第一幕:豪雨の中の出会い①
第一幕:豪雨の中の出会い
一
百桜の一撃が大戦鬼の腕を斬り落とし、深手を負わせたことで『百鬼の役』は事実上、武士側の勝利に終わる。オニは大将の大戦鬼を抱えて北海の果てへと逃げかえった。
その知らせは扇喜幕府領だけに留まらず、ヒヨリガハラ全土へと伝わり、人々は大いに盛り上がる。
領内では、そこここで戦いの一部始終の描かれた瓦版が出回り、勇ましく戦った武士の話に酔いしれる。その中でも大戦鬼との一騎打ちを制した英雄の百桜の噂は留まることを知らず、凱旋した扇喜の都では彼を一目見ようと近隣諸藩からも大勢が集まり、お祭り騒ぎだとか。
そんな都から南西に藩を二つ越えた篁(たかむら)藩の山道。
分厚く真っ黒な雲が空から垂れ下がり、タライを引っ繰り返したような強い雨が山間の道に容赦なく打ち据える。こんな悪天候で足場の悪い道を、好きこのんで歩く者などいるわけもない。通常の思考を持ち合わせていれば……。
(恵みの雨とは言うが、これだけ降られるとさすがに。参ったな)
視界も足場も悪い道を独り歩く天晴(あせい)は、菅笠の隙間から空を覗き、苦笑しながら心の中で呟く。
通り雨と踏んで勢い勇んで宿を出たが、まったく止む気配がない。
判断を誤ったと、天晴は顔を伝う水滴をペロリと舐めた。
泊まっていた宿の主には、雨が強くなるから少し様子を見るように勧められたが、「大丈夫大丈夫」と軽い気持ちで出発した。今更、宿には引き返せないし、距離もかなりある。
「進むしか、ないかー」
誰に言うでもなく、諦め気味に独り言ちるが、その語気にはどこか雨を楽しんでいる雰囲気もあった。
宿の主人が『もしもの時』のために教えてくれたが、山中に廃寺があるらしい。今では旅人が雨宿りをするくらいしか使われていないとのこと。ただ、荒れた場所のため、山賊などが潜んでいてもおかしくないから、できることなら寄らない方がいいとも助言してくれた。
話半分に聞き流していたが、この状況では天啓にも近い情報だ。
ひとまず天晴はその廃寺を探す。騒々しい雨音の他に、グシャリグシャリと水を含んだ自分の草鞋がぬかるみを踏みしめる音が耳を刺激する。
年の頃は二十四。六尺(約百八十センチ)の長身にがっしりとした体躯は、羽織る大きめの外套ごしにも分かる。無精髭の生えた精悍な顔は、どこか無邪気で子供のような好奇心を含んでいた。
幾何学の紋様が入った丈夫そうな厚手の外套に、みすぼらしいが動きやすい服装。手には手甲、脛には脚絆を付けて、小さな荷物袋を背負う。さらに腰には柄だけではなく全体を包める刀袋に入れた打ち刀を一振り差しており、天晴が旅の途中の武士、それもそれほど身分の高くないことを示していた。
しこたま雨に打たれ、濡れ鼠になりながら歩いていると、さすがに天も彼のことを憐れに思ったのか、視界の先に廃寺へと続く石段が見える。
「おぉ!」
思わず彼の口からご機嫌な声が漏れた。
「これは福徳福徳! これぞ地獄に仏というものだ」
走りこそしなかったが、天晴の気持ちは晴れ渡り、足取りも軽い。
石段を軽快に駆け上がると、勢いそのまま廃寺の入り口に手をかける。話では山賊などの輩が住み着いているかもしれないらしいが、その時はその時だ。雨宿りできてから考えることにする。
「御免!」
ハツラツとした声で呼びかけるが、返答はなかった。
「んむぅ?」
驚愕と落胆の混じった独特の溜息が天晴の口から漏れた。
廃寺の中に明かりなどはなく、壊れた屋根の隙間から雨粒と共に光が差し込むのみ。薄暗く外から来たばかりでは、目が慣れずに室内を見通すことは難しい。しかし、足を踏み入れた瞬間のむせ返るような鉄の臭いは、凄惨さを物語るには申し分ない。
稲光によって照らされたそこには、人間だっただろうバラバラの肉塊がいくつも転がる。
鋭利な刃で切断されてはいるが、恐らくは三人。血に塗れて転がる刀や小銃の残骸からもそれは分かる。
