即興演奏

terurun

即興演奏








 ピアノの音が響き渡った。

 ただ一人の男が、グランドピアノを鳴らしている。

 男の家の一室。少し広めの防音室で、その音は響いた。

 外には綺麗な桜が舞っていた。

 男が弾く曲は、長調の明るい曲だ。

 単音で続くメロディが、ひらひらと舞う蝶を連想される。

 それを聴いているのは、一人の女性。

 床に座りながら、目を瞑り、一音一音を耳に留めていた。


「その曲に題名はあるの?」


 男が演奏を止めたのを見て、女性は訊いた。


「無いよ。即興演奏だから」


 それを聞くと、女性は少し俯いた。


「いい加減ちゃんとした曲でも作ってみたら?」

「気が向いたらな」


 そう言いながら、男はピアノを閉じた。


「今日は終わり?」

「今日は終わり」




 ◇◇



 

 ピアノの音が響いた。

 今日は窓を開けていたので、気持ちのいい風が吹き込んでいた。

 外には緑葉の混じった桜が見えた。

 男が弾いているのは、長調の綺麗な曲。

 窓が開いているので近所迷惑にならない様、高音を多く用いた煌びやかな曲だ。

 それを聴いているのは、一人の女性。

 床に座りながら、目を瞑り、一音一音を耳に留めていた。


「その曲に題名はあるの?」

「無いよ。即興演奏だから」


 女性は座ったまま男に言った。


「…………その曲、私好き」

「即興だからもう覚えてない」


 その返答に、女性は肩を落とした。




 ◇◇




 ピアノの音が響いた。

 今日は雨が降っているので、いつもよりも部屋が暗い。

 外には緑葉が生い茂っていた。

 それに外から雨が滴る音が絶え間無く聞こえていた。

 男が弾いているのは、短調の静かな曲。

 まるで今のどんよりとした雰囲気を歌うかの様な、寂しい曲だ。

 それを聴いているのは、一人の女性。

 今日は窓を眺めていた。


「今日も即興演奏?」

「そうだよ」


 窓を眺めたまま、女性は言った。


「…………まだ曲は作ってくれないの?」

「うん」


 少し淡白な返事を、男はした。




 ◇◇




 ピアノの音が響いた。

 今日は台風なので、部屋には男しか居ない。

 外の景色はよく見えなかった。

 男は弾いているのは、調性の無い、無調曲。

 捉え所の無いその曲調は、少しばかりの狂気を感じさせた。

 それを、誰も聴いてはいない。


 ピアノを閉じた男は、窓の前に立った。


 そこで、台風の鳴らす轟音を、静かに聞いていた。




 ◇◇



 

 ピアノの音は響いていなかった。

 弦が切れてしまったので、男はそれを直していた。

 その光景を、女性はずっと眺めていた。

 外には地面を茶色のカーペットに包む褐色の木々があった。

 チューニングハンマーとチューニングピンが当たった時の金属音が、部屋に響いた。


「今日はピアノ弾けないの?」

「そうだな」


 その言葉を最後に、場は再び静寂に包まれた。




 ◆◆




 ピアノは静かだった。

 外には白銀の世界が広がっていた。

 部屋に響くのは、鉛筆の筆記音。

 床には大量の消し屑が散らばっている。

 男が書いているのは、楽譜。

 手を真っ黒にしながら、それをずっと書き続けた。

 書いた楽譜は、一曲分。

 ピアノの譜面台に置かれていた。

 そしてその表紙には、その曲の題名が書かれていた。


 [即興演奏 12/17]


 そしてそれを、部屋の隅にある本棚に直した。





 徐に、その本棚から四冊の楽譜を出してみた。


 [即興演奏 4/15]


 [即興演奏 5/4]


 [即興演奏 6/20]


 [即興演奏 7/13]


 そして、それを譜面台に広げて、弾いてみた。



 一つ目の曲は、長調の明るい曲だった。

 単音で続くメロディが、ひらひらと舞う蝶を連想される。


 二つ目の曲は、長調の綺麗な曲だった。

 高音を多く用いた煌びやかな曲だ。


 三つ目の曲は、短調の静かな曲だった。

 まるで当時のどんよりとした雰囲気を歌うかの様な、寂しい曲だ。


 四つ目の曲は、調性の無い、無調曲だった。

 捉え所の無いその曲調は、少しばかりの狂気を感じさせた。



 男は、二つ目の曲の楽譜を持った。


 [即興演奏 5/4]


 そしてそれを持って、外へ出た。




 ◆◆




 男はその楽譜と道中で買った花をそっと地面に置き、手を合わせた。


「ちゃんとした曲を作る為に即興演奏してたんだけど、君に聴かせることが出来くてごめんよ。だから、君が好きだと言ってくれた曲の楽譜を置いておくよ。ごめんね、聴かせてあげられなくて」


 そう一人で呟きながら、涙を流した。



 そして男は、目の前にあった横断歩道を渡った。

 涙を拭ったが、止まらなかった。

 止めようとしても、止まらなかった。

 止めるだけ無駄だった。




 男が楽譜を置いた所には、他にも大量の花束が置かれてあった。

 その中でも、男の置いた楽譜が、一際目立っていた。



 楽譜の最後のページには、こう書かれていた。




『今は亡き君に捧ぐ』












 

 

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