第一幕:豪雨の中の出会い②

 高速に移動する糸が四方から天晴の肉体に襲い掛かる瞬間。彼は溜めていた力を爆発させ、地を踏み込んで飛び出した。

 凄まじい膂力。

 地面を這うぐらいに低く突き進む彼は、包囲していた糸の乱舞を掻い潜る。

 そのまま空蝉へと向かう。

 予想外のことに目を見開きながらも、鯉口を切る天晴に対応するため距離を取り、さらに攻撃に転じる。が、天晴は間合いに入る寸前で方向を転じて、一閃。

 そのまま空蝉から距離を取った。

「貴様っ!」

「言っただろ。やってみなければ、分からん、と」

 顔を真っ赤にして怒鳴る空蝉に、天晴はしてやったりといった調子で答える。その脇には、壁からはがされた絶の姿があった。

「お、おぬし、凄いな」

 正直、目を瞑っていたので一連の流れを理解できず、目を白黒させながらも絶は素直に感心した。

「これで、少しは期待してくれるか?」

 片笑む天晴に、絶は人形のように首を上下させる。

「いい気になるなよ。濡れ鼠っ!」

 激昂に顔を歪ませる空蝉は両手の指で印を結ぶ。

「少々、遊びすぎた。もはや出し惜しみはなしだ。ガキを傷付ける気はなかったが、ここまで歯向かわれては仕方がない」

 耳が痛くなるほどに空を切る音を立てていた糸が、一斉に啼くのを止める。続いて、キリキリと強く引き絞られるような音。

「見えない武器とは厄介だな」

 まいったと頭を掻く天晴は、どこか緊張感がない。

「そんな呑気なことを言っておる場合か。また、あの糸が来るぞ」

「だろうな。しかも、力を溜めているみたいだ」

「ぐぬぬ。ならばここは、わしの術で返り討ちにしてくれる」

「術?」

「妖狐族は生まれながらに固有の術『焔火(ほむらび)』を備えておる。半妖とて同じ。必殺技よ!」

 絶は、子供らしくやや得意げな顔になり、胸を逸らす。

「ならば、使ってくれ。見てみたい」

「そんな簡単に出せれば、ここまで追い詰められておらぬわ! こんなに周りから音が聞こえては、集中できぬ」

「糸を何とかすれば、良いのか?」

「もちろんだ」

 天晴はその回答を聞くと、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて前に立つ。

「なら、しばし大人しくしていろ!」

「え? なんで?」

 絶の問いに答えることなく、天晴は勢いよく飛び出した。

 それに対し、空蝉は待ち構えていたかのように素早く指を弾く。

 これまでとは比べ物にならない速度の糸が、空を切り、笛のように音を鳴らして天晴に襲い掛かる。

 やはり糸は見えない。しかし、天晴の目は忙しなく迫る糸を捉え、身を翻し躱し、刀で受け流し、鞘で弾く。まるで舞踊のような動きだが、その都度聞こえる衝突音の激しさが、攻防の凄まじさを物語る。

 壁や床、天井の縁が砕かれ、切り裂かれ、弾け飛ぶ。

「ここまで防ぐとは。自信を無くす」

 舌打ち混じりに吐き捨てる空蝉だが、その表情には薄っすら笑みが浮かんでいる。予想外に登場した強敵との対決に心が躍る。これまで磨いてきた術を存分に披露できる相手に、歓喜すら感じる。格下を狩る作業ではなく、実力を試せる戦いに。

「おもしろい! もっと踊れ!」

 空蝉が指を動かすと、糸の強撃によって舞い上がる無数の瓦礫が天晴に向いたまま宙で止まる。否、糸がそれらを絡め取ったのだ。

「ほぅっ! これは見応えのある曲芸だ」

「ならば、心いくまで味わうといい」

 天晴が大粒の汗を流しながらも軽口を叩くと、宙に浮かんだ無数の瓦礫が矢の如き勢いで彼に目掛けて飛んでくる。

「んむぅ」

 さすがに避けきれない。

 だが、天晴の顔に浮かべられる不敵な笑みは消えることはない。迫る瓦礫を寸での所で躱しつつ、鞘の中央部分に仕掛けられたカバーをスライドさせて懐から先端に『爆』と書かれた弾を詰め込む。

「何を?」

「こいつは、ちょっとした遊び心の詰まった刀でな」

 突き上げる形で鞘を構え、天晴が鞘の根元に取り付けられた隠し鈕を押し込むと、破裂音と共に鞘の先端から火球が発射。瓦礫や糸と接触した弾は爆散して、その威力で天井の一部に大穴が空いた。

「薬式銃?」

 絶は銃声に驚きながら、両手で耳を塞ぎ、驚きの声を上げる。

「こら、絶。集中しろ」

 天晴に窘められ、ようやく自分に課せられた役割に気付いた絶は、ハッと我に返って視線を空蝉へ。彼もいきなりの爆音、爆風、そして弾かれた糸に面食らい、立ち尽くしていた。

