第三章

第17話 王都にて王女は咲う

 少し前。王宮のユージェニーの私室で、第一王女は楽しそうに話を聞いていた。


「ふんふん、ふんふん。なるほどね。アルビアン竜王は、神君竜王を失うことを恐れたのね。それで、いっそのこと自分の手で……」


 心地良い風が流れ、さらりさらり髪が揺れる。

 王女の正面にはおぼろげに揺れる少女の姿があり、ユージェニーは彼女から今起きていること、かつてあった出来事を教えてもらっていた。


 そして今まとめているのは、二柱の神が魔王と呼ばれるようになった戦争の原因で、ユージェニーは、今も昔も変わらない世の常に息を吐いた。


「神とは概念の体現者であり、とうぜん、その性質は揺るがない。水が低きに流れるように、アルビアンは己を信奉する者への加護エンチャントを止められない。ほんのわずかであれ」


 正面に座る少女はうなずいた。


「はい。同じように、神君竜王は命を許し続けます。なにがあっても、どうあっても。裏切られても」

「たった一柱だけを愛しても」

「でも、アルビアンだけを許し続けることもできた」


 そんな未来はなかったけれど、神君竜王はそうすることができた。

 ユージェニーは笑った。


「ふふ。それは他でもない我らが守護竜が許さなかったわ。私がそうであるように。だから痴話喧嘩なんかでこんなことになったのよ?」

「痴話喧嘩……」

「要はそういうことでしょう? そうして、我が先祖が利用し、この地に礎を築いた。不幸な出来事だわ。とても」


 ユージェニーは憂いを帯びた吐息をこぼすと、目の前の少女を見た。


「だから、ねぇ、メイベル。私の可愛い義妹いもうと。弟に尽くしてくれるのもいいけど、あなたはせっかく自由を得たのだから、もっと好きに使わないと」


 メイベルは、幽体のような自分の身体を見下ろした。


「そうは、言いましても……。なにがどうなっているのか、私にはさっぱりなのです」

「そう? ここにいるあなたのことは簡単ね。私が望んだのだから。あなたはそれに答えただけなのよ」


 ユージェニーがさらりと言うと、メイベルは感心した。


「本当に、ユージェニー様の慧眼には恐れ入ります。今まで起きたことをお話しただけで、こうも詳らかにされるとは」

「逆よ。あなたが詳らかにしたの。たとえ過去を見ただけ、としてもね。それを正確に教えてくれたから、私はあなたの話をまとめることができたの」


 ユージェニーは目を細めた。


「あなたがヨルノスの土地神だったなんて驚いたけど、この地に起こったことを知ることができるなんて素敵ね。世の常だけれど、起こったことって、記録を残そうとしても消えてしまうものだもの。消そうとするなら、なおさらだわ。でも、消えないものもある。あなたの容姿のように」


「魔女の証ですね」

「そう言われているわね。今となっては、ヨルノスレルムの主君として、らしい姿ではないかしら。偶然か必然かは、私の与り知らないところだけど」

「……ユージェニー様は、まるで……」


「ええ。我が国は魔王討伐を名目にヨルノスを侵略した。そして返り討ちにあった今、報復を恐れている。すべてはあなたの意志一つ。あなたには報復の名の下、アヴァルランドを攻め入るチャンスがある」


「人である私は、まだアヴァルランドの一国民です。私がヨルノスの王になるのであれば、その筋書きもありえましょうが……」

「駄目よ、メイベル」


 ユージェニーはぴしゃりと言った。


「いい加減、目を覚ましなさい、シャーロット・メイベル。あなたは、気づいていない振りをしているだけ。多くを見て、それを理解する力を持っているのに。無害の振りをして無能になっていては、そんなの百害あって一利なしだわ」


「しかし、」

「侵略の阻止だけが目的だと? ああ、メイベル。あなたの忠誠は王家にとって、とても好ましいものだわ。でも、報いてあげる必要はないわね? だってあなたのそれは、女王陛下に生かされて、恩義を感じているのが理由だもの。だから、ね、全部を言わなくては、いけないのかしら」


 そう言って、ユージェニーは含みのある笑みを浮かべる。


 メイベルは唇を噛み締めた。メイベルはできることなら、これ以上、政に関わっていたくなかった。侵攻を止めたかったのは、愛着あるヨルノス遺跡を踏みにじられたくなかったからだ。だがそれ以上に、大きな事実があった。

 メイベルは、義姉ユージェニーを敬愛していた。


「……殿下、ユージェニー王女殿下。ええ、はい。仰っていただかないことには、思い違いがあっては困ります」


 そうメイベルが意を決して言うと、ユージェニーは花咲くように笑った。


「待ってたわ、そう言ってくれるのを。一歩進展かしら。ええ、ええ。言葉にしましょう。私たちのために。さ、あなたと私はこれから一蓮托生よ」


 そうしてユージェニーは、メイベルの揺らいでいる姿など物ともしないでそのを手を取り、こつんと額を合わせる。ささやくようで、確かに伝えようとする声がメイベルの耳朶に届いた。


「そうありたいの、私が。私とあなたが王になったとき、当然ながら私たちは対等よ。同時に、家族でもある。あなたは私の義妹いもうとであり、私が敬うあねとなるの」

「私たちは、手を取り合うのですね。そうして他国からの介入を避け、国内での恒久的な主権を保ち続ける」


「ええ。我らが祖アルビアン竜王と、神君竜王すら下に置くあなたの力が、それを可能にする」

「それだけではありませんね? アヴァルランドは近年ギルドの力が増しています。反対に、教会の力は陰りを見せています」


 メイベルがそう言うと、ユージェニーは悪戯が見つかったとばかりに軽く肩をすくめて笑った。


「空気の入れ替えに、ちょうど良さそうだと思って。増長させるつもりはないのだけれど、あなたが所属していたパーティー、見せしめにどうかしら」

「……私は使いたくありません。出来ることなら、救済をしたいと思うのです。あれは、私が余計なことをしてしまったのではないかと、気がかりがあって。ユージェニー様の名の下に、御慈悲を賜れませんか?」


「あなたがそう言うのであれば、構わないわ。でも、欲がない子ね。そういうところが、無垢な魂の証なんでしょうね」

「お戯れを仰らないでください。汚点のようなものなのですから」

「汚点だなんて。ふふ。あなたが口にするにしては、珍しい言葉を聞いたわね。ねぇ、他にはないの? 言ったでしょう、あなたはもっと自由にならないと」


 メイベルは困ったように、目を伏せた。


「……すぐ思いつくようなことはありません。まずは、教会の暴走を止めないと」


 実権を回復させたいのだろうが、逆鱗までとはいかなくても、竜の尾を踏んでしまった。その被害に遭う者たちが哀れだ。それがヨルノスの大地に根差す動植物であれ、アヴァルランドの無辜の民草であれ。


「その言い方だと、あなたのことだから、フィリッパのことは関係ないんでしょうね。いいのかしら、彼女、私の弟と結婚したいみたいよ?」

「そんなことを言っていたのですか?」


 驚いて視線を上げる。彼女の目的がそんなことだったとは。結局のところ、メイベルに起きたことは、自分の侍女に夫を寝取られるのと大差なかったらしい。


「大神官からの言葉よ。分かりやすいったら。弟もさすがに気づいたみたいで、久し振りに怒った顔をしていたわ。あの顔で出歩いていたと思うと、相変わらずね、としか言えないのだけれど」


 そう言って、ユージェニーは肩をすくめた。

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