令和では間違いですよ、と言われても正直納得がいかない。
……なにもしなくても、お腹は減るんだね。
朝食の量を減らした影響か、風呂へ入るぐらいしかしていないのだが、お腹が空いた。
今日からの食事量に胃が慣れるまでは、空腹を感じるのだろう。
……我慢、がまん。
食事制限は、この太りすぎた体でもできる、今のところ唯一の減量方法だ。
これを乗り越えてある程度脂肪を落とさなければ、筋トレも運動もできない。
……あれ?
スッと頭上を黒い陰が過ぎり、つられて顔を上げる。
陰を目で追うと、白い飛竜が旋回しながら中庭へと降りて来た。
……またリンクォ?
中庭へ降りた白い飛竜が顔を上げてこちらを見る。
私と目が合ったと解ったのか、長い尻尾が嬉しそうに波打って地面を叩いた。
……うん、あの勢いで打たれたら、普通の人間は死ぬ。
よく即死しなかったな、とカーネリアの意外に頑丈な体に驚く。
もしかしたら、分厚い脂肪がクッションになり、衝撃を多少受け止めるなり、逃がすなりとしてくれたのだろうか。
……あ、イスラだ。
飛竜の背から降りたイスラが、こちらに気が付いて頭を下げる。
この世界にも、会釈というものはあるようだ。
私に挨拶をした後のイスラは手綱を引いて飛竜の顔を自分に向けさせると、手刀でその鼻先を叩いた。
その瞬間、飛竜の巨体がビクリと震え、地面を叩いていた尻尾がペタリと落ちる。
どうやら、飛竜の興奮を抑えたようだ。
……動作だけ見てると叩いてばかりなんだけど、体の大きさを考えると、たぶん『おもいきり叩かないと、飛竜には合図だと気付かれない』んだろうな、あれ。
見ているだけだと可哀想な気がしてくるのだが。
体の大きさを考えれば、たぶんアレで正しいのだ。
……かわいい。
イスラに何事か命じられたらしい白い飛竜は、ペタンとお尻を落として座った。
その様が、飼い主に『待て』と命じられた仔犬のようで愛らしい。
■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □
白い飛竜「いや、普通にめっちゃ痛い」
モブ飛竜「合図だけなら、普通にトントンだけで判る」
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