第4話 オーレン家の令嬢(前半)

 前世でも職業柄、身の危険を感じることは多かった。

 他国のエージェントに暗殺されそうになったり、テロリストに建物ごと爆破されそうになったり、挙げればキリがない。そのたびに生き残れたのは、サヴァイブする技術があったからではなく、単に運が良かっただけだと思っている。

 あの頃のスキルが、魔物が蔓延るこの山奥で生き残るために役に立っているかと言われると甚だ疑問だけれど、一方で僕は人間を相手にしたときのトラブルに関してはそこそこ場数を踏んでいると自負している。

 そう、いま坂を登ってきている三人組のことである。

 男一人、女二人。山に登ってくる人間の組み合わせとしては、不思議な取り合わせだ。

 男の方はフォーマルな格好をしていて、坂道にもかかわらず背筋をぴしっと伸ばして登っている。身体にフィットしたタキシードを着ているあたり、執事なのだろうか。

 その隣の女の子は、山奥に似合わないスカートを着ている。不釣り合いではあるけれど、スカートの裾は短く切り揃えられていて、山奥に登るために調整されている。

 こんな森深い場所でも、いかにも高貴な佇まいを感じさせる彼女こそ、まさしく貴族の令嬢なのだろう。なぜそんな品格の人間が、こんな危険な山奥に降り立っているのかは、いまのところ全く考えが思い浮かばないけど。

 一方で、右端に立っている少女――年齢は隣の令嬢と同じくらいに見える――は二人とは対照的に、歩き方や服装にそういう貴さを感じさせない、一言で言えばラフな姿格好をしていた。動きやすさを重視した長ズボンに長袖の服を着て、腰の右側に、彼女の背丈はありそうな刀を佩いている。

 彼女が三人組の主力で、おそらく護衛なのだと踏んだ。あんな刀をこの山奥でも振るうなんて護衛としてまともな判断能力を持っているのかはよくわからないけれど……。絶対、木に引っかかると思う。それとも、魔力で筋力を増強する魔法が使えたりするんだろうか。

「どうします? 見た目からはそれなりに身分の高い人間だと思われますが」

 三人組を値踏みしていたら、リーナが次のアクションについて相談してきた。

「いつもなら逃げるところなんだけど」

 もしこれが山賊とかだったら、現況が大変わかりやすいので逃走という選択肢を即座に選び取ることができる。

 だけれど、彼女たちの身なりは明らかに街道を待ち伏せして金品を強奪しているような人間には見えない。もちろん身なりを整えるのは詐欺師の基本テクなので、見た目で中身の人間を判断することは危ういけれども、そうはいっても魔力が充満していてゴーレムのような魔物が出現する場所に、お屋敷で過ごすような格好をして出向く人間がいるとは思えない。

 要するに、彼女たちがあまりに得体がしれないのだ。

「ねえねえ、この世界の貴族ってあんな格好して登山するの?」

「寡聞にして存じ上げませんが」

 リーナですら知らないということは、彼女たちの価値観のほうが狂っていると見て間違いなさそうだ。

 このような、正体不明の人間と相対するときが一番困る。何もわからないから次にどんな手を打てばいいのか分からない。見るからに敵だとわかるのなら、先手必勝で行ってもいいのだけど。人間となるとそうもいかない。

「とりあえず、僕たちの格好はそれなりにまともなものにしよう」

 リーナはこの世界に降り立ったときの、聖職者の姿に戻ってもらった。僕の方もひとまずリーナに魔法をかけてもらって、同じ聖職者の格好にしてもらった。山の中に聖職者がいるのも大概不自然だと思うが、じゃあどんな姿ならこんな危険な山奥にいていい姿になるのかは、この世界の文化にまだ精通していない僕の頭では思いつかなかった。

 これなら逃げて追いつかれても苦し紛れの言い訳の一つくらい思いつくはず。たぶん。

 そんなこんなしていると、三人組はもうすぐ迫ってきた。右側の女の子のスペックによっては、僕たちに一瞬で追いつけるくらいの距離にはなっている。

 時間もないので次の行動を決めよう。ここで考えるべきは、行動が彼ら彼女たちにどんな影響を与えるか、だ。彼女たちがその見た目通り貴族であるとすれば、逃げるのは後々面倒なことになる。目をつけられたりするのは御免だ。

