第一幕:豪雨の中の出会い③
二
天仁州篁藩は幕府領でも南部に位置しており、百鬼の役では直接的な被害はない。また他国(幕府領)とも接していない内地のため、大きな争いに巻き込まれることがあまりない。比較的安定して豊かな土地で他藩との交易も盛んだ。
幕府が敷かれる以前より五百旗(いおき)家が代々藩主を務めており、土台がしっかりとした名家でもあった。
しかし、当代藩主の五百旗正嗣(まさつぐ)が、病に倒れ急死。それから、雲行きが怪しくなる。
跡目は習わし通りに嫡男の正尚が継ぐはずだったが、着任間近でその彼が不可解な事故により命を落とした。これがひと月前のことである。
そうなると、次の候補は次男の正代(しょうだい)となるのだが、彼は役に参加し、戦後の対応などで都から未だ戻ってない。そんなおり、名乗りを上げる者が現れる。
それが正嗣と女中との間に生まれた私生児の泰虎(やすとら)であった。正代が不在のまま、彼は強引に家督の継承を推し進める。まずは幕府へ書簡を送り、自らの正当性を示す。これにより、予見される藩内での争いに介入しないよう釘を刺した。
当然、藩内では泰虎に反発して蜂起する勢力が現れたが、彼には強力な後ろ盾がいた。それはいつの頃からか彼に仕える『烏夜(うや)衆』と呼ばれる六人組。それぞれが特殊な能力を有し、一人で一軍にも匹敵すると言われる。
強大な力で反乱分子を次々と葬っていく泰虎らが、次に狙ったのが玉櫛(たまぐし)の君と呼ばれる女性とその一族だった。彼女は正嗣の寵姫であり、篁藩に集落のある妖狐・天狐族の長。そして絶の母親でもある。つまり、絶は亡き篁藩主と天狐の族長との子供になる。
半妖ゆえに継承権のない絶、そしてお家騒動に関わりを持たないよう郷へと避難していた玉櫛は、泰虎の標的から当初は外れていた。しかし、先日のこと、烏夜衆に率いられた泰虎派閥の武士達によって天狐の郷は襲撃を受けた。突然の出来事に加え、その圧倒的な力の前に、郷の者達は大して抵抗できずに制圧されたという。
そして玉櫛を始め多くの天狐族が捕えられ、連行される。何とか逃れることができたのは絶と護衛の数名だけだった。
☆ ★ ☆
廃寺での戦いを終え、亡骸を簡易ながらも弔った天晴と絶は、足早に次の宿場街まで進んだ。
そしてそこで入った飯屋にて、これまでの経緯を絶が説明する。
「烏夜衆の一人に、奇怪な術を使う怪僧がおった。その者が術を発すると、母上や天狐の者らが動けなくなったのだ」
目前の膳に手を付けず、目を伏せながら絶は説明する。
「おそらく、妖狐の能力を封じるもの。わ、わしは半分が人ゆえ、効き目が弱かったのだと思う。だから……、逃れることができた」
徐々に声は小さくなり、最後は聞き取れないほど。母や仲間を見捨てて逃げたことを後悔しているのだ。実際は、逃げたというよりも玉櫛達が絶を何とか逃がした、と言う形に近いが、あまり関係はないのだろう。
「悔しいが、烏夜衆には勝てない。だから、圷峠(あくつとうげ)にいる叔父上に助けを求める途中であった。しかし、あの廃寺で追い付かれてしまったのだ」
子供の絶を連れてはスムーズに道中を進むこともできず、疲労と大雨で休息を取っていた。そこを空蝉に追いつかれた。彼は絶を残して護衛を皆殺しにした。それも一瞬の出来事だ。そして、追い詰められ、万事休すの時に天晴が訪ねた、という流れらしい。
光景を思い返して、絶は身震いをする。
「わしが足手まといになってしまったために、護衛の者達が……。しかし、あの空蝉と言う男、本当に恐ろしかった。まっこと、化け物よ」
南無南無と手を合わせる絶だが、対面に座る天晴はと言えば。山盛りに玄米がよそわれた茶碗片手に、所狭しと机に並ぶ料理を忙しなく箸でつついては、口いっぱいに頬張っている。
まともに聞いている様子ではない。
「おい、おぬし! わしの話を聞いて、よくもそんな呑気に食事ができるな」
絶は口をすぼめて咎めるも、天晴は構わず豪快にメシを搔き込む。
「仕方ないだろ。腹が減ったんだ。何事も食事は基本。足手まといになりたくなければ、まずは食うことだ。それに、朝から何も食わずに山越えをした上、命のやり取りまでさせられては腹も減るさ」
ハハッと笑いながら「臨時収入もあったしな」との言葉に、絶は顔を顰める。
「護衛の者達と空蝉が持っておった金子(きんす)であろう。死者から物を取るなど、冒涜じゃ」
「死人に銭など必要ない。であれば、あいつらの分まで少しでも有意義に使ってやる。それもまた弔いの一つの形と言うものだろ」
相変わらず笑いながら言う天晴に顔には『屁理屈』と書いてある。絶も呆れたようにため息を吐くのみ。
「さぁさぁ。お前も食え。冷めては勿体ないぞ」
何を言っても目前の男には通じないと、絶は諦めて自分の膳に箸を付けながら話題を変える。それはもちろん、気になっていた天晴の素性に付いてだ。
「おぬし、名は何と言うのだ?」