天晴は全神経を研ぎ澄まし、鋭い眼光を部屋の奥、一点に向けた。
そこには、まだ生きている者が二人。
手足の長い痩せた男と子供。二人は相対するような格好で、突然の訪問者の天晴を見ている。
「こりゃ、地獄で地獄、だな」
言葉こそ気さくだが、その表情には先ほどまでの緩んだ感はない。
「今は取り込み中だ。他を当たれ」
細い体躯にしては低くざらついた声の男は、面倒そうに天晴を追い返すように顎をしゃくる。 外見は行脚を思わせる姿だが、放たれる気配は抜き身の刃のように鋭く冷たい。なにより、両手の五指に鉤爪のついた手袋は異様でしかない。
おそらくは、床に転がる憐れな者達を手にかけたのも、目前の男だろう。
「この大雨で見ての通り濡れ鼠だ。雨宿りをしたいと思ったんだがな……」
「運のない男だ。だが、こちらも見ての通りだ」
周囲の状況を見ながらも顔色一つ変えずに話し、なおかつ菅笠を比較的綺麗な床に置いて腰帯に差し込む刀を手に取る。そんな天晴の姿に、男は怪訝そうに目を細めた。
「変な気は起こさず、脱兎の如く走り去れ」
その言葉に天晴は意外そうに片眉を上げる。
「逃がしてくれるのか?」
「面倒な手間を増やしたくはない」
「それは、ありがたい。福徳福徳……と言いたいが」
天晴は刀袋の縛る紐を解いた。
「その童(わっぱ)をどうするか次第だな」
それは、壁に張り付くように背を預けて立つ小さな影。端正ながらも幼い顔付き、体付きからすると十歳ほど。みすぼらしい着物に頭には頭巾を被る少年の出で立ち。
「それは、俺とこの半妖の問題。ただ、殺すつもりはない、とだけ言っておく。これで安心か?」
「半妖と愚弄するな、この卑怯者め! 先ほども不意打ちなど小賢しい。正々堂々、戦えっ! おぬしなど、わしの力で返り討ちじゃ!」
男の声に被せるようにキンキンと喚いた。姿勢こそ壁に張り付いたままだが、キッと男を睨みつけて牙を剥く。なかなか、豪胆ではあるが、その姿は懸命に威嚇する子犬を連想させる。
その証拠に、男の冷たい視線が天晴から戻ると、威勢は萎んでいく。
「ええい! な、何を呆けておるのじゃ。こ、こやつの言う通り、おぬしは無関係。手出しは無用。さっさと逃げよ!」
気圧されたことを否定するかのように幼い声を上げる。凛として強がってはいるが、所々震えており、怯えているのが伝わってくる。
そのような声で言われてしまうと、逃げるに逃げれなくなる。
少しの間、困った。とばかりに無精ひげを摩り、天晴は意を決したように短くため息を吐く。
「事情はよく分からん。お前らの因縁は知らんし、どちらに理があるかもさっぱりだ。だが、おめおめと童を見捨てたとあっては、寝覚めが悪い」
片方の口元を吊り上げて不敵に笑むと、刀袋を取る。それは柄、鍔、鞘が漆黒の打ち刀。やや鞘の部分が太いことを除けば、普通の刀である。特殊な力は感じさせない。
「つくづく運のない男だ。おまけに自ら死地に飛び込む大うつけ」
「おぬしのような野良武士にどうにかできる相手ではないわ! さっさと立ち去れ」
男と子供は同時に天晴に言う。
「野良……少しは、期待してもらいたいもんだがな」
天晴は、軽い気まずさにハハッと乾いた笑いを漏らした。
いきなり登場したよく分からない武士が、何の義理もないのに命を懸けると言い出した。当然の反応だろう。
だが、当の本人は、大真面目だ。
鞘に収めたままの刀を男に突き付ける。
「なんと言われようと、この喧嘩。俺は童に加勢すると、俺が決めた。文句は受け付けん。だが、俺とて無益な殺生はしたくはない……退け」
最後の言葉と同時に場の空気が張り詰める。男から放たれていた殺気に、天晴が同じく殺気をぶつけたことで緊張が走ったのだ。目に見えに抜き身の刃を首筋に当てられるような、意識とは関係なく背中に冷たい汗が流れる。
男から嘲笑が消え、表情が引き締まる。
「何者だ?」
「偶然、迷い込んだ濡れ鼠よ」
「つまらない正義感で死ぬことになるぞ。濡れ鼠」