 だが、その隙も僅かな間しかないだろう。すぐに態勢を整えるはずだ。

 絶は慌てて指を絡ませ印を結び、顔の前へ掲げる。そして指の間にできる『窓』から覗き、空蝉を捉える。

「業火灰塵。一切と残さぬ。

『火産霊(かぐつち)』」

 絶が唱えた途端、空蝉の周囲一帯が紅蓮の業火が現れ、一帯を包み込んだ。

 少し離れた所からでも分かる熱量に、天晴も思わずたじろぎ、生唾を飲むほど。

 業火に焼かれる空蝉は、その灼熱に耐え切れずのたうち回り、纏わりつく炎を避けるために踵を返して廃寺の壁を突き破って外へと逃れる。

 未だ滝のように降る大雨が、空蝉の体の炎の勢いを弱めていく。

「っくう。やはりこの雨では威力が弱まるか」

 消えゆく火を悔しそうに見る絶だが、隣で見ていた天晴からすればとんでもない術である。周囲が火の海になったかと思えば、次の瞬間には幻のように消えている。

「これが……焔火というものか。凄いな」

 天晴は素直に呟く。

「だが、仕留めきれなんだ」

 崩れた壁から外を見れば、煙が燻ぶりながらも立ち上がる空蝉がいた。

 その表情は、不思議と静かなものであり、ただ研ぎ澄まされた殺意のみを放つ。雑念もしがらみも捨て、ただ目前の敵を殺す。

 おそらく、この空蝉という男の本来の姿なのだと、天晴は思った。

「奴も弱ってる。もう一発、放ってみてはどうだ。雨でも効果はあるだろ?」

「いや、それなんだが……」

 息を切らせる絶は、言いづらそうにごにょごにょと言葉を濁す。

「なんだ?」

「あれは、一度しか出せぬ」

「は?」

「一度出せば、しばらく疲労で動けぬのだ!」

 そう言うと、その場でへたり込んでしまった。

「なぜもっと慎重に撃んのだ!」

「撃ったであろう。それで仕留めきれなんだのだ」

「必殺技と言ったろ。いいか。必殺技とは、必ず相手を殺す技を言うんだ。お前のそれは、言うなら、イタチの最後っ屁よ」

「へ、屁とな? なんと下品な。わ、わしの術を愚弄する気か、きゃぁ!」

 子供じみた言い合いをする二人に風切り音が襲う。

 いち早く気付いた天晴が、絶を掴んだことで何とか躱した。

「もう、遊んではくれんらしい」

 周囲の雨を弾き飛び交う糸は、不気味な音を立てて荒れ狂う。その鋭さ、速度、破壊力は、廃寺で見せていた時より増している。

 空蝉は静かに立つが、だらりと下げた両手の指は高速に動いていた。

 放たれる殺気、そして糸の圧は、武芸に秀でていない絶ですら震えが止まらないほどだった。

「ここ、までかぁ」

 崩れかけた廃寺の中で、動けなくなった絶は諦めの声を出す。

 その視界に、立ちはだかる影があった。

 天晴だ。

 彼は降りしきる大雨の中、ゆっくりと外へと歩み、空蝉に相対する。

 その背は尊大で傲慢。それを見ると、不思議と絶の陰鬱とした気持ちは落ち着いた。

「何を諦めている。絶よ。喧嘩はここからが面白いんだ!」

 爛々と目を輝かせ、不敵な笑みを浮かべる天晴だが、その顔はやや先ほどまでの余裕はない。緊張の色が見られる。が、彼の心音は至って平静だった。

 苛烈に追い込まれれば追い込まれる程に、彼の神経は研ぎ澄まされる。

 今なら雨粒の一つ一つまで、視認できそうだ。

「生き残りたければ、死地にて活路を拓くのみ。戦場で絶対に死なない術を知っているか?」

 キョトンと目を丸くする絶に、天晴は答える。

「敵に勝つことだ!」

 さもありなんというように、豪快に笑って見せると、天晴は適当な距離で立ち止まる。

 空蝉の殺人糸の間合いには、すでに入っている。しかし、刀の間合いには遠すぎる。であれば、攻撃を仕掛ける限界まで近づかなければ。

 睨みあう両雄の間では、ピンと張った弦のように空気が張りつめる。その緊張感たるや、見ているだけの絶ですら、圧し潰されそうで呼吸が苦しくなる。

「名を聞いていなかったな」

 空蝉が静かに、それでいて雨音の中でも聞こえるくらいの声で話す。

「天晴。ただ、天晴」

「天晴。覚えておく。立場も、名誉も、ガキも関係ない。ただ、俺の中にある矜持のために。全力でお前を殺すことにする」

 その言葉には、これまでなかった強固な意志が感じられる。

「あ、そうじゃ、天晴よ。先ほどの鞘に仕込んだ薬式銃を撃てばよいのではないか?」

 なかなか動かない二人に、絶が閃いたとばかりに廃寺の陰から叫ぶ。

「あれならば、その距離でも届くやもしれん」

 絶の提案に、天晴は視線を向けずに「そりゃ、ダメだな」と返す。

「この雨では火薬が濡れて使えん……それに、今のこいつに銃など無礼」

「な何をゆうておるか! 無礼も何も、戦いは勝てばよいのだ!」

 ピーピーと小鳥のように騒ぐ絶に、天晴は苦笑する。どんな事情があるかは分からないが、その必死さがおかしくてたまらない。何としてでも生き延びなければいけない。そして、その生命線が天晴にかかっている。だから、何をしてでも勝ってもらいたい。

