第18話 誰がために居る場所
「――!」
ハッと、メイベルの意識は浮上した。
「い、いまのは、なに……?」
夢だったのだろうか?
オズワルドに待っていると言われたこと、ユージェニーに自由になれと言われたこと。
ほとんど同じ頃に言われたあれらは。
「……いいえ。あれは、夢じゃない」
夢ではなかった。
どれもすべて、メイベルが確かに関わったことだ。
メイベルは確かに、あの場所に居て、彼らと会話をした。それは揺るぎない事実である。
今いるところは真っ暗闇だった。神君竜王に出会った場所を思い出させる。しかし似て非なる場所というのは、段々と理解してきていた。
正体を知らされたからか、それとも本来の居場所に帰ったからなのか、急速な覚醒がこの身に起きていることを、メイベルは自覚していた。
神君竜王と出会った場所は、
そして今ここが真っ暗闇なのは、ここが地中深く光のない場所だからである。
真にヨルノス遺跡とも言うべき場所だった。
神君竜王が、ひそかに守り続ていた神殿である。
「行かなくちゃ」
ハッと気づき、メイベルは顔を上げた。
さきほどの、分身をしていたかのように見えた二つの会話は、それぞれメイベルが同時進行で視ていた未来であり、現実だった。
恐らくそれが、当代の土地神としての権能。或いは、分御霊を作り、力を細分していない土地神ならではの権能か。
そして、メイベルの好奇心がこの権能に由来するのか、この権能を秘めていたからこそ好奇心を止めらなかったのか。影武者も、分身したかのような未来視と通ずるものがある。
ともあれ気づいたことは、オズワルドの竜化が深刻ということだ。おおかた、肉体はアルビアン<聖なる獣>であるから、神君竜王の魂を持つために共鳴して、竜化が起きたのだろう。
竜化といっても、あの様子だと、行きつく先はカースド・メラース、呪われた獣だ。
本来なら生まれるはずのない、相反する竜の因子を持つために発生した、メイベルが自覚なく抑えていた呪い。
他ならない
メイベルの聖女としての力が、弱まっていたこともあるだろう。さっきだってオズワルドにかかった呪いを解こうとして、その力をほとんど発揮できていなかった。
聖女の力の源は、アルビアンの加護になる。
ヨルノスレルムの土地神として覚醒しつつあったメイベルが、アルビアン竜王の庇護下から外れて、聖女の力を弱めるのは自明だった。
とうぜんながら、その竜化は呪いの元である二つの竜の因子が、反発し合いながら起きている。その苦痛たるや、実際に身を引き裂かれているのと同じだろう。
それをおして、彼は。
「――――」
一瞬だけ、メイベルは迷った。
「待ってる……。あなたに待っていてと言われた私は、ここで待ってる。ずっと」
だけど。
メイベルはそっと手の平を握り、胸元に抱える。
顔を上げる。
「でも、どうして私のことに気づいたのか知りたいから、知りたい私は聞きに行く!」
竜化のことも心配だが、それだと恩着せがましいというか。そもそも、知りたい気持ちを抑えているのが性に合わなかった。すぐ来ると聞いていても。
そうでなければ、影武者を用意してまで好き勝手していない。
それに、ユージェニーは自由であれと言った。弟のことに関して、敬愛する義姉がそう言うのだから、ユージェニーにそう言われた私は、このくらい自分本位で動くのだ。
だって、メイベルはもう、自由なのだから。
ヨルノス遺跡に辿り着く前は。
庶民からは置き去りにされ、貴族からは追放され、メイベルにはもう、居場所なんてないと思っていた。
唯一の寄る辺と思っていた人たちは、彼らが持つ義務を思うと頼れなくて。
そのような中で、魔王の嫌疑を掛けられては、居場所なんて本当になくなった。
生まれた時からの疎外感。
メイベルという存在は、魂から根本的に人と違ったのだと理解して、誰とも相容れない現実に虚しさと、安堵のようなものを覚えて。
この孤独は、なにもおかしくなかったのだと。
――でも。
彼が、手を取ってくるから。
神の場を引き離すように、竜たちから引き離そうとするから。
もう少し、ここに居てもいいのかなと、思うのだ。
風を切るように空間を抜けた。
メイベルは、今まさに攻撃に転じようとしているオズワルドの前に立つ。魔力の奔流にバサバサと長い髪を散らしながら、竜神たちを睨みつけた。
「メィ……!」
「これなるは! 神君竜王の魂を宿し! アルビアン<聖なる獣>の肉体を持つ者! 分御霊に等しければ! すなわち! そなたらの子も同然のはず! みずから我が子を苦しめて、思うのところはないのか!」
「――御前」
神君竜王が平伏し、アルビアンがすぐに倣った。オズワルドは唖然とそれを見る。
「御前、この地の主として、御目覚めになられたと見る」
「答えよ、なぜ苦しめる」
アルビアンが答えた。