「それは、やってみなければ分からん……っ!」
天晴が言うやいなや、鋭い風切り音。
全身の毛が逆立つ感覚に考えるよりも先に身を屈める。そのすぐ頭上を、何かが通り過ぎた。
「よく避けた。やはり、ただの浪人ではないな」
男は感嘆と警戒の籠った声を発すると、天晴の周囲で空を裂く甲高い音が無数に聞こえ始める。まるで見えない刃が高速で回転しているような音だ。
「見えぬ糸……シノビか?」
視認できないほどに細く透明な糸が張り巡らされており、それらが男の指に合わせて生き物のように動いている。
「目が良いな。いかにも、俺はシノビの里出身だ。抜け忍だがな。名は空蝉(うつせみ)。最後に俺の名を心に刻み死ね。忍法『虎落笛(もがりぶえ)』」
鉤爪のついた手を絞るような仕草をすると同時に、周囲の音がさらに鋭く大きくなる。
天晴はグッと姿勢を低くすると、体を限界まで引き絞り、そのまま刀を鞘に入れたまま振り抜いた。固い物同士がぶつかり、こすれる嫌な音を立てると、彼の周囲の床や物に真新しい斬撃の痕ができる。
「ほう!」
驚嘆の声を上げたのは空蝉の方。
「一度ならず二度も攻撃を躱した。屈辱だ……そして」
苦虫を噛み潰したように顔を顰める空蝉は、一度言葉を切ると背後から不意打ちを入れようと忍び寄っていた少年に振り向くことなく手を振るう。
すると、少年の体は吹き飛ばされ、壁に叩きつけられ、そのまま貼り付けられる。服と壁を見えない糸で縫い合わせられていた。
攻撃だけでなく捕縛などにも応用できる糸だが、それは空蝉の卓越した熟練度があってのこと。操作や力加減を間違えれば、今頃は床に転がる死体同様、体が輪切りになっていたことだろう。
「今はこの濡れ鼠との勝負が先。お前はそこで待っていろ。もっとも殺生石さえ手に入れば、お前に用などないのだが」
「誰が、おぬしらのような悪党どもに渡すものか! わしの本気を見せてやるわ!」
「背後から襲おうとするとはな。不意打ちは小賢しいのではなかったのか?」
「なっ! うるさい! いいから糸をほどけー」
うまく言い返せず、顔を赤くしながら少年は騒ぐ。糸から解放されるために身を捩ったことで、被っていた頭巾が床に落ちる。
隠れていた少年の艶やかな白髪と、頭に付いた三角に尖った耳が見えた。
「妖狐……か」
意外なものを見たので、思わず天晴は呟いていた。
妖狐は人間とは異なるルーツを持つ亜人の一種で、男女ともに端麗な外見を持ち、さらに長命な種族だ。
空蝉の言葉によれば、少年は半妖。つまり、妖狐と他種族(おそらくは人間)の混血らしい。ただ、一般的に気位の高い性格で、他種族との交流を避ける傾向があり、半妖は珍しい。
「童。名は?」
「はい?」
いきなり話を振られたことで、少年は素っ頓狂な声を上げた。いきなり現れた天晴は、信用しきれない相手ではある。しかし、流れ的に味方になってくれるのは事実。無下にもできない。そんな育ちの良さそうな性格が滲み出ている。
「童、何て名だ?」
「わ、わしは絶(ぜつ)だ」
聞き慣れない名前に天晴は口の中で「ゼツ」と転がし、フフンと笑む。
「よし。では絶。まずは壁に張り付くお前を助けるか」
些末なことのように言ったので、一瞬、何を言ったのか理解できなかった。
それは空蝉も同じだ。
「俺を倒す前にこの半妖を救う? できるものか」
「それは、やってみなければ、分からん」
「多少は腕に覚えがあるようだが、お前に勝ち目などない」
「それも、やってみなければ、分からん」
相変わらずの天晴に、空蝉は不快感を露にしながら手をかざす。
「ここに来たのが運の尽きよ」
「ああ、お前が、な」
天晴の不敵な笑みは変わることもなく、まるで獣が獲物を狙う様に腰を落とし、柄に手をかける。周囲から無数の音が、天晴に迫る。先ほどのように鞘をぶつけてどうにかなるレベルではない。
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