第23話 どうやら粛清が始まるそうです

 まさか次に自分に来るとは思っていなかった大神官は、身体を震わせた。しかしすぐに、メイベルが何かを言う前に、先手を打とうと声を張り上げた。


「恐れながら、女王陛下! この者は魔王の宣託を受けた者! 魔王を国主とした土地を許すなど、アルビアン神竜を奉る我が国のなさることではありません!」


 女王陛下は取り合わなかった。代わりに、可愛い義妹をやり玉に挙げられたと、ユージェニーが口を開く。


「そうかしら。アルビアン<聖なる獣>たる王族われらに、おかしな話ね。そういえば、トーマス大神官。あなたの生まれはどこだったかしら? そちらの御令嬢と同じ、だったかしら?」


 貴族の、クスクスと笑い声がもれた。

 嗚呼だからメイベルを切り、フィリッパとオズワルド王子の婚姻を推し進めた?

 だって、彼らは知っている。

 年老いた大神官。その出自は、さもしい、さもしいところから。


 今はプリナ伯爵トーマス・ハージー大神官と呼ばれているけれど、ハージー男爵家に運良く拾われただけの、生まれは下賤の身。ハージー家がフローゼン伯爵家の分家だったから、大神官への道が開けただけ。


 この場でその名を口にしては、晴れやかな式典が穢されてしまうようなところからやってきて、正統なる出自きぞくを差し置いて、大神官となった恥知らず!

 父親は貴族でも、母親はどこの誰とも知らない少女も、何も変わらない。

 そんな彼らを追い出すこの舞台。


 貴族はこぞって身を乗り出し、彼らを笑った。

 たとえ魔女の証だろうが、母親が貴族の娘の方がずっとマシ。そんなことも知らないで、なんてなんて哀れな小娘!

 大神官ともども、もっと滑稽に踊ってみせて!


「静かに」


 メイベルの平坦な声で、笑っていた貴族は固まった。

 貴族らも実は、笑っていられる場合ではなかったのだが、固まっている今でさえ、本当の恐怖は理解できていなかった。

 その時、少女の引き攣った叫び声が、広間に響いた。


「お前の! お前のせいなのに!! こ、この男が! お前がサボってる間に! ワタシに!!」


 心得のある者がとっさに構える。

 メイベルは庇うように前を出た。


「フィリッパ。おやめなさい。今はなにを言ったところで、あなたに不利なだけ」

 メイベルは彼女の名誉のため迂遠に言ったが、当の本人に伝わったかどうかは分からなかった。


「ワタシを身代わりにしやがって!」

「フィリッパ」


 メイベルは、ほとほと困った顔をした。フィリッパの身にあやういことがあったのは知っているが、それは先日のことだったし、メイベルが影武者に頼んだのはそのような被害から逃れるためではなかった。


 ダイヤモンドスターは貴族でなかったために黙らせる方法に困らなかったが、フィリッパは仮にも侯爵令嬢。ヒステリックな声を止める方法を持ち合わせる者は、衛士にはいない。


 メイベルは仕方なく、フィリッパを止めようと息を大きく吸い込んだ。

 そこに、ユージェニーの声がかかる。


「メイベル女王、御慈悲を賜りたく。これは我が国の責。わたくしどもの手で止めてもよろしい?」


 正直、助かった。という気持ちで、メイベルは頷いた。

 場の仕切りがユージェニーの手に移った途端、無言魔法により、フィリッパは問答無用で口を閉ざされた。同様に、大神官の口も閉じる。いや、彼は首を絞められているようだった。

 大神官が泡を吹いて倒れる。近くの貴族が、汚らわしいとばかりに逃げた。


「あら、まあ。なんてこと。口封じかしら?」


 ユージェニーが言う。その言葉の意味するところを悟った貴族たちは、みるみる血の気をなくした。おそらく、クーデターよりも、今回の遊びに興じた貴族が危ない。大神官らを笑っている場合ではなかった。


 メイベルがユージェニー王女のお気に入りだと知る者は、ごくごく限られている。

 つまり、大粛清が始まろうとしていた。




「スーザン・ユポンセル」


 ユージェニーの感覚としては、すっきり。

 貴族からすると恐怖の宣言式が終わり、メイベルは自分の侍女だったスーザンを連れて別室に移った。オズワルドとその騎士たちもとうぜん、それについていく。


「ようやく、あなたと向かい合って話せて嬉しいわ、スーザン。あなたに、ここへ来てもらったのには、とうぜん訳があります」


 一人連れられたスーザンは、静かに頭を下げる。

 オズワルドたちは内心、剣呑な面持ちで彼女を見る。


「なぜ、わたくしを裏切ったのか、


 スーザンは、ゆっくり顔を上げた。


「……ひとえに、お世話しがいがないと感じたからでございます」


 メイベルは眉を上げ、オズワルドらは困惑した。一人だけ、バーナードだけがピンときたような顔をする。


「というと? フィリッパは、ギルドに関わったことと、大神官の件が主要因だったようだけれど、あなたはそんなこと関係ないのね?」

「はい。フィリッパ様は暴れ馬のような御方でした。そちらの方が楽しゅうございましたので、フィリッパ様の思うがままに付き添いました」

「ふぅん?」


 メイベルは首をかしげる。

 傍に控えるオズワルドは、自分の従者を見た。


「バーナード、お前、なにか分かったような顔をしているが、なにか分かるのか?」

「推測を申し上げてよいのでれば」


 バーナードが言うと、オズワルドはメイベルを見た。メイベルはうなずく。


「構わない。言え」

「はっ。それでは。……おそらく、世話をする形で、スーザンは他人を支配したかったのでしょう。スパイの疑いもありましたが、そのような痕跡は一切ありませんでした。つまり、この者は純粋に、己の欲求を満たしていただけです」


