第3話 どうやら追放置き去り婚約破棄されたようです③

「信じられない話だったな。……だが、俺には反証できる材料がない」


 オズワルドのそれは、本心を窺えない淡々とした声音だった。メイベルは微笑する。


「王子は敏くていらっしゃいます」


 今度こそ、王子が顔を歪めたのが分かった。


「……今は二人だけだ」

「御冗談を。バーナードが控えていないはずがありません。もう一人のお方は? こちらは初めての気配です」

「召し上げたばかりの騎士だ。後で紹介する」


「いいえ、御遠慮申し上げます。わたくしは悪女と噂されておりますのに、どうして王子の護衛とお会いできましょう。わたくし、実家からも勘当された身ですので。このうらぶれた屋敷に一人でいては、寂しくて寂しくて、縋ってしまいましょう」


 メイベルはこれでもかと言うので、オズワルドは苦笑した。


「思ってもいないことを言う」


 メイベルは手を合わせた。


「ええ! 人々が噂しそうなことを言っただけですから。……正直に申し上げますと。私、神君竜王の御降臨をお待ちしているのです」

「神君竜王を? なぜ」

「もちろん、救済伝説を当てにしてにしてのことです」


 モンスターすら救い上げたという神代の存在だ。夢見がちなことは分かっているので、心なしツンと答える。オズワルドは笑わなかった。


「——俺は、頼りないか?」

「なぜ、そう思われるのです?」

「たとえば、俺は王都をよく離れる」


「殿下が王都を離れていらっしゃるのは、姉上様の地位を脅かさないためでしょう。殿下は長子の系統に百年ぶりに生まれた男子であらせられます」

「俺が生まれていなかったら、従兄がその役目を負っていたんだろうな」


 オズワルドは頭を振った。


「そうじゃない。君にとって、俺は頼りになるのかどうかだ」

「嘘偽りなく申し上げれば、殿下を頼りないと思ったことはありません。さりとて、御頼りする機会もありませんでしたから」


 メイベルは説明した。


「人の目もございますし、大神官の太鼓判まで押されてしまえば、なかなか……。しかし、今こうして殿下がわたくしの許へ急いでくださったことは、とても嬉しく思います」


 最後の言葉には気恥ずかしさが上回り、メイベルは目を伏せた。


「そうか」


 オズワルドもそれを感じ取ってか、気配が緩む。


「だったら俺も嬉しい。急いだ甲斐があった」

「わたくしの、謂れのない罪を晴らしてくださるのですか?」


 思わず口が衝いて出た。

 オズワルドは、メイベルを見てゆっくり頷く。


「……そのつもりだ。それに、女王陛下にも姉上にもお聞きしなければ。君は俺の婚約者だというのに、何をなさっておいでだったのか」

「勿体ないお言葉です。そうおっしゃってくださるだけでも、わたくしは胸のつかえが取れました」


 オズワルドは改まってメイベルを見た。


「侍女のことは残念だった」


 影武者を立てメイベルが王都のみならず色んな外へ出歩いているのを、オズワルドは知っていた。


 メイベルは頭を下げる。自分も王都を離れてばかりだと後押しをしたのは、他ならぬ彼だった。


「殿下にはお気を煩わせてしまい申し訳ございません。お互いの利に適った行いだと思っていましたが、フィリッパには別の目的があったようで、わたくしはこれを見抜けませんでした」


 王族の結婚は国の祭事。その第一王子の為人が清廉潔白で知られていればこそ、婚約者に不埒なゴシップがあってはならないのだ。

 だが貴族の社交界では、そんな醜聞など体のいい暇潰しだ。


 要はコルート家が権力争いに敗れたということになる。しかし敗れたという割には、被害はメイベル一人で済んでいた。むしろ当主の様子からして予定調和だったのではないか、というくらい壮健である。


「フィリッパの目的は不明です。わたくし個人への私怨か、コルート家の失脚のために雇われたのか、貴族への恨みを個人で晴らしたのか、すぐに思いつくのはこれくらいになります。眼に力がありましたので、彼女の趣味ということはないかと」


 一番はメイベル個人への恨みだが、それ以外も含めどれも確証はない。


「スーザンは? もう一人の侍女の。彼女は子爵令嬢だろ」

「スーザンは共犯者であれ主犯ではないでしょう」


 メイベルは、自分が見てきた侍女の性格を思い浮かべた。


「彼女が主犯であるなら、彼女自身に意志を感じられたはずです。しかし、スーザンは普段通りの様子でした。単純に鞍替えしただけかと。実家の子爵家の方も勝ち馬に乗っただけです」


「俺に不審を抱かせてまでもか」

「どれほどの深謀遠慮で動いているのかは分かりませんが、彼女たちはわたくしの侍女を務めていただけあり、証拠は十分なものでした」


 オズワルドは頷いた。今の話と合わせ、王都で起こっていることを解き明かす必要があった。


「君の話とまとめて対処する。君はこのままになるが、かならず終わらせるから、待っててくれ」


 金色の目がメイベルを射抜いた。暗がりで逆光で見えにくいはずなのに、力強さが伝わってくる。


「お待ち申し上げております、殿下」


 メイベルはその様子に頼もしさを覚えた。だからオズワルドが去ると、彼の身の安全のため魔法の風を飛ばした。ダンジョンでもおおいに活躍した索敵術の一つである。


 簡単に言えば周囲の音や気配を拾う魔法だが、術の性質が性質なので盗み聞きにも適した魔法である。メイベルにそんな意図はなかったが、図らずも王子の話し声を耳にすることになった。



「……シャーロット・メイベル・コルートの様子はいかがでしたか」

「まるきり他人行儀だったさ。とうぜんだけど……。お互い、あまり相手のことを知らない。俺も、彼女が魔王でない確証を持てない」



 ふらりと、よろめいた。そんな自覚はなく、メイベルはずるずると壁に寄りかかる。

 魔王とは、なにか。


 王子をお守りするはずの魔法で、裏を探るようなことになってしまった。殿下がメイベルを訪れた本当の理由を知ってしまった。また身に覚えがないことを言われていた。

 吐息のようなささやきが零れた。


「なにを期待していたんだろう……」


 誰もメイベルを擁護しなかったのに。

 仲の良い婚約者だったからといって、外を飛び回ってばかりで、あまり会うことのなかった王子が、メイベルを信じてくれるなど虫のいい話であった。メイベル自身もそのつもりでいたのに。


 たった一つの秘密を共有していたからといって、浅ましくも心のどこかで期待していたらしい。


 殿下は最後の砦だった。悪しき魔女の証とされる赤毛と緑の目をしたメイベルを、疎まずにいてくれた人だった。

 もうとっくに、元婚約者に過ぎなかった。


「頼ってたみたいだよ……私も知らない、心のどこかで……」


 彼がそのつもりだ、と言った時、わずかに間が空いていた。それが本当の答えだ。

 失くしてから気づいてばかりで、あまりにも滑稽で、メイベルは自分を嘲笑った。


 雨はまだ、降り続けている。

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