 となると、彼女たちと比べると自分たちもそうとう怪しいと思うが、ここは身の潔白を証明しつつ、なにかあったときのために撤退の準備を整えておくことがよい。

 ということで、僕は彼女たちと対話をすることを伝えつつ、リーナに逃走するためのなにかいい方法がないか聞いてみる。

「私の魔法能力とここにある魔力を活用すれば空を飛ぶくらいのことはできますが、彼女たちを巻き込むことを考えると目眩ましの間にできるだけ距離を取るのが、最善かと」

「そうねえ」

 無力な僕でもなにかできることをしようとポケットに手を突っ込んだところ、冷たい金属の感触があった。

 そういえば銃を持っていたんだった。魔物に襲われているときは逃げるのに必死で頭の中に存在すらしていなかった。

 取り出してマガジンを引き出す。弾は残り数発ある。魔法が使える世界でただの銃が何の役に立つのか分からないけど、今回はいつでも引き出せるようにポケットから取り出しておく。

 すでに三人組は目と鼻の先にいた。

 刀を佩いた女の子――護衛が二人に一歩前に出る。

「おい、そこ。喋るな。そして動くな」

「はい」

 僕は大人しく手を上げる。

「……、それどういう意味だ? 動くなって言っているだろう」

 あ、そうか。

 この世界には魔法があるんだから、両手を上げて武器を持っていないことを示しても意味がないんだった。

「すみません」

 思わず反射的に謝ってしまった。

 護衛は僕とリーナの周りをぐるぐると歩き「やはり手練のものではなさそうだな」と僕たちの危険度を評価した。

「戦いに慣れている人間には見えないから勝手な真似はしないと思っているが、動いたら……」

 彼女は腰に佩いた刀を抜いた。

「これで斬る」

「え、あ、はい」

 示威行動をされても個人的には予想通り。横のリーナは相変わらず無表情で無言だった。そんな僕らを見て護衛の女の子は不審そうな顔をしたが、刀を再び鞘にしまった。彼女にとっても儀式のようなもので、彼女の背中側にいる人達に向かって、するべきことはした、と言いたいのだと思う。

「単刀直入に聞こう。お前たちはここで何をしている?」

 当然の疑問で、一番答えにくい質問だ。

 さて、どう説明しようかと考えていると、リーナが僕より先に答えた。

「私たちはここの魔力調査を行っていました」

「魔力調査?」

 そんな話、聞いていない。

「はい。このあたりは魔力が非常に滞留しているため、魔物などの環境に対する負の影響が大きいと見られます。そのため、教会から派遣された私が近辺の調査を行っているのです」

 リーナの狙いが読めてきた。牧師のような格好や女神としての立場を活かして、そういった調査の最中であると装うつもりだ。今の僕たちの格好なら筋は通るし教会?からの質問も女神ならばするりと躱せるだろう。というか、教会のようなものがあることは今始めて知った。知らなかった理由は、単に計画にあまり関係なさそうだったから僕がそういう宗教面について掘り下げようとは思わなかったからだけど。

「教会の方でございましたか」

 リーナの言葉を聞いて、護衛は態度を改めた。この世界では教会?はそれなりに権威のある組織のようだ。何かに使えるかもしれない。

 それにしても、格好はともかく佇まいからは全く教会の人間と感じられない僕を咄嗟に巻き込むのはなかなか大胆な……。

「こっちの人は、とても教会と関係ありそうには見えませんが……」

 護衛の人も訝っているところ「僕はまだ新人なので……」とすかさず自分でフォローを入れた。

「まあいい。教会からの任務でいらっしゃっているところ申し訳ないが、ここはオーレン家の敷地なんだ。踏み入るなら私達の許可を取ってからにしていただきたい」

 そういうことね。こんな山奥だから誰も来ないとたかをくくっていた上に、そもそもこんな危険で使い道のない土地が誰かの領地だとは考えもしていなかった。その上、人がいることを見つけてわざわざこんな場所まで調べに来るとは。

「そうでしたか。この度は大変申し訳ございません。以後はお伝えいたします」

「こちらこそ、お仕事のお邪魔をしてしまいましたわね」

 ここで護衛の背後から令嬢が顔を出した。その目は貴族のお淑やかさとは異なる好奇の色が含まれている気がする。いや、さすがに物見遊山でこんなところまで来たわけじゃないはず。

「貴方がオーレン家の当主の方でしょうか」

 確認を込めて僕から彼女に訊いてみる。

「そういえば、自己紹介がまだでしたわね」

 令嬢は護衛の前に立って、仰々しいスカートを両手で広げて恭しく頭を下げた。

「私はカルナ・オーレン。仰る通り、私がこの山々一帯を領有するオーレン家の当主ですわ。以後、お見知りおきを」

 その隣にいた執事の格好をした男が、こちらも頭を下げ「ホルスと申します。オーレン家で執事を務めさせていただいております」と名乗った。

 いかにも上流階級といった挨拶をした二人とは対照的に、護衛の女の子はぶっきらぼうに自分の立場を説明した。

「モモセだ。オーレン家の騎士として護衛や警邏を担っている」

 騎士というには騎士道精神と無縁そうで、しかも剣やレイピアではなく、湾曲した刀を佩いているのが不釣り合いだが、立場としてはそういう言葉でしか言い表すのがしっくりくる、というものかもしれない。ちょっとさすがに自分は文化に興味がなさすぎるのでは、と我ながら心配になってきた。

