第2話 どうやら追放置き去り婚約破棄されたようです②
実は、先ほどから雷鳴だけは遠くで聞こえていたので、それがやってきたのだろう。メイベルが見上げる窓に、点々と水滴が張りつく。
満月の夜で、まんまるのお月様が半円形の窓にいい具合に映っていたのが、水滴で少しずつゆがんでいく。
それが知らない間に侍女に嵌められていた己の姿と重なれば、暗雲はあっという間に星空を覆い隠し、大粒の雨がこれでもかも窓を打ち鳴らした。
ピカリ。空が光る。音はすぐに聞こえた。
メイベルは雨に濡れるのもお構いなしに窓を開けた。風が雨ごと吹き込んで、涼しいより先に冷たいと感じる。
それで良かった。雨に濡れていないより、雨に濡れている自分の方が今の心境に合う。捨てられた子犬が雨の中、くぅん、と鳴いているような。こんなにも冷たい雨だ。哀愁を誘う。これはもう拾うしかないだろう。
閃光が鳴った。それくらい光と音が重なった時、メイベルの胸裏にそれは閃く。メイベルはぐっと拳を胸元で握りしめた。
「そうだわ。これはもう、神君竜王が現れて、気紛れに私を拾うのよ!」
そして腕を組み、うんうん、と満足げに深くうなずく。
「様々な種族を平等に救ったと言われる神君竜王だもの。その御心は広いから、きっと人が犬を拾うように可愛がってくれるに違いないわ」
正直、そう思っていないと、ちょっとやってられない。
古来より紡がれる、竜王の救済伝説は枚挙にいとまがないのだから、王都から追放され実家からも勘当され、片田舎のボロ屋敷に追いやられた今くらい、妄想したって罰は当たらないだろう。
救済される側は、たいてい強者に虐げられた民草なのは言いっこなしだ。救われる貴族の逸話だってないこともない。
風がいっそう強くなり、部屋のカーテンとメイベルの長髪がバサバサとはためいた。雨粒も無遠慮に部屋へ侵入し、外と同じような有様になっていく。
質の良い絨毯が変色していったが、メイベルは、まあいいか、と視線を外に戻した。先日に擦り付けられた悪役令嬢の、趣きを感じてのことだった。
この家に家主は居ない。或いは、メイベルが新しい主人ということかもしれなかった。この部屋がびしょ濡れになり、家の中の物が傷んでしまおうが、すべてはメイベルの意志一つなのだ。メイドも居ないのだから、手を煩わせる人を考える必要もない。
広い屋敷で独りぼっち。
部屋を替えれば遠く町の灯火が見えたかもしれないが、メイベルが今居る部屋は明かりがついておらず木々を正面に真っ暗闇だった。満月だけが、雨雲にかろうじて遮られずメイベルに光を差し込んでいる。
いまさら窓を閉め明かりを灯そうという気にもなれなかった。生まれたての捨てられた子犬が、軒下に吹き込む冷たい雨から逃れる術を持たないように。ダンジョンに捨て置かれて、一人で踏破するしかなかったように。
あの時ほど、神君竜王を奉った壁画に感動したことはない。壁画は薄汚れていたが、青白い燐光を散らし美しかった。
だから人間が、雨に降られた哀れな子犬を気紛れで拾うように。神君竜王がメイベルを拾ってくれないかと夢想するのだ。きっと拾ってくれるに違いない。
「……?」
まだしばらく夢想に浸っていたかったが、嵐に隠れて屋敷に誰かが侵入するのを感知し、メイベルは部屋の入り口を見遣った。
背後を警戒したが、ほかに気配はない。
侵入者の気配は三つだった。一つは初めて読み取るのかまったく不明で、一つは既出だが気配の正体を暴けず、一つは見知ったもの。となれば、メイベルには心当たりがあった。
忍び足でやってくるのは相手の悪癖だ。特技ともいう。
気配は近くまで来ると、一つだけになってメイベルが居る部屋の前に佇まった。
「入ってもいいだろうか」
メイベルはずぶ濡れの絨毯を一瞥し、その一瞬の間で魔法を出した。メイベル自身と、部屋に滲み込んだ雨水が浮き上がり、窓の外へと追い出される。と同時に窓が閉まった。ランプの火がともる。薄暗くも、部屋がわずかばかり明るくなった。
そうして最低限、客人を迎え入れられるようにすると、メイベルは姿勢を改め目を伏せた。
「どうぞ」
扉が開かれ、気配が中に入ってくる。
「……楽にしてくれ」
気持ち沈んだ声だった。
メイベルは顔を上げ、相手を見遣る。
「お久しゅうございます。王子殿下」
廊下は明かるかった。光を背に、王子は立っている。メイベルも満月の光を背にしているので、お互い逆光で表情が見えづらいことだろう。部屋のランプは要らなかったかもしれない。
彼はアヴァルランド王国、王位継承順位第二位に居た。やんごとなき御身分の御方である。年はメイベルの一つ上で十八才。ダークグリーンの黒髪に、輝く金色の瞳をしている。名を、オズワルド。オズワルド・アーサー・オーガスタスと言う。
メイベルの、元婚約者である。
「ご帰還にはまだ早かったように思うのですが、もしや、わたくしのことがあったからでしょうか」
「……ああ」
相手は不本意そうな声で答えた。たぶん、顔を顰めている。
「婚約が解消されたと聞いて、どういうことかと」
そうだろう、とメイベルは内心で頷いた。
婚約破棄の時、オズワルドは王都に居なかった。本人の立場がどうあれ、大神官なら理由さえあれば婚約を解消可能だ。
「ふふ」
メイベルは、婚約破棄された時のことを思い出して笑ってしまった。
「理由はもちろん、お聞きになっているんでしょう?」
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