 なるほど、それで。

 オズワルドは納得した。それで、常に淡々としていたのか。神々が有象無象をどうでもよいと思うように、それと似た精神構造なのだ、スーザンという侍女は。


「ふぅん?」


 メイベルはもう一度、首をかしげた。


「一つ聞くのだけど、あなた、自分の実家がどうなってもいい?」

「人並には、愛着がございます」

「じゃあ、あなたの罰は決まりね。ちょうどいい話があって」


 メイベルはにっこり笑った。


「ベルックリン子爵ユポンセル家の娘、スーザン。あなたはこれより、この私のしもべになりなさい。これは誓いゲッシュよ。あなたは私を裏切れない。あなたはあなたが生きている限り、私の世話をしなければならない。私が誓いゲッシュを解くその日まで。これに従うなら、あなたの実家のことは不問とする」


 バーナードがそっと尋ねる。


「僭越ながら、本当によろしいのですか?」


 聞かれたメイベルは、うなずいた。


「ええ。私はお世話しがいがないんでしょう? 私は都合の良い世話係が欲しかったの。一人でも生活できるけど、やりたくない雑用を任せられるなら、それにこしたことはないじゃない?」

「男でもできる雑用なら、俺がやるけど」


 オズワルドが唐突に言った。

 メイベルは瞬く。


「え?」

「え、て。どうして俺が行かないと思ったんだ」

「隣国の王子に来られても……。留学とか受け付けてないです……」

「君と俺の婚約は解消してないされてないが? というか姉上の宣言式の後はこっちの結婚式という話だったろう!」


「あれは単にそういう流れかと……」

「あ、まさか、君な、伝統ある隣国の王子が、新興国の王配になるわけがないとでも思ったな!?」

「おっしゃるとおりです……」


 数秒、二人は見つめあった。


「あのー、言っておきますが、――俺もついていくからな」


 二人に割って入るように、バーナードは真顔で言った。


「あ、オレもです!」


 貴族の落とし前を見せられて、えげつない、という感想を持つリオンは、オズワルドと渡航する気満々であった。


「……俺も、お許しいただけるのであれば……」


 一族が失態をした手前、ハワードは小さな声で言う。

 反対に、グレイスはふんぞり返っていた。


「まあ、俺はとうぜん、ハーフエルフで騎士なので? メイベル様についていきますが。なので、侍女はともかく彼らを置いていっても問題はありませんよ。女王陛下」

「ほう? その心はなんだ」


 オズワルドが剣呑に眉を上げる。


「ふふっ」


 唐突に、スーザンが笑った。全員が振り返る。スーザンはすかさず笑った理由を述べた。


「ええ、そうですね。率直に申し上げれば、しがらみもなくお二人が揃うと、ポンコツになるご様子。お世話しがいがあります」

「ぽんこつ?」


 とは? 生粋の貴族子息は全員、知らない単語に小首をかしげた。


「んんん」


 一方、俗語を理解する庶民育ちはむせた。


「……これには相応の理由があって」


 貴族育ちでもギルドに所属していたメイベルだけが、その意味を理解して唇を尖らせた。しかし。そもそも、スーザンが世俗の言葉を知っているのはメイベルのせいである。


「――いかがいたしますか?」


 お世話しがいがないから、スーザンを使う。

 その前提が崩れた今、罰は機能しないと見ていい。だから、それでも? と、侍女は問う。

 それでも。と、メイベルは気を取り直して、うなずいた。


「あなたが私のしもべになることは決定事項。あなたは一生、私の奴隷。諦めなさい」


 そう言われれば、元より抵抗する意志などない侍女に頷かない理由はなかった。


「御心のままに。女王陛下」


 スーザンは、あらためて首を垂れた。

 そして、すっと顔を上げる。


「では、さっそく、お伺いいたします」


 バーナードの視線を受け、今の状況と長年の経験から、その意味を一から十まで理解したスーザンは、うなずいた。


「婚姻は正式に行われるようですが、まさか、そのような状態で、臨まれるおつもりでしょうか。面倒事になるのは目に見えていますので、いま、ここで、お互いをどう思っておいでか、お話しください。嘘偽りなく。飾り立てる必要もありません」

「え?」

「ん?」


 スーザンの言葉を理解しかねて、メイベルとオズワルドは瞬いた。

 しかし侍女は、二人が逃げるのを許さない。


「ええ、ですから。端的に。お二人は、お互いを想いあっておられますか? 義務としてではなく」


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