第13話 邂逅

 かすかな振動に、メイベルは顔を上げた。


「地震?」


 とっさに転移石に触れながら辺りを警戒して、危険がないか見守る。


「――わっ」


 大きな揺れがやってきた。下から恐ろしい音を立て、迫りくる。


「えっ、転移石が使えない!?」


 メイベルは悲鳴を上げた。浮遊魔法も使えない。魔法そのものが見えざるなにかに邪魔立てされていた。

 地面が割れて落下する。

 メイベルはすぐに杖を突き立てたが、突き立てた岩ごと下へと吸い込まれた。


「うわっ、あ?」


 ぼよん、と柔らかいものがメイベルを守った。岩盤の崩落に巻き込まれて死んでしまうのかと思っていたメイベルは、クッションのような感触にきょとんとする。


「――大丈夫?」


 全身を包み込むようで、魂に染みこむような、幽かな声がした。


「え?」


 メイベルは顔を上げる。暗がりでも見えるようにしていた魔法は、とっくに効果が切れていて、その姿ははっきりとしなかった。


 さっきから魔法が使えない状況に、身体が思い出したようにこわばる。完全な真っ暗闇というのも拍車をかけた。


「あなたは、誰ですか? 私を助けてくださったのですか?」

「おそらくは。……ごめんね、キミからカレの気配がしたから。魔法が使えないのは、そのせい」


 声は頭上から響いているようだった。

 音を頼りに周囲を探りながら、メイベルは相手の言葉を咀嚼する。


「ここでは彼にまつわる魔法が使えないのですね」


 悲しそうな気配を漂わせて、無言の首肯が届いた。


「彼というのは」

「アルビアン」


 メイベルは、ハッと目を瞠った。否応もなく思考が一つのことに染まる。


「じゃあ、あなたは……!」


 声が震える。


「うん。そうだな。魔王とも、神君竜王とも、呼ばれていたよ」


 失われた魔法ロスト・マジック。嘘を許さない言葉だった。真贋を伝える魔法である。昔はこのように、名乗りを上げる際に本物であると証明するのに使われたと聞く。――本当だったのだ。


「神君竜王!」


 メイベルは古代式にひれ伏した。今までかき集めた知識が、役に立つと信じて。


「お会いしとうございました。私はヌーンヒルの血族コルートの子孫、シャーロット・メイベルと申します。いにしえには、神君竜王の庇護下にあった一族にございます」


 そこまで言って、メイベルはもう一つの呼び名に顔を上げた。


「……魔王?」


 それと同時に、パズルのピースがハマる音がする。

 ここに来る前の魔王は言っていたではないか、魔王は二柱居たと。互いの民が、そう罵り合ったと。争いがあったことは知られていて、神君竜王と争い、あまつさえ打ち勝ってみせたのは、他ならぬ――。


「魔王は、神君竜王とアルビアン竜王……?!」




 昔々、遥かな昔。

 アヴァルランド王国が生まれるより前。

 二柱の竜が、いた。


 一柱は、名を持たず、その慈悲深さから神君竜王と呼ばれていた。ヨルノスの地に生きる、あまねく生命を庇護していた。

 もう一柱は、アルビアンと呼ばれていた。アヴァルの民にあがめ奉られ、彼らの民族移動とともにヨルノスの地にやってきた。


 彼らは最初、争うことなく暮らしていたけれど、そのうち均衡が偏り始めて人々の戦争が始まった。


 神君竜王の権能は、生存権のみ。

 対するアルビアンの権能は、力の付与。アルビアン竜王をあがめていれば、人々はほんの少しだけ強くなれた。

 甘い汁を啜り飽くなき欲望を抱える人間にとって、都合がいい神は後者。


 魔王と呼ばれあった竜の神は、神君竜王が斃れヨルノスレルムが滅び、アルビアンが守護竜として名を遺すようになると、そのうち魔王の存在だけが独り歩きして、アヴァルランド王国の神話に都合よく編纂された。