「教会の牧師のリーナと申します」

 リーナも彼ら彼女らに合わせて名乗る。

 僕も軽く自己紹介をし、これで五人はお互いの身分がそれなりに伝わったことになる。僕たちのは当然嘘だけど。

「ところで、カルナ様は自らここを調査しにいらっしゃったのでしょうか?」

 場が落ち着いたところで、僕は思わず疑問を口にしてしまった。訊いてから、こんな危険な場所にいる意味もないし彼女たちと仲良くする必然性も特に無いのだからとっとと退散してしまえばよかった、と反省した。もちろん、挨拶してすぐバイバイなんてことになったらめちゃくちゃ怪しまれるだろうけれど、どうせ二度と合わないのだからそれが一番手っ取り早い。

「ええ。ここは私達オーレン家の敷地ですもの。危険な場所であっても次期領主たる私が確認するのは必然ですわ」

「……私は止めましたけれども、カルナ様がどうしても、とおっしゃるので」

 その言葉を受けてなのか、カルナは少し怒ったような表情をして「ホルスは当然そういうと思ったけど、だって仕方ないじゃない」と文句を言った。

「こんな持ってても何の役にも立たない山に人が現れたっていうのよ。気になって夜も眠れなくなったわ!」

 カルナは、令嬢としての立場はあれどいろんなことが気になるお年頃らしい。年相応でちょっと安心する。

「……しかし、カルナ嬢、彼らの言う通り、この場は危険です。彼らが怪しい者ではないことがわかった以上、ここから即座に立ち去るべきです」

 護衛の観点から、モモセさんが援護射撃をしてくれた。いいぞいいぞ。そのまま帰ってほしい。僕たちも下山するので。

「分かってますわよ。全く、おふたりともつまらないのだから。それで、この一帯の魔力を調査しているというお二方に質問がありますの」

 カルナは僕たちに顔を向けて、両手を合わせて笑顔でこう訊いてきた。

「ここに、何か、お金になりそうなものはありましたか?」

 ホルスさんがそれを聞いて「はあ、カルナ様……」と呆れている。

「カルナ嬢、この魔力に満ちた山は危険な上に、何度調査しても宝石などは発見されていないことは、お嬢様が一番理解していらっしゃるでしょう。その上、もし彼らがそのような何かを知っていたとしても、わざわざ私たちに伝えて自分たちの分前を減らすようなことはしないと存じます」

「それは……そうだけど……。この方たちは教会の方なのだから、知ってても恵んでくれるかもしれないじゃない」

 オーレン家というのは貧している没落貴族か何かなのかな……。僕もモモセさんの言う通りだと思う。

「教会の方、ねえ……」

 モモセは令嬢の反論には「はい」とも「いいえ」とも答えず、どこか含みのあることを口にして会話を終わらせた。

「そのようなものは何も見つかっておりません。私どもの任務はあくまでこの周辺の魔力調査ですので」

 リーナがモモセの主張を補足するような形で、なかったことを伝えた。そもそもそんなものを一度も調べたことはないけど、見たことがないのも嘘ではない。

「そうだよね……」

 カルナ嬢は敬語も忘れるくらい落胆した表情を見せた。

「ありがとうございます。では、私たちは帰りますわ。調査の方は進めていただいて構いませんが、終了の際にはご連絡いただけますと」

「いえ、調査も終了いたしましたので、私たちも追って下山いたします」

「そうですか、承知しまし……、あら?」

 カルナは言葉の途中で屈んで地面をじっと見つめた。

 そこには妖しく輝く銀色の小さな宝石が転がっていた。

 あ、ヤバい。

 ポケットにあったはずの魔石が地面に落ちてしまっていた。

 銃を調べたときだ。あのときにポケットの底にあった魔石も転がりだしてしまったに違いない。

 カルナが魔石をつまんで顔の位置まで持ち上げた。

「これ、なんでしょう?」

 なんでしょうね……。

 めっちゃ冷や汗をかきながら、僕は頭をこの状況を打開する言い訳をひねり出そうと頭をフルパワーで回転させはじめた……。


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