「すでに天晴と名乗っているだろ」
「だから、家名を聞いておるのだ」
「……そんなもんは無い。ただフラフラと旅をする武芸者の天晴だ」
武士でありながら家名が無いことはあり得ないが、無理に答えさせることもできないので、絶は言葉を変える。
「篁の武士ではないのか? サムライになりに来た、とか?」
サムライは主君に仕える武士を指す言葉である。
「いや、斑霧(むらぎり)藩から扇喜の都へと向かう途中だ」
「へぇ~」
絶の気のない返事からすると、聞いたはいいが地理をよく知らないようだ。
「と、遠いのか?」
「州を一つ越えるな」
「はへ~」
今度の声はやや好奇心の籠った物だ。幼い絶にとって隣の藩さえ別世界。それをいくつも越えて旅をする天晴に羨望な眼差しが向けられたのだ。
だが、すぐに我に返ったように、恥ずかしそうに咳払いをして誤魔化すと、表情を戻す。
「なるほど、遠くから来たのであれば、おぬしのような強い剣士の名を知らぬのも納得じゃ」
絶が藩内の有名なサムライ、武士に詳しそうには見えないが、一人納得してうんうんと頷き、居ずまいを正すと頭を下げる。
「天晴殿! そなたの腕を見込み、お願したい」
「嫌だ」
「えぇー!」
本題を切り出す前に天晴は面倒そうにバッサリと断る。
「まだ、何も言っておらぬだろう!」
「あのな。お前、俺のことを何も知らんだろう。そんな男にお願い事なんて騙されるだけだ。止めとけ止めとけ」
正論だが、絶は引き下がらない。
「しかし、おぬしが強いことなら知っておる!」
「強い武士など篁藩にも大勢いるだろう。藩で抱えるサムライとか」
「当然じゃ。だが、烏夜衆に勝てるほどの男は、知らぬ」
ああ、あれが烏夜衆なのかと、空蝉を思い返す。あの戦いは久しぶりに胆が冷えた。
「空蝉は凄腕だな。あのレベルの者が何人もいるなら、確かに烏夜衆は化け物の巣窟だ」
「だから、手を貸してほしい。せめて、叔父上のいる圷峠まで同行してくれ」
「だから、い・や・だ。俺は、喧嘩は好きだが、面倒事は嫌いだ。他人様のお家騒動のゴタゴタに巻き込まれたくもない」
「でも、先ほどは助けてくれた」
「あれは、成り行きだ」
「では、成り行きでこれからも頼む!」
顔を真っ赤にしながら必死で懇願する絶。この子も後がないのだ。このまま一人で動いても、先ほどのように追手に見つかれば、今度こそ捕まる。しかし、適当に人材を見繕ったとしても、烏夜衆が相手だと並の腕では歯も立たないだろう。
そんな様子を見ながら、天晴は意地悪な笑みを浮かべる。
「命を懸けろと言うんだ。タダではできんな」
「謝礼……か?」
「俺は高いぞ。何が出せる?」
その問いに、絶は言葉に詰まってしまう。
「それは……きっと叔父上がいくらか……」
「はっ! 支払いは他人任せか?」
「士官として迎えることも!」
「誰かに仕えるつもりはない」
「そ、それに誉れとなって名が広まる」
「誉れ? 誉れで腹が膨れるか?」
「武士は誉れを尊きものとするのではないのか!」
「武士の言う誉れなど、犬のエサにも劣るわ」
「な、なんということを……」
あまりにも無礼で侮辱的な物言いに、絶は思わず他に聞かれてないか周囲を確認してしまった。
「それで? 何を支払ってくれる? 何でも空蝉が言っていたな。お前は、奴らが狙う様な大層な代物を持っているんだろう?」
天晴の詰めるような言い方に、絶は完全に押し黙ってしまう。そして懐を守るように、腕を回す。
しばらく、俯いた後に、ゆっくりと顔を上げた。何かを決意したような表情がある。
腕を解いた絶は、首から下がる麻の小袋の中から、指輪を取り出す。それをしばらく見つめてから、天晴に差し出した。
「懐の物はわしの物ではないから渡せぬが、これを手付としてもらいたい」
天晴が受け取ると、それは黒曜石のような鉱石を付けた逸品だった。
「これは?」
「母上から肌身離さず持てと譲り受けた物。わしにとっては二つとない宝じゃ。今は、これくらいしか渡せぬ」
名残惜しそうに、やや涙を堪えるような顔をする絶。
「母の形見の品か」
「まだ死んでおらぬわ! 縁起でもないことを申すな!」
(あぁ、そうだったそうだった)
「すまんすまん」と頭を掻きながら軽く詫びる天晴は、指輪を懐に入れる。
「まぁ、圷峠は通り道だ。そこまでなら、送り届けてやろう」
指輪を仕舞われた時に、不安げな表情を見せた絶だが、天晴の言葉に顔を輝かせる。
「まことか!」
「武士に二言はない」
「武士の誉れを侮辱した者のセリフとは思えぬな」
安心したのか、緊張していた絶の顔も緩み、子供相応の笑みを浮かべていた。
「そうと決まれば、今日は腹いっぱい飯を食って、さっさと休むぞ」
天晴は言うやいなや、中断していた食事を再開。絶も彼ほどの勢いはないものの、小さな口いっぱいに食事をかき込んだ。
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