「眠る前に、アルビアンにそう怒られていたのだけど、どうやら今もそのようだね」


 地上の話を聞いて、神君竜王は小さくため息を吐いた。


「守護竜陛下は復讐されることを望まれているようでした。おそらく、神君竜王陛下が想像するより、ヨルノスの地は……」


 メイベルは痛ましい事実を告げることに、一度唇を結んだ。


「……たとえば、私の、この赤色の髪と、緑の瞳は魔女の証として忌み嫌われておりました。コルート家はその血筋こそ、ヌーンヒルの地に根差したものであれど、神君竜王がお目覚めになった今、あなたの臣下となりうるのは私一人しかおりません」

「……そうなんだね」


 神君竜王は居住まいを正すように、黒い影を揺らした。


「顔をお上げ。ヨルノスの子。つらいことを言うのだけれど、キミの言う魔女の証は、私の臣下の証ではない」

「えっ?」


 言われて顔を上げたメイベルは、また振り出しに戻るのかと青褪めた。

 しかし続く神君竜王の言葉に、固唾を飲む。


「私たちはなにも、魔王と呼ばれあっていたわけではない。私たちは代理にもならない……。僭称と誹られても致し方がない。キミが現れたなら、なおさら……」


 今度こそ、メイベルが望む希望の芽か。

 だが、情報は知り過ぎてしまったら毒となる。本当のことを知ってしまったら、それが特に権力者にとって都合の悪いものだった場合、死を以って消される。


 メイベルは、自分がとっくに国賊として処理されているだろうことを理解していたから、天秤は好奇心にかたむいた。毒を食らわば皿まで、だ。


「どういうことでございましょう?」

「アルビアンが来るよりさらに先、私がヨルノスの地に降臨するより前に居たのだ。この土地の真の主が。カレはヨルノスの化身。すなわち、土地神だ。キミの祖先は正しくヨルノスの原住民であり、それ以外の人間はすべて異邦の民に過ぎない」


 メイベルは頬を紅潮させた。葬り去られた真実が暴かれたことより、遺跡好きの性質が気持ちを上回ったのだ。


 メイベルにとって、神君竜王より前の時代など、編纂されて消えてしまった歴史も同然だった。現存する遺跡も、もっとも古くて神君竜王の時代とされている。

 それが今、さらに古い時代の本当の歴史が語られている。興奮しない方がおかしい。


「魔王とは、ずっと昔に異邦の民が、自分たちを受け入れてくれない土地神を、そう呼んでいたのが始まりだった。それを後の者たちが争いに利用して、私たちを魔王と呼んだのだ」

「では、その土地神も、いま眠っておられるのですか? 陛下はなぜ、この土地をお治めになられたのでしょう?」


 自然と、メイベルは前へにじり寄っていた。

 真っ暗闇で魔法を使えないままなので、竜がどこにいるのか分からないままだったが、はやる気持ちがそうさせたのだ。


 竜の方は、頭を振った。


「いいや、残念だが、土地神は私がこの地に訪れたころに消滅した。私は永い眠りに就いただけだったけど、土地神の方は大地と根づいていたから、異邦の民が原住民を殺すほどに力を失い消えてしまったね」


 一言で表せば、凄惨な過去であった。

 普遍的な歴史でもある。


「土地神が栄える大地は、そのすべてが土地神の力によって生まれている。大地のすべては土地神の分御霊。原住民が減っていくというのは、土地神の生命力が殺がれるということ。だから、私が来たころには、大地はだいぶ不毛の土地になっていた」


 しかし、たとえそれが普遍的なことであれ、痛ましいことには変わりない。


 神君竜王の権能は、あまねく生命をすべからく生かすこと。命が命に厭いても、生きることを許し続ける。


 さすらいの神は、いよいよ骨を埋める時が来たのだ、と心に決めると、ヨルノスレルムに降り立った。

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