「不要だからだ。御前の言われる通り、あれなるは我が血肉。我が庇護の下にあり、加護を与えられる者。それが神君竜王の魂を宿しているなど言語道断。この上、我が眷属の立場にありながら、御前を利用し、御前を理由に侵攻させていた軍を撤退させた。処分するほかない」
アルビアンの最大の強さは、損なわないこと。
加護を与えることは信奉と引き換えで、力は失わない。その上で手足を得る。たとえ信奉者が消えようとも、彼らを欲しないアルビアンには痛くも痒くもなかった。履いて捨てるほど居る有象無象。
付き合いの長さから、分御霊にも等しい一族が生まれても、低きに流れる水が瀑布となっているだけである。等しいだけで、土地神にあるような、死に至るほどの負のフィードバックは起きないのだ。
だが、土地神がそうであったように、この世界で分御霊とは魂を分けた存在で、死には至らずとも失っては取り返しがつかない。
それがアルビアンが唯一執着を見せた存在に現れたのだ。
しかも、それぞれの竜の身許から離れようというのだ。度し難いに度し難いをどれだけ重ねたら気が済むのか。
アヴァルランドの守護竜にとって、アルビアン<聖なる獣>に連なる者とは、とうぜん我が身そのもの。それだけの物と引き換えての加護である。
メイベルは言った。
「ならば。これなる者、私がもらい受ける」
「それは困る。それなる者の魂は、御前を守ってきた神君竜王の生まれ変わり、」
神君竜王がさえぎった。
「アルビアン。なおのこと、カレには御前の傍にいてもらおう。私は須らく命を許す神ならば。その行動を制限しない。そして、キミも分かっているだろう。この地にあって、御前は絶対的な立場にある。御前が決めたことは覆らないよ」
アルビアンは鼻を鳴らした。
「抗議する理由があって、それを為さぬのは愚か者のすることだ」
「そなたの言葉を認める。だが、この者の所在は私の一存に変わりはないことは心得よ。さすれば、この者の魂を神君竜王に還すため、私を使ったことは不問とする」
言いながら、メイベルはだんだん顔色を悪くしていく。
オズワルドを守るため、覚醒したばかりの、ヨルノスレルムの土地神としての意識を強く保っているが、そのせいで血の気が引いているのだ。
まだまだ人としての意識が、竜王と対等どころか上に置かれて対話していることに、畏れ多い感情をもたらし、メイベルをそのような状態にさせていた。
「……心得よう」
それを見てとると、アルビアンは今一度、鼻を鳴らして引き下がった。
途端、メイベルは力が抜けてしまい、へたり込む。
「メイベル!?」
オズワルドが、メイベルよりはずっと重傷の身体を引きずり、慌てて前へ回り込んだ。
「大丈夫か!? なぜ来てしまったんだ。待っていてくれと……!」
「ええ、待ってる。あなたにそう言われた私は、待ってる。今の私は、あなたがどうして私の状態を知っていたのか、それを知りたくて、ここにいる私」
「屁理屈だろう、それ」
そう言われると、メイベルは軽く笑ってしまった。
「そうよね。でも、違うの、本当に。だから、あの言葉が本当なら、あとでちゃんと、迎えに来てくださる……?」
「あの言葉は本当だ。約束する」
オズワルドは力強く言った。メイベルは、ほっと息を吐く。
「……よかった。最初は、あなたの言葉を信じられなかった。でも、オズはどちらか一方を選ぶのではなく、両方を取ろうとするでしょ。昔からそうだった。留学も、ユージェニー様の立場を守るだけではなく、あなた自身が見聞を広められるからと、いろんな国へ行ったでしょう。だから私、それを信じようと思って」
信じてよかったと思いたい。胸の内にくすぶる不安を隠すように、メイベルは言葉を重ねた。
「あ、でも」
不意に、メイベルは意地悪な笑みを浮かべて、オズワルドを見た。
「思春期のころは、そうでもなかったようだけど」
「頼む。忘れてくれ」
オズワルドは臍を噛み、先程より早く答えた。
「ああ、いや、君の献身を否定するつもりはなくて……」
メイベルは柔らかくうなずいた。
「ええ、はい。信じているから、これからの、ために」
二柱の竜王が見守って、メイベルとオズワルドの傍にいる。
オズワルドはそのことに気づくと、自分の身体が元に戻りつつあることにも気がついた。
「大丈夫よ、オズ。あなたの好きにしていい。私はこの地に住むことになると思うけど、オズは国に戻って大丈夫だから」
「なにを言って」
オズワルドは頭を振った。
「……君が今現在、どれだけのことを知っているのかは分からないけど。……俺は、俺が選べる最善を選ぶよ」
今後なにがあっても、間違えてはいけない選択を、おろそかにしないように。
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