 だが、その懸命に叫び、プリプリと怒り、縋るように視線を送り、口を尖らす姿は、何とも子供らしく愛くるしい。笑わずにはいられない。

「すまんな。外野が騒いでいるが、所詮は誉れを知らん童の戯言。多めに見てくれ」

「構わない。ガキの言う通り、勝負事は勝つことが全て。銃でも何でも使ってこい」

「言っただろ。火薬が濡れて使えん。だが、不利な立場はお互い様だ」

 確かに距離のある戦いで銃の使えない天晴は不利な状況だ。しかし、だからと言って、空蝉に有利な地形かと言われればそうでもない。大雨のせいで糸に水滴が弾かれ視認しやすく、拓けた場所では室内のように糸を掛けて張り巡らせられない。そうなると、直接的な攻撃のパターンに限られてしまう。

 天晴は左手に鞘、右手の刀を持つと、腰を落とし半身に体を捻り、刀を右肩に乗せる構えを取る。無防備に左肩を晒す格好だ。

 隙だらけに見える。素人なら間違いなく打ち込んでいたはずだ。

 だが空蝉は動かない。

 これは誘っているのだ。

 攻撃を待っている。

 何と豪胆な構えか。

 それが空蝉にも分かる。だから動かない。動けない。

 牽制するように糸が高速で周囲を行きかうのみ。

 空を切る甲高い音と打ち付ける雨音が場を支配していた。担いだ刃に当たる雨粒の音が耳に心地いい。

 雨が顔を伝い、大量の水滴が目に流れ込むも、両者瞬きすらせずに睨みあう。

 しばしの膠着。

 そして、その均衡が崩れる。

 天晴が一瞬、ほんの一瞬だけ目を閉じた。

 その刹那の瞬きですら、それは致命的な隙になりえる。

 もちろん空蝉も見逃すわけもなく、すかさず糸が襲い掛かる。

 が、彼にとって予想外のことが起きた。

 目を閉じるのと同時に、天晴も弾かれたように前へと踏み込んでいた。

 糸の斬撃は突き進む天晴のすぐ後の虚空を通り過ぎていく。

 空蝉の口からくぐもった唸りが漏れた。

 反応が速すぎる。つまり、今の瞬きは攻撃を誘うための行為。

 弾丸のごとき勢いで駆ける天晴はすぐそこまで迫っている。だが、空蝉の口元が緩んだ。

 僅かに距離が足りない。

 天晴の刀の間合いに入る前に、空蝉の糸で封殺できる。

 すると天晴は左に持つ鞘を振るう。まだ届く位置ではない、はずだった。

 振られた鞘が伸びた。否、空蝉の顔目掛けて飛んでくる。

 天晴の放った鞘は空蝉の顔を掠めるように飛ぶ。躱すために僅かに顔を逸らしたことで、一瞬だけ天晴が視線から消えた。だが、結末は変わらない。まだ空蝉の方が速い。

 間合いを詰め切る前に、彼の攻撃が天晴を飲み込み、四肢を食い千切る。

 そうなるはずだった。

 空蝉にはその姿をまざまざと思い描ける程に。

 しかし、糸は空を切った。

 そこに天晴の姿はない。

 視界から外れた瞬間に強く踏み込んだ天晴は、羽のように高々と舞い上がり、糸の攻撃を飛び越える。卓越した膂力と度胸が無ければできない芸当だった。

「クソ……」

 悪態を吐きながら立て直そうとする空蝉よりも早く、天晴の白刃が頭上より閃き落ちる。

 雨の音すら感じさせないしばらくの静寂。

 脳天から縦に斬りこまれた空蝉が悲鳴も、呻きもなく血を流し後ずさる。

「きさま……なにもの……なんだ」

 信じられないと目をカッと見開いたまま、空蝉は縦に割れて倒れる。

 それを見届ける天晴の顔もさすがに余裕はなく、雨でなければ大量の冷汗が見えていただろう。それだけギリギリの戦いだった。

「ただの不運な濡れ鼠だ」

 ふうっと安堵の息を吐き出しながら、力なく尻もちをついて天晴はぼやいた。

 強く振り続ける雨粒が、火照った体には気持ちがいい。

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