三日間だけの初恋を。
宮城島 優恭。
第1話
三日間だけの初恋を。
辺りが薄暗くなるさまを、僕は小さな公園のブランコから眺めていた。
僕が座っているブランコのそばには、ストロベリーキャンドルと呼ばれる、いちごを逆さにしたような紅の花が咲いていた。本来、夏場には適さない植物だがこの一角にだけ、見事に咲き誇っている。
種を植えたわけでも、手入れをされてるわけでもないが、毎年この時期になると必ずこの場所にこの紅の花が咲く。
それは偶然などではなく、二人の心が生み出したほんの少しの幻想。
町外れにあるたった一つの遊具しかない小さな公園を、ブランコ以外何もなかったこの空間を、僕達は花畑にしてしまった。
あの夏の日、この公園で、僕が――名前も知らない女の子に、恋をしただけで。
第一話
僕は今、家から徒歩三分ほどの小さな公園に来ている。ここは隣接した雑木林と住宅街の丁度狭間にある、人影を見ないとても静かな場所。それ
放課後に遊びに行く場所は、この二連ブランコが一台あるだけの小さな小さな公園。そしてここで一人寂しくブランコを漕ぐのが僕の日常だ。他の皆は友達の家に遊びに行ったり、友達と出掛けたりするのだろうが、放課後に友達の家に遊びに行けるほど僕に友達はいない。と言うか、友達と言えるような人は一人もいない。何故なら、僕は人の視線が大の苦手だからだ。人と目を合わせて会話するなんてここ数年は一度もなかったほどに。
学校では注目を集めないように気配を殺して過ごしている。授業中には
これだから僕は友達がいないんだ。目を合わせようとも、声も掛けようともしないやつのどこを好きになれるだろうか。少なくとも僕なら、そんなヤツと友達になろうとは思わない。
そういう人間なんだ、僕は。とにかく視線が怖い。怖くてたまらない。いつも誰かが僕を見ていると錯覚をしてしまう程に。正直、こんな生活は望んでいない。生き物がいる場所には僕の居場所は無いようなものなんだ。このままではいけない、それは理解しているが何が原因でこうなっているのか忘れてしまった。本当にいつの間にかこうなってしまっていて、治し方がわからないんだ。もしも、この生活がいつまでも続くのならば……死ぬまで続くのならば、早く終わらせてしまっても――と考えてしまうのは、僕が弱いだけだろうか。それに、どこかで聞いたことがある、人生で死ぬ瞬間が一番幸せになれる、と。許容量を超える苦痛に対して、脳内麻薬が多量に分泌した結果、ありえないくらいポジティブになり、ありえないくらい気分が高揚し、ありえないくらいリラックスして、ほとんど痛みを感じない鎮痛効果が一斉に身体中を駆け巡るのだ、と。実際のところこれが本当の話なのかはわからないが、死ぬ間際、もしそれを思い出せたら本当に幸せになれるかもしれない。結局、人間は脳を頼りに生きているから、脳が熱湯だと信号を出したら、例えただの水だとしても火傷してしまうし、脳が大好物だと信号を出したら、例え口にするだけでも
そして、できれば家にも居たくない。他人よりは多少気にならないが、家族の視線が嫌なのは
そうして今日も、僕はここで一人、ブランコを漕ぐ。一人だが、別に寂しくはない。むしろ楽しいとも言えるだろう。僕は本を読むのが好きなんだ。特に、ブランコに揺られながら読む物語は、とても没頭できるから。
座面に腰を掛け、持ち手の鎖を脇に挟み、胸の前に一冊の本を用意する。あとは、あまり角度を付けない程度に後ずさりし、そっと足を浮かせるだけ。
ゆったりと流れるブランコで開かれた厚さ〇・一ミリメートルよりも薄い紙に、びっしりと
――僕は海を渡る海賊だ。
――僕は世界を巡る冒険家だ。
――僕はみんなを救う英雄だ。
僕が
――突然、頭に、金管楽器で殴られたかのような爆音が鳴り響いた。体が跳ね上がるほど驚いて、意識が現実に帰ってくると、僕の世界は手元の一冊の本に吸い込まれていく。爆音の元凶に視線を送ると、防災無線スピーカーが「仕事ですから」とばかりに鐘の音を鳴らし続けており、腕時計を確認すると、二本の指針は午後五時を示していた。
チャイムが鳴り止み、遠くから子供達の別れと約束の言葉が飛び交っていた。やがてそれも聞こえなくなると、辺りには金具が擦れる寂しげな音だけが響き、前後に揺れる景色は、鮮やかな幻想などではなく、乾いた現実にすり替わっていた。
ああ、もうこんな時間か。本を閉じ、凝り固まっていた体を
ブランコはその性質上、吊るすための紐や鎖を掴んでいなければとても危険な遊具だ。それを理解した上で、僕は手を離した。自信があったのだ。小さな時から遊んでいた遊具だったからと、
母親にそんな悲しいことをさせるわけにはいかないので、僕は母さんに気付かれないように帰宅し、先に汚れを洗い落として
体を起こし、髪に着いてしまっていた土を払い落として、着ている一枚のTシャツの首元掴み、勢いよく振り抜いて脱いだ。
やはり、後ろ
このまま半裸でいるのも悪くはないのだが、そろそろ涼しくなる時間なので風邪を引いてしまう恐れがある。汚れた服を着るのは少しばかり抵抗があるが、仕方がない。と、
――この瞬間、少しも
「ふぇっ」
公園の入り口から声が聞こえた。それは聞き覚えのある声で、すぐに振り向くと、そこには顔をりんごのように真っ赤な色に染めて、声にもならない
ミディアム程の、ふわふわのわたあめのような桃色をした髪をハーフアップにまとめ、朱く染まった顔を
「
「ぁゎぁゎゎ――ふぇっ?」
ほぼ無意識に僕がそう呼ぶと、彼女はまたもや素っ頓狂な声を上げた。
「――私のこと、知ってるんですか……?」
風花はまるで信じられないとばかりにしているが、知っているも何も、僕と風花は
辺りは静寂に包まれている。涼しげな空気に流されて、温かな深みのある甘い香りが漂ってきた。どこか、今日の食卓に肉じゃがが並べられているだろうと予想してみる。
しかし、静かだ。視線の先には風花がこちらを向いて立っているが、喋りだす雰囲気も、動き出す気配もない。
彼女の視線が僕に突き刺さっているせいで、心の震えが止まらない。心臓がバクバクと高鳴っている。しかしその裏腹で、辺りはとても静まっている。
とても、静かだ。
…………あー。もしかして、もしかしなくても今僕は会話を
……そうは言っても、身内以外では本当に久々の会話で、言葉があまり上手に出てこないが、どうにか振り絞って腹から声を
「――そ、れは、あぁ、ま……まあ。む、昔、よく遊んでたしさ……?」
絞りすぎた結果、口から出たのは声にもならない声で、聴く相手はさながら聴力検査でもしている気分だろうが、風花の反応はまたもや信じられないモノでも見ているかのようだった。
「ぁ、本当に、思い出してくれたんですね……」
風花はその場で静かに涙を流した。僕は慌てて風花に駆け寄り、
「うえあぇ、なんで? どうしたのだだいだいじょぶい?」
焦ってしまい情けない声がこぼれた。どうして風花は泣いているのだろう。もしかして僕の声が小さすぎて、上手く聞き取れずに悪口に聞こえたのだろうか。いや、しかし風花の反応を聞く限りでは会話に
そんなことを考えていると、風花は涙を拭きながら「大丈夫です」と、呟いた。
他に何かをする様子はない。つまりはターンエンド。僕のターンだ。
上手な会話をする必要はない。欲しい情報を入手するための会話をすればいい。なるべく簡潔に、けれど
僕は軽く息を整えて、脳内で今決めた言葉達を
そうして僕は意識という名の照準を風花に合わせる。
ゆっくりと口を開く。トリガーに指を掛けるように。
震えながらも、風花に向けた銃口の、引き金を引く。
「――――っ。……っ!」
声が、出せない。
体が、少し熱い。
耳が、多分赤い。
……なんというか、この言葉。――口にするのは凄く恥ずかしい!? あんなに完璧だと思ったのに、あんなに綺麗に
ここは、そう。多分、何もしないのが正解なんだ。
〝果報は寝て待て〟僕にできることはした。あとは風花が泣き止むのを待って、落ち着いて話をしよう。それが今できる最善。まさか久しぶりに話した幼馴染のたった一言で僕がこんなに悩む羽目になるとは。いつもよりも考え込んでしまった。とりあえず、泣き止むまで話を整理するとして――。
「ふっ、風花!?」
どこからか、また女の子の声がした。これまた聞き覚えのある声で、そちらに振り向くと風花と同じ制服を着た子が全速力で駆け寄っ――
「――風花に何してんのよこの変態――っ!」
脇腹に、激痛。
スローモーションに感じる世界で、蹴り飛ばされたことを認識する。数センチ浮いた体がゆっくりと地面に引き寄せられる中、蹴られた原因に気付いた。風花、泣いているんだった。
それだけじゃない。なんかやけに鋭い痛みだと思ったんだ。
……そういえば、僕は上半身裸のまま風花に近付いたんだった。疑いの余地なく変質者だと思われているだろう。
皮膚以外、何も守りがない、素肌の、肩と背中に、荒い、牙のような、アスファルトが、近付く。
静かに流れていく地面。衝撃までのカウントダウンは〇・一秒を過ぎた。
じきに地獄はやってくる。数え切れない擦り傷。弾んだ反動で突き刺さる小石。擦り切れ、食い込み、肉がえぐられる。そうしてようやく止まったとしても、まともに風呂は入れないだろうな。
想像しただけで、意識が遠のく。死ぬわけじゃないが、死にたくなる程辛い。いや、逆だな。死ぬわけでも何でもないのにこんなに苦しい思いをしなければならないのが嫌なんだ。どうして死なんていう人生最大の苦しみが残っているのに、死にたくなる程の苦しみを何度も味わなきゃいけないんだろう。どうせ最後に皆必ずやるんだからそれ以外は何度も経験したくないのに。
あー、でも、死ぬ瞬間が人生で一番気持ち良いんだっけ?
ツーっと、皮膚細胞が引き裂かれていく感覚が襲ってきた直後、僕は深い眠りに落ちた。
三日間だけの初恋を。 宮城島 優恭。 @UkiYOMiYA
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