第八話 水瀬しずくは「あーあ、なんでうまくいかないんだろ」と独り言ちた。

 本が散らばった部屋、その端にあるベッドの上で、私、水瀬しずくはぼーっとしていた。

 部活を休んだ。

 中学の時はそもそも部活に入ってなかったから、人生初の部活サボりだ。


「……暇」


 友達からは「部活のサボりはちょー楽しっすよ!」なんて聞いたいたが、いざやってみると退屈で仕方ない。

 やりたいことから目を背け続けている、みたいな。やりたいことなんて、できなくなっちゃったのに。

 

 だから今は、退屈しのぎにアニメを見ている。


 アニメ放送直前特番の録画、ずっと楽しみにしていたはずなのに、いまいち楽しめない。


「はぁ……だって、あの人も、苦手そうだったもんね……」


 今季から始まる幼馴染もののラブコメだ。

 声優さんのトークは面白いし、作画だって気合が入ってる。監督さんだって有名な人だし、何も不安なことはないけど。


 何かがどうしても気に入らなくて、再生停止ボタンを押した。

 部屋が静寂に包まれる。


「あーあ、なんでうまくいかないんだろ」


 アニメを消したからといって、特別やりたいことはそんなになかった。

 スマホでSNSを立ち上げて、これまた呆然とクラスメートの投稿を眺めていると。

 ピコン、LINEが届いた。


 あの人かな? と、少し期待して――そんな自分が嫌になる。

 あんなに暴走したのを見られたのに、まだこっちを振り向いてくれるわけない。


 暗い顔で通知を見ると、クラスメートからだった。

 ホームルームが終わったすぐ後に教室を出て行ったから、心配してくれているらしい。

 大丈夫だよ。と返事を送った。


 ほんとは大丈夫じゃないのに、嘘をつくのにも慣れてしまった。



 私が猫を被るようになってから、もう三か月になる。

 いわゆる高校デビューというやつだ。


 自分の中での理想の女性という猫は、なかなかに被り心地がよかった。

 強くて、かっこよくて、いつもポジティブで、礼儀正しく、友人が多い。

 完璧を体現した人。

 私はそんな高校生になりたかったし、実際、ほとんどその通りに出来ていたと思っている。


 被っているこの猫を褒めらるのも、自分のペットが認められてるみたいで気持ちよくて、全く不自由のない生活だったと思える。


「ほんとの私は、こんなにネガティブなオタクなのにね」


 そんな自分を変えたかったから、努力したのだ。


 ……中学生の自分はあまりにもひどかった。正直、思い出すだけでも身震いしてしまう。

 友達はいなかった。特別作ろうとしなかったし、愛想も悪かったから当然だ。

 部活には所属していなかったし、休み時間はいつもドイツ語に翻訳されたラノベばかり読んでいた。別にドイツ語が読めるわけじゃないが、原作は穴があくほど読んでいたので内容は理解できた。


 体育のペアになってくれる人こそいたが、あくまでもそれは利害の一致が起こったから一緒に居ただけで、それ以外の時は関わりを持たなかった。ビジネスパートナーみたいな関係だって誇らしく思っていたのを覚えている。


 クラスではちょっと浮いてたけど、いじめられているわけでもなかったから、これでいいと思ってた。あの頃は自分が一人居ればそれでよくて、周りの人は私にフィードバックを与えてくれるだけのモブだと思っていた。


 要は、それがかっこいいと思っていたのだ。


「……思い出すだけでも痛いなぁ」


 そんな生活を送っていた中学三年生のある日、いつも通りアニメを見ていた時だった。

 戦闘モノが好きだった私が、気まぐれで見ていたピュアなラブコメのラストシーン。

 数々の恋敵と障害を乗り越えて、やっと結ばれた主人公とヒロインが、幸せそうにキスをしているのを見て。


 ――私もキスがしたい、と思った。


 中二病が治って、人並みに乙女になったのだと、自分でも分かった。

 

 いざそうなると、今まで自分がかっこいいと思っていたアレコレが如何に小さなものか分かってしまって辛かった。

 

 途端に虚勢を張っていた過去の自分を思い出すのが辛くなり、したり顔で言った痛々しい言動を考えるたびに心を抉られるような気持ちにもなった。

 客観的に自分を認識することができるようになってしまえば、なんでそんな行動をとってたのかすら理解できなくなるのだと知った。


 人並みに友達や彼氏が欲しくなった。家族以外の、自分の理解者というものに対する憧れが強くなった。

 精一杯おめかしして、可愛い服を着て、丁寧な所作を心がけて、街中をナンパ目的でうろついたこともある。

 収穫はなかったし、なんなら買い物に来ていたクラスメートに出会って恥ずかしい思いをした。

 陽キャはこんな寂れた街で遊ばないのだと理解した。街の外に出ようと思った。


 だからそれ以来、高校デビューすることに決めたのだ。

 幸い勉強は苦ではなかったから、市外の進学校を受験して、合格することが出来た。


 視界の端、高校入学前に必死になって読んだコミュニケーションの教則本が映る。

 ……なんなら受験勉強よりも必死だったと思う。

 話し方、聞き方、会話のレパートリー、人付き合いでのマナー、全部実践したし、全部有効だった。


 ネットでコミュニケーションの仕方について調べ回った。これも有用だった。

 相手の目を見て話すようになったら相手も笑ってくれるようになったし、話題に困ったときは好きな動画の話が良いと知れた。それに伴ってずっと馬鹿にしていたTikTokを入れた。意外と楽しかった。


 その努力も実を結んだのだろう、クラスの中でも明るい子たちと仲良くなることが出来た。

 その中でも、赤山さんとは特別仲良くなれたと思っている。

 昨日も、あの人のことで話を聞いてもらったし、「あーしにできることやってみるすよ」なんてことまで言ってくれた。

 本当にいい人だ。

 でも、きっとダメだと思う。


「絶対、嫌われてる」


 肝心な所で注意が足りてなかった。

 余計な見栄を張ろうとさえしなかったら――そう思って仕方ない。

 より完璧な自分であろうとして、完璧な過去を作り出そうとしてしまったのは悪手だった。


「フラペチーノにホットがないとか、マックでトレーを捨ててはいけないなんて、どんな本にも書いてなかったよ」


 笑ってた。

 引かれたと思う。

 ……絶対幻滅された。

 

 痛かったと思う。自分ならそんな風に嘘をつく人間とは付き合いたくない。


 一番隠しておきたかった相手に、一番最初にバレた。


 ちょっと良いなって思ってた人だったのに。

 一緒にいて楽しかったのに。

 もっと仲良くなりたかったのに。


 はぁ、溜息が漏れる。――溜息は良くないってコミュニケーションの本にも書いてあったのは、もう今更だから気にしない。


「あーあ、やっちゃったな」


 タオルケットに包まる。


 通知音がなって、反射的に放置してたLINEを見ると、いつの間にか既読になっていて、可愛い猫がOKと言ってるスタンプが帰ってきている。


 そうだ、普段の私はもう陰キャじゃないんだ。

 私は完璧な人間であれば、誰にでも受け入れられるんだ。

 心配してくれるクラスメートだっているし、困ったら相談に乗ってくれる友達もいる。

 

 それで十分じゃないか。

 自分は幸せじゃないか。


 これ以上を望まなくたって……


「……ほんとに好きだったのになぁ」


 思えば、昨日はあの人に足を踏み入れようとし過ぎたのかもしれない。

 マックに誘ったのも、フラペチーノの話も、あの人に近づきたかったからだけど、それは急過ぎたのかもしれない。

 ある程度、受け身で居た方が傷つかなくて済むのかな。


 脱ぎ散らかした制服が……完璧でない自分の証拠が辛くて目を逸らす。

 私の内面は、こんなにも乱雑だ。


「もっと完璧で生きてこれたら、また違ったのかな」


 枕元に置いたままの誕生日プレゼントが視界に入った。

 赤山さんにアドバイスを貰って選んだハンカチ。

 せっかくだから渡したい……けど。

 どうしよう。嫌いな相手からプレゼントを貰うのなんて気持ち悪いだろうな。

 

 頬を水が伝って、落ちて、プレゼントの包装紙がちょっと濡れた。

 

 あぁ、もう渡せないな、なんて。そう思うとまた辛くて。

 顔をぶんぶん振って気を誤魔化していると。


 ――ピコン、再びLINEの通知。

 

 慌てて涙を拭って、スマホを見る。


 そういえばさっきも、誰かから送られてきていたのにも返信してなかった。

 今回の通知は赤山さんからで、不思議と気持ちが落ち着く。

 

 そうだ。プレゼントどうすればいいかも、赤山さんに聞こう。きっと赤山さんなら解決してくれる。

 だって赤山さんは何でもできる人で、悩みなんてなさそうで、私を友達と言ってくれる、神様みたいな人だから。……私と違って。

 

 少しナーバスになりながらも、トークを開くと


「…………え」


『充電切れたから赤山のやつ借りてる。今から会って話したい。